「第55回 日本印度学仏教学会」一寸報告

日本印度学仏教学会第55回学術大会が7月24日(土)と7月25日(日)に駒澤大学を会場として開催されました。

朝9時に着くつもりで東急田園都市線の「駒澤大学」駅から歩いたのですが、道がはっきり分からず学生さんらしき人のあとを京都方面の大学の先生がたと「後ついて行きゃ大丈夫だろう」と追いかけてたらその人がごく普通の民家に入っていったので皆んなびっくり。数人の集団にあとつけられたその人、多分きもち悪かっただろうなあ。おかげで9時20分からの発表にもう少しで遅れそうになってしまいました。

自主性のなさといいかげんさに、関西人一同大いに反省。

今年の特別部会のテーマは「瞑想」で、吉崎一美先生や立川武蔵先生そして桜井宗信さん等チベット関係でも有名な先生方の発表もあったのですが、チベット学ウオッチャーのハーンとしては、モンゴル・ネパール・インド密教・チベット関係の発表のある第四部会の会場にず〜と居て発表を聞き勉強してきました。

以下はその報告です。(いつものとおりダイアクリティカルマークは省略します。)

日本印度学仏教学会第55回学術大会 発表

Lalitavistaraとその『モンゴル語抄本』について–第13章を中心に–/山口周子

発表風景

最初の発表は京都大学大学院の山口周子さん(写真)による「Lalitavistaraとその『モンゴル語抄本』について–第13章を中心に–」と題する発表。

14世紀のサキャ派の学僧 Shes rab seng geという人物が師の Chos kyi ‘od zer が著わしたものを編集して作った抄本のモンゴル語訳テキスト(BJ)を LalitavistaraSkt.(LV)と比較しながらその異同が何に起因するのかを推測しながら報告されてました。

BJはLVを大幅に簡略化して再編集された抄本と看做しうると結論されてました。

モンゴル版 Pancatantraについて/マンダー(満達)

2番目の発表は東洋大学大学院のマンダーさんの「モンゴル版 Pancatantraについて」と題する発表でした。

マンダー(満達)さんが「モンゴル版 Pancatantra(PT)」と呼ぶのはモンゴルに流布しているPT起源の説話全体をそう呼ぶのだということです。つまりサパンの『レクシェー』やその解説書を通してモンゴルの伝わった説話をも含んでます。発表者によれば、モンゴルに伝えられたPTは基本的にはSkt.やTib.に拠っているが、翻訳の過程で改編され、モンゴル独自の表現や要素を含むものも存在すると報告されてました。

質問者が「モンゴルで付加された特徴だと発表者が言うそれが、チベットの地で生まれた可能性はないのですか?」と聞いていたのが印象的でした。

カトマンドゥにおけるヴァジュラ・ヴァーラーヒー・プージャー/伊藤真樹子

3番目の発表は名古屋大学大学院の伊藤真樹子さんによる「カトマンドゥにおけるヴァジュラ・ヴァーラーヒー・プージャー」という発表でした。

普段は一般には公開されないクマーリプージャーの儀礼に実際に立ち会った発表者が、その元となった儀規書の記述と儀礼での実際の進行を比較しながら、全体の流れを解説されてました。写真も示され分かり易かった。

他のプージャーと同じように、グルマンダラプージャーやサマーディに引き続いて、全体で数時間にわたる大きなプージャーの概要と、そこで使われるヤントラが『サーダナマーラー』所収のものと比較されながら紹介されてました。

金光明経四天王品からみた仏教儀礼の諸相と解釈/鈴木隆泰

4番目の発表は山口県立大学の鈴木隆泰氏による「金光明経四天王品からみた仏教儀礼の諸相と解釈」という発表でした。

発表者は四天王品の内容を吟味して、中には相互に矛盾するものも少なくないくらい様々な教理や教説を集めていること、そしてそれによって大乗仏教の伝統仏教からの独立の模索をしたのではないか、洗練された教理や哲学と並んで沐浴などの日常儀礼をも説くことによって、仏教のヒンドゥー教からの独立の模索をおこなったのではないのかと推定します。

つまり『金光明経』の編纂意図は一貫して様々な教理や儀礼を集積すること自体に意味があると結論してました。

インド後期密教における<勇者の饗宴>儀礼について/静春樹

5番目の発表は高野山大学密教文化研究所の静春樹氏による「インド後期密教における<勇者の饗宴>儀礼について」という発表でした。

どうも「ガナチャクラ」という言葉自体に何か怪しい響きがあるのでしょうか、発表を聞いてる皆んなも最初は学会なのだからそんなに怪しいところには話しが進まないだろうと思っていたのですが、意に反しどんどん怪しいほうに行きます。性瑜伽が僧伽の中で行なわれること自体想像しにくいのですが、聚輪という以上、集団ですからどうもやっぱり私には想像しかねます。

原稿になってから発表内容については確認ください。(我ながら、なんだかずいぶん歯切れが悪い!)

『不空羂索神変真言経』護摩安穏品所説の護摩儀礼/木村秀明

午前最後の発表は大正大学の木村秀明氏による「『不空羂索神変真言経』護摩安穏品所説の護摩儀礼」という発表でした。写真複製ですでに発表されている写本(『不空羂索神変真言経梵文写本影印版』大正大学綜合仏教研究所,1997年)を校定して出版するお仕事の中間報告です。

当該の護摩安穏品は他の多くの章と違って比較的漢訳とよく対応するということです。

ただし、梵語の語尾変化が極めて破格で資料として配付された校定も良く見ると大幅に写本をいじらないと意味の通じる梵語にならないところが多かったみたいです。

Candraprabha王の一考察/梶濱亮俊

午後1番目の発表は摂南大学の梶濱亮俊氏による「Candraprabha王の一考察」という発表でした。『サキャレクシェー』の第113偈とその注釈書であるマルトゥン・チューゲル作の『宝蔵の格言の注釈書』に説明される説話との関係を解説する発表でした。

チューゲルが引く説話は『賢愚経』第22の月光王頭施品に伝えられる説話です。

梶濱亮俊先生、夜行のバスで東京に来られたそうで、「早く着き過ぎたので近くの駒澤オリンピック公園を一周して来ました。先生も明日一周すればいい」と勧められたのですが、ハーンにはそんな元気はありません。

『ニ諦分別論』研究(2)–チベット人による注釈書とその作者について–/赤羽律

2番目の発表は大阪学院大学の赤羽律氏による「『ニ諦分別論』研究(2)–チベット人による注釈書とその作者について–」という発表でした。bDen gnyis rnam ‘byed kyi bshad pa という写本の存在と古様を残している綴り字の特徴、そして作者のDharma bkra shis という人物について考察をした研究発表でした。

ダルマタシーという人物はおそらくサンプ系の論師で、チャパによる論書に見られるのと同じ様な用語の使い方がこの写本の中にも見られることが報告されていました。

サパンの意知覚説の設定とその背景/村上徳樹

3番目の発表は東京大学大学院の村上徳樹氏による「サパンの意知覚説の設定とその背景」という発表でした。サパンがプラジュニャーカラとダルモーッタラの意知覚説がいかなるものだと考えていたかという点を先ず検討し、両者にたいしてサパンがどのようにそれらを批判したのかを解説する発表でした。

プラジュニャーカラは感官知と意知覚が全く並存することなく交互に生起するものとするとジャムヤンシェーパは解説していますが、サパンは、第一刹那の感官知が生起した直後の第ニ刹那以降、感官知と意知覚は並存し、かつ、一組の連続体となって生起する、と解釈していたのではないかと村上さんは言います。

またダルモーッタラは「感官知の連続体の最後に意知覚が生じる」と考えていたとサパンが見ていたと報告されてました。

サパン自身は「相続が複数となる難点」をさけるためにいわゆる「三要素説」と呼ばれる独自の意知覚説を説いた、のであると結論されてました。

ツォンカパによる三時の解釈/根本裕史

4番目の発表は広島大学大学院の根本裕史氏による「ツォンカパによる三時の解釈」という発表でした。三時というのは「おやつ」ではなくて「過去・現在・未来」のことです。(すみません。誰か突っ込んでくれないと、収拾がつかなくなりそうです)

ツォンカパの著述のいくつか(主として『中論註』の第19章)から三時に関する記述を抜き出して、彼が、未来を「未だ生じていないもの」であって「将来の姿」ではないこと、過去は「既に滅したもの」であって「以前の姿」ではないと規定している、つまり観察者の視点から切り離して設定されるべきものであると捉えていることを紹介されていました。

ツォンカパがしている三時の分析は、未来現在過去という言葉をそれぞれ如何なる意味において用いるべきかという点に関心を置いたものだ、ということです。

ツォンカパによる言語有の言語論的解釈/福田洋一

5番目の発表は大谷大学の福田洋一氏による「ツォンカパによる言語有の言語論的解釈」という発表でした。

ツォンカパによれば(『了義未了義善説真髄』)「存在する」ということは、世間の言説においてであって、その存在についてそのような考察をしてから設定するのではなくて、考察することなく設定するのである、と解釈されている。つまり、考察してから設定しようとするならば設定することは出来ないし、諸存在はその意味対象を考察することなく設定される、という(無自性・空)に関する二つの命題を言語論的に語ったものだ、とか何とかいう発表であったように聞こえました。

福田さん自身が言っていたように、この発表タイトルの真意は「ツォンカパによる言語有説が言語論的なものであるという福田の解釈」という意味だそうですからそうなんでしょう。

Co ne Grags pa bshad sgrub によるBodhipathapradipaの注釈書について/望月海慧

6番目の発表は身延山大学の望月海慧氏による「Co ne Grags pa bshad sgrub によるBodhipathapradipaの注釈書について」という発表でした。

いつもながら詳細で読みやすい発表資料で、そこには当該の注釈書の邦訳が添えられていました。

チョネ・タクパシェートゥプなる人物は17世紀末から18世紀にかけての学僧で、発表ではそのタクパシェートゥプの生涯と著作が概観された後、当該の注釈書の内容が検討され、パンチェンラマ1世による有名な『菩提道灯論註』と同じ文章そして同じ引用が約七割を占めること等を理由として、この注釈書が広大なパンチェン注の解説部分のみを取り出して短く纏めたものではないかというのが結論でした。

アティーシャの師ハラナクポの予言とカダム派の発展/ツルチム・ケサン(白館戒雲)

7番目の発表は大谷大学のツルチム・ケサン(白館戒雲)先生による「アティーシャの師ハラナクポの予言とカダム派の発展」と題するご発表でした。

アティーシャの伝記を書いたナルタン僧院第七代座主チム一切智者によれば、アティーシャの師のハラナクポは「お前の弟子から孫弟子、曾孫弟子、玄孫弟子と序々に良くなリ、それから下降していく」と予言したと言うことです。その逸話を受けて後のゲルク派の学僧(パンチェン・ソナムタクパ等)の中にはその予言の中の孫弟子とはだれか云々という予言検証をしている者もいて興味深い、という発表でした。

ゲルク派の歴史を語る時にもそれと同種の話題はあって、ツルチムさんが最後に言った余談(誰のころから教えが下降したか)が面白かった。

ラトナラクシタ考/原田覺

原田覺先生の発表風景

第四部会初日最後の発表は、国士館大学の原田覺先生による「ラトナラクシタ考」と題する発表。原田先生の発表を聞くのは私は久しぶりでした。

原田先生はデンカルマ目録の中国からの重訳を集めた章にこの名が登場することやバシェの記述等々の状況証拠から、ラトナラクシタはバ・ラトナと同一人物ではなかったか、そして彼に様々な呼称があるそのこと自体が何らかの作為の結果ではなかったかと推測されています。

ところで、原田先生、ちょっと肥えたけど全体の雰囲気は昔と全然変わらない感じで若いのはなぜ?ポケットに手を突っ込んで発表する姿も昔と同じでとっても懐かしかった。

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