「2008年日本チベット学会」報告

第56回(2008年度)の日本西蔵学会あらため日本チベット学会大会が、11月1日(土)に東京の東京外国語大学アジアアフリカ言語文化研究所で開催されました。当番校の委員として奔走された星泉先生、ご苦労さまでした。

当日の発表内容はざっと次のとおり(いつも通りダイアクリティカルマークは省略、そして偉い学僧の皆さんを呼び捨てにすることも許して下さい)。

尚、日本西蔵学会は、今年度の総会で正式に、日本チベット学会という表記に変わりました。ああ、この学会の名前だけでも中国の支配を逃れました。良かった!それから会長の小川一乗先生が会長を退かれ新たに京都大学の御牧克巳先生が会長に選ばれました。御目出度うございます!

2008年日本チベット学会 発表

『欽定巴勒布紀略』の成立と乾隆帝の対チベット認識/小松原ゆり(明治大学大学院)

巴勒布というのはBal poのこと、つまりネパールの事です。この文献はいわゆるグルカ戦争の始末記なのですが、この資料を満州語や漢語の档案史料と比較してその性格を再度検討して位置付けようというのが小松原さんの狙いです。私は全く違った観点からこの発表に興味がありました。それは、当時のカロンをしていたテンジンペンジョルという人物がナンマやトゥーシェーと呼ばれるチベット音楽発展の功労者とされているからです。この際のグルカ対策でネパールに駐在して活動してたみたいですけど、あんまり敏腕な政治家でもなかったみたいです。

チベットの伝承では彼は事情聴取の為に乾隆帝に呼び出されて北京に行き、そのわりに暢気な話ですが、ついでに中国音楽の楽器の弾き方を勉強して帰国し、政界引退の後には粋人となって『ケルパサンソン』等の名曲を残した、と言われているのです。小松原さん、こんどそこんとこ詳しく教えて!

ダライラマ13世とアグワンドルジエフ — ハンガロフ歴史博物館所蔵「ドルジエフ 文書」の分析を中心に –/浅井万友美(東京外国語大学大学院)

モンゴルの北隣りにロシア連邦のブリヤートという国があります。有名なバイカル湖があるとこです。そこの出身でダライラマ13世の側近として活躍したドルジエフという僧侶がいました。13世とロシア皇帝とのパイプ役になった人です。そのドルジエフに宛ててチベットの政府高官から出されたチベット語書簡などが近年ブリヤートのウラノデにある歴史博物館に所蔵されていたことが判明したということです。それらの書簡の差出し人や時期用件などを分析したのがこの発表です。

この発表を聞くまでは私は勝手にもっと白人的顔立ちをイメージしていたのですが、写真を見せてもらったらごく普通のチベットの坊さんじゃないですか、なんだかイメージ違っちゃいました。彼が悪いわけではないでしょうが、この頃のロシアを初めとする列強の植民地欲しさの故にチベットは独立を認知されなくて今日の不幸へと進展して行きます。

13世紀チベットにおけるジャムチの設置と戸口調査/山本明志(大阪大学大学院)

ジャムチというのはモンゴル帝国のほぼ全土に張り巡らされた駅伝制度の基地です。モンゴル帝国が凄かったのは情報ネットワークの意味をよく理解していたことです。いつも思うことですがモンゴル帝国というのは発想がとってもモダンなのです。大元ウルスが成立し、チベットがモンゴル帝国に組み込まれるとチベットの中にもジャムチと呼ばれる駅が作られ、その管理をする担当地区が戸口調査の末に定まっていったという事です。ドメー地区に7つ、ドトゥー地区に9つ、ウーツァン地区に11の大駅(ジャムチェン)があったそうです。やがて西のガーリー地区にもジャムチが設置されたとのことです。実際に馬を走らせたらどの位の時間で北京あたりからラサまで届いたんでしょうかね?

話はまったく違いますが、青蔵鉄道が出来て何か悪い事ばかりという感じですね。おまけに鉄道は西のガーリー地区にも延びるのだそうです。ジャムチを作ったって環境破壊にはならないけど。

西夏に関する一考察 — 土着信仰を中心に –/大西啓司(龍谷大学大学院)

西夏というのは有名な西夏文字を見てると漢民族に近いのかなと間違えますが、チベット系のタングートが中心となって出来た国家です。大体10世紀から13世紀のことです。仏教や道教も盛んだったようですが、今回の大西さんの発表はそれ以外の土俗信仰に関する記述に注目されました。彼等の天に対する独特の敬意も興味深いですが、私が興味を持ったのは「鬼」に関する信仰です。「鬼やらい」という我々日本人の生活の中にもある土着信仰が西夏にもあったのは驚きでした。

ところでチベット人がミニャクと呼ぶ人達とこの西夏とはどのような関係にあるのでしょうか?顔を黒く塗ったので最初はミナク(黒い人)と呼んだのだ、とあるチベット人から聞いたのですが、本当なのかなあ、大西さんに聞きゃよかった。ところで、西夏文字のPC用フォントがあるのを始めて知りました。かと言ってそのフォントを貰ってもどうやって呼び出したり発音したりするのかさっぱり分からないのでどうしようもないでしょうが…。

シャーンティデーヴァ伝の変質とその意味について — 『ブスク伝』導入の影響 — [佐々木一憲(東方研究会)

八十四成就者伝のブスク伝はもの凄く面白いので前々から興味があったのですが、そこで語られる様々な逸話が、シャーンティデーヴァの著作の順番や内容の位置付けの問題とリンクするなんて知りませんでした。シャーンティデーヴァに付いた綽名ブスクは、日がな一日食べていて(ブ)、眠っていて(ス)、ぶらついていて(ク)、という三拍子そろったぐうたら僧を意味するのですが、皆からそんな風にバカにされる彼が突然『入菩提行論』を毅然と語りはじめ皆に感動を与えるのです。私はその話は徹底的に謙虚な態度の重要性を語る『入菩提行論』の帰敬偈の精神を「あのおバカな僧よりは俺はましだ」と自慢自尊する人々へのショック療法だと思っていたのですが、どうもそれだけでは無さそうですね、勉強すればいろんなことが分かってきます。

ヤルルンパ・チャンジュプギェンツェン著サキャパンディタ伝について/目方祥子(大谷大学大学院)

サキャパンディタの伝記には直弟子の書いたものやら後世の人が書いたものやら、記録ではいっぱい有るのですが、題名だけ知られていて今現在は現存しないものもあります。厄介なのは題名の中で「短いの」とか「中くらいの」とか言われても何と比べて短いと言っているのか分らないのだってある訳です。そんな中、西蔵大学に留学されておられた目方さんがチベットの或るお家で見せてもらった写本に引用されているヤルルンパ・チャンジュプギェンツェン著とされる『サキャパンディタ伝』が、いままで存在が確認されているものとは一致しない別のものと推定される、という発表でした。その同じか別かを確認する作業の中で分かってきたことは、様々な伝記類が、タイトルに関しても著者名に関してもどうも再考を要するのではないか、ということです。

チベット語アムド方言における形態音韻学的な交替現象/海老原志穂(清泉女子大学)

チベット語アムド方言の接尾辞や助辞や助動詞が名詞や動詞などの語幹に付く時に、形態音韻的な交替をおこすという現象があるそうです。けど、よおく考えてみれば、チベット語(文語)を習ったことのある人は誰でも分かると思いますが、例えば格助辞なんかは -g の後だったらこれで、 -b の後だったらこれ、というようにごく普通に初心者の頃から当たり前のようにして経験してきた事です。そこで海老原さんはチベット文語と体系的に比較してみようという訳です。

とは言ってもそんなに簡単な作業でもありません。何故なら、一方では語幹にあわせて何種類かある内のどれかを選ぶという交替もあれば、逆に語幹に変化を起こしてしまうという事も観察されるからです。目標は、ラダック方言などとも比較しながらチベット語全体の歴史の解明だそうですけど、目標がでかくて頼もしい。けど音韻学の研究者達は端から見ていると「う〜ん、これも面白いね!」「こうとも考えられるけどね」とか言いながらパズルを解いているようで楽しそうでいいです。

ブータン王国新憲法のゾンカ語テキストについて/諸橋邦彦(国立国会図書館)

2008年の7月に現第5代国王の勅裁で成立した憲法は、選挙による二院制や議院内閣制、あるいは国民投票制度等、今までの国家体制と大きく異なる制度を規定するものなので、これまでブータン語(ゾンカ)にはなかった表現が沢山ありますが、これを英語版等と比較検討しながらゾンカでの表現方法を分類して検討する発表でした。新しい言葉を作るのは大変で明治期の日本人は実に上手にこれをやってのけましたが、それでも今でこそ使い慣れてしまったから不思議じゃないけど当時は何これ?っていうような用語も多かったでしょうね。「国民」とか「国家」とかいう日本語は明治以前にもあったのでしょうか?今でもよく「三位一体」なんて日本語を何気に使いますが、神学者が聞いたら気分悪いでしょうね。

ゾンカ語は一応チベット語と近いので、チベット自治区で使っているものやらを参考にはしているのでしょうけど何だか変なのもありそうです。ブータンの知識人は完璧な英語使いが多いので、本当のところは英語版で理解しているのだと私は勘ぐってますが…。

認識結果としての自己認識/小林久泰(日本学術振興会特別研究員)

『プラマ−ナ・ヴァールティカ』の第三章第341偈から352偈が唯識説の他者認識の設定方式のことを説明しているのだ、とケートゥプジェが理解している事実はかつて福田洋一先生が紹介し、それを受ける形で最近村上徳樹さんがそのケートゥプジェのその理解は正しい理解なのではないかという見解を言ってます。これに小林さんはインド仏教研究者の立場からもう一度検討したいというのがこの発表の趣旨です。

そしていままで検討されなかったプラジュニャーカラグプタの解釈も参照しながら、ケートゥプジェのように考えるのもありかも知れないと結論されています。しかしデーヴェンドラブッディ等多くのインドの注釈者が第341偈以降は外界実在論に於ける自己認識が語られる部分だと考えていること。そして認識結果という観点からケートゥプジェの発言に若干の疑念がある、ともぶつぶつ仰ってました。

チベット仏教における三身説と四身説の設定 — 『現観荘厳論』「法身章」所説の二十一種無漏智 zag pa med pa’i ye shes sde tshan nyi shu rtsa gcig po の解釈を中心に –/田中公明(東方研究会)

チベット仏教の仏身論では一般には四身説、つまり自性身・報身・応身、そして智慧法身の四身説が優勢ですが、このような仏身論の議論には『現観荘厳論』の「法身章」が大きな影響を与えていると言われています。この四番目の仏身の特徴は、『二万五千頌般若経』に説かれる二十一無漏智の内容そのものを指し、これを『現観荘厳論』の著者であるハリバドラ(獅子賢)が第四の仏身と看做したようです

。田中公明先生、あいかわらずテンション高くて今回は佐久間秀範先生が bzhi pa を序数じゃなくて束数と理解して二十一無漏智を四身を総合する法身に対応するものだと説明している、それは誤訳だと高々と獅子吼されていました。ハリバドラみたいでした。

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