2013年度日本チベット学会報告

日本チベット学会第61回大会が11月16日(土)から11月17日(日)にかけて高野山大学で開催され、二日目午後には同じ会場で「第1回チベット学情報交換会」と題する若手研究者の集会が開催されました。

今年は残念ながら私の日程の都合で(自分の大学の修士論文中間発表会が同日にありしかも私自身もそこで研究発表をする必要があったので)1日目の仏教関係の発表が聞けませんでした。けど大急ぎで追いついて宴会には見事出席。2日目は朝から出席。学問の進展に取り残された感のある老いた脳の持ち主にはとても全部の発表のポイントがすべて分かる訳でもないのですが、チベット学ウォッチャーとしては聞き逃せない話ばかりでしたので全て聞いて勉強してきました。

会員総会と懇親会

済みません。私、今回は上で書いたような事情で遅れて来たので1日目の仏教関係の発表は聞けませんでした。

以下、会員総会からご報告。

会員総会では新しい会長として長野泰彦先生がご挨拶。議事は神戸市外大の武内紹人先生の議長の下で粛々と進み。来年度の大会開催校は北海道の苫小牧駒沢大学に決定されました。来年もしっかり防寒対策が必要のようです。ことしと同じように泊まりありの2日構成にして下さい。ゆっくりしたい。

2013年度日本チベット学会 会員総会と懇親会

ことしの宴会は凄かった。精進料理の会席でした。こんな豪華な宴会は学会始まって以来初めてだと思います。

アムドチベット人達が畳の座敷でお膳を前に宴会している姿はなんか良い。やっぱり学会は泊まりがけのほうがいいな、帰りの列車を気にしながらの立食よりこんな宴会の方がよく話が出来る。

宴会席上武内先生から次回の国際チベット学会の開催地は現在のところノルウェイが最有力(次点の候補地はパリ)との情報が伝えられました。

宴会の後で宿坊に泊まったのですが、寒かった。朝の勤行に叩き起こされ眠くて寒くて朦朧として宿を出たのですが、会場になった高野山大学本館2階第三会議室という部屋はじつに快適な部屋でした。ご準備ありがとう御座いました。

日本チベット学会第61回大会 2日目

ダムディンジョマ「チベット語アムド農民方言の音韻体系とその特徴」

2日目最初の発表は神戸市外国語大学のダムディンジョマさんによる「チベット語アムド農民方言の音韻体系とその特徴」と題する発表でした。青海省同仁県(レプコン)出身の発表者は黙っていたらどこからどう見ても日本人にしか思えません。

ダムディンジョマさん

発表言語も日本語、奇麗なイントネーションでびっくりです。最近のアムドは凄いね。

…っと、よけいなこと言ってないで発表の内容ですが、アムド方言に農民方言・牧民方言の違いがあるというのはいままでの研究を読んで知っていたのですが、今回の発表では農民方言の中にも口語音とは別の読書音があるという点を指摘するものでした。

学校で教わる時には教科書を先生が読みながら教える訳ですから当然といえば当然ですが興味深い話でした。

岩田啓介「チベット文遺詔・登極詔の頒布のあり方からみる清朝ーチベット関係の一側面」

2番目の発表は筑波大学大学院の岩田啓介さんによる「チベット文遺詔・登極詔の頒布のあり方からみる清朝ーチベット関係の一側面」という発表でした。

遺詔とか登極詔とか言うのは何かと言うと、皇帝なんかがお亡くなりになりました、とか新たに就任されました、とかいうお知らせのことです。

けどこれが相手によってどれを漢文から他言語に訳して届けるかは対象地域によってまちまちなので、その種類や形式をみると相手の位置づけも分かるという理屈です。全部の文書をチベット語に翻訳した訳ではなく(チベットに対しては直接皇帝に関するものだけを選んで訳したようです)モンゴル諸部族なんかとも違った扱いをしていたようなのです。

清朝って中華王朝的価値観に序々になって行きますが、私なんかはこんな話を聞いているとその清朝自体の自意識の変化自体に強く興味を持ってしまいます。

チョルテンジャブ「チベットアムド地域におけるルロ祭とその社会学的意義について」

3番目の発表は総合研究大学院大学のチョルテンジャブさんによる「チベットアムド地域におけるルロ祭とその社会学的意義について ーワォッコル村の事例からー」という発表でした。旧暦6月の収穫期にアムド地方で行われるルロ祭という伝統的な祭祀儀礼についての人類学的観点と現地調査による考察の報告でした。

チョルテンジャブさん

チベット人の中でも土族と漢語でよばれるトゥーの人達に昔からつたわる様々な習俗がその祭りには残っています。

人間バーベキューみたいなほっぺた串刺し儀礼や土地神さまの神おろしや伝統的な舞踏の話も面白いのですが、村の組織が共産党の書記や村長などの体系と、村祭りの役割との二重行政のようになっているところがすごく面白い点です。

けど、村の工事や治安や紛争への助言を祭祀者が行う昔ながらの形が最近の出稼ぎやらで年齢分布に変化が起こり乱れてきているようです。

祭り自体がフェスティバル化していくさまは、どの世界でも同じだなと考えさせられました。

佐藤剛裕「マチク直伝のチュウの研究 ー初期文献の特定とギャルタン流の実践形態の参与観察」

4番目の発表は明治大学野生の科学研究所・ゾクチェン研究所の佐藤剛裕さんによる「マチク直伝のチュウの研究 ー初期文献の特定とギャルタン流の実践形態の参与観察」という発表でした。全篇怪しい発表でした。

参与研究って早く言えば、その境地に入っちゃうということです。「トルボ地方とムスタン地方の中間的地域に位置する隠れ里(ベーユル)で行なったフィールドワーク」だそうです。

動画も交えた発表でしたが、私にはそこに登場する怪しい行者さんが、よく見るとこの発表者なんだと思うとつい見比べてしまって、ふと気付くと発表内容ぜんぜん聞いてなかった。こりゃいかんいかん、と思い直して(大事な歴史の話をされてる)内容聞こうとするんだけど、遺体に群がる鷲を真似た儀礼の中で、鷲になりきって踊っている現地の行者さんの表情を見てると、こりゃすでに空に飛んで行っちゃってるなあ、と思いながら、こりゃいかんいかん、また別の事を考えてた、と思い直して….そうこうしてる間に報告が終わっちゃいました。

済みません、ぜんぜんレポートになっていませんね。とにかく怪しかった。さすがは中沢新一先生のお弟子さんです。(アーカイヴの為の研究機材は極めてデジタルで先進的で、そのギャップも面白かった。)

小西賢吾「ボン教の実践にみる普遍性と地域性 ー アムド、シャルコク地方の事例からー」

5番目の発表は大谷大学の小西賢吾さんによる「ボン教の実践にみる普遍性と地域性 ー アムド、シャルコク地方の事例から ー」という発表でした。

ボン教では以前から指摘されていることですが、かなり広い地域でテキストや儀規が共有されており、一方で継承形態では特定の氏族と結びついた独自性を持ち、その結果多様性も持っています。

このふたつの側面がどのように形成されたのかを、メンリ本山と地方僧院との間の僧侶の移動や交流の立場から考察してみようというのが小西さんの研究です。

前から思ってるんですが、ボン教って古いイメージを自分では振りまいてますが、自らを変えていくことに関しては歴史的にも全く躊躇がなくて柔軟というか何というかどんどん姿を変えていきます。

ドゥルボン、キャルボン、ギュルボンというボン教の三期区分は有名ですが、ボンヌーボーなんてのがあっても可笑しくない。

高本康子「戦後期日本における「喇嘛教」関係画像資料」

6番目の発表は北海道大学スラブ研究センターの高本康子さんによる「戦後期日本における「喇嘛教」関係画像資料」という発表でした。

満州事変前後から太平洋戦争終戦までに属する画像資料の中で、いわゆる「喇嘛教」が被写体になったものを、大連の亜細亜写真大観社というところが1924年から出版した写真雑誌『亜細亜大観』から抜き出して考察した発表です。

いつもながら近現代のチベットモンゴル関係の話はどうしてかは分かりませんが、独特のわくわく感があります。

発表の中で見せてもらった写真自体も面白いのですが、当時の日本人が満蒙に対して持った夢や感情が、ゴーウエストの頃のアメリカや中国の西部大開発なんかとどれくらい近くどれくらい違うのかに興味があります。

次号の写真予告をみて楽しみにしていた当時の人々の気持ちが何となく分かる気がして楽しい発表でした。

話は違いますが、「喇嘛教」という呼称は差別的意味が僅かでもあると問題だし、呼称の根拠は乏しいのでしょうが、「チベット仏教」と単に呼び変えるだけでは新たな問題を引き起こします。モンゴルやブータンの仏教者の中には自らがチベット仏教と呼ばれることに違和感を持つ人は沢山います。

海老原志穂・星泉「小説家の描く現代チベット — アムド出身の二人の作家、タクブンジャとペマ・ツェテン –」

7番目の発表は東京外国語大学の海老原志穂さんとその指導教授の星泉先生による「小説家の描く現代チベット — アムド出身の二人の作家、タクブンジャとペマ・ツェテン –」という発表でした。アムドから最近沢山の小説や映画が発信されるようになりました。

 

この二人の作家は1960年代の生まれで相互に親交もあり、両者ともチベット語による文学の世界を牽引する存在です。

文学というものはそもそもそんなものなのでしょうが、現代の複雑な政治状況の中で育った世代ですので、その隠喩の世界はとても深いもので、それが文学性にまで影響しているようです。

このところ星先生の学会発表(国内国際問わず)は挿絵が面白いのですが、今回も小説の幾つかを挿絵を使って説明をされていました。

高度な内容としなやかな発表手法との組み合わせは、チベット学者の本骨頂です。

後で出て来ますが、広島大学の別所さんなんか、国際学会でもそのプレゼンテーション見たさに彼の時だけ彼の発表会場に聴衆が移動して増える程です。

第一回チベット情報交換会

午後1時からは、同じく高野山大学の本館2階第三会議室で第一回チベット情報交換会が開催されました。

開会に先立って神戸市外国語大学の岩尾一史さんが趣旨説明。キーワードは「与太話以上研究発表未満」ということで、分野の垣根を超えた若手研究者の情報交換の場という位置づけだそうです。あくまで日本チベット学会に寄生する決心を固めているそうで、次回は当然北海道でということでしょう。

岩尾さん曰く、学者にとって重要なのは学会発表の後の宴会の後の二次会、けど健康に悪い。その二次会での収穫をこの情報交換会は健康的に得るのだと。

 

今回は5名の若手研究者(星先生をそこに入れて良いのかどうか分かりませんが)が極めて高度な与太話をされました。

京都大学客員研究員の山本達也さんが「音楽から難民社会を見るということ、あるいはチベット関係サブカルチャー理解の脱構築」、京都女子大学講師の安田章紀さんの「私のチベット研究ー回顧と展望」、そして東京外大星泉先生の「今、チベット映画が熱い!」そして今後のプロジェクトの紹介として、東京外大PDの海老原志穂さんによるチベット語方言の調査研究の中間報告と、広島大学助教の別所裕介さんによるチベットアムド地域の開発や環境と文化との関係の問題の紹介がありました。

1日半でしたが、その間チベット学漬けで楽しかった。それにしても高野山は下界とはちょっと異なる世界でした。最近私はベジタリアンになったので高野山はその意味では天国でした。

高野山大学の先生方お世話になりました。お疲れ様でした、非常に快適でした。

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