ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。
2月11日、日曜日。昨夜の11時48分にゲスト・ハウスに帰ってきたが、妙に興奮していたのか寝付かれず、眠りに着いたのは深夜の2時。あとは気絶状態であった。激しく叩くドアの音で起きる。寝巻き代わりのトレニングウェアのままで顔を出すと、ノルブだ。まずは入って貰う。
「何回もドアを叩いたが開かないので、もしや、死んでいるのではないかと、心配しました」ノルブは昼夜の区別なく元気だ。
「若い時は君と同じくらい元気だったんだけどね」
言い訳しながら着替える。今日の予定を聞いたが予定なしとのこと、
「そうか、予定なしか?まぁそれも良かろう。ところでクリリンは?」
言いながら、腕時計を嵌めると9時40分だ。
昨夜あれほど食べたのに、人間の腹っていうのは、時間が立つと減ったように感じるものである。だから平均基準スレスレを行く私は、糖尿病の防止薬を飲まなくてはならないのだ。薬を飲む時間だけ待って貰って、下の食堂に行く。クリリンは、もう1時間も前に、弟のチャンパが連れて行ったという。男2人、向かいあって飯を喰っても、全然おいしくない。ただ朝飯を喰っている、という義務感だけだ。やはりモモエがいないと、つまらない。そのモモエが降りてくる。モモエが座ると、少し華やいだ気分になる。ノルブは勝手知る厨房へ入って行く。
「昨日、リンポチェの言っていた話し、日本に来るという話し本当かなぁ?」
私は、正直に聞いた。
「私もあまり知らないのですが、ダライ・ラマ法王様が提唱されて“世界聖なる音楽祭”という名称で、広島の宮島で開催というのは2〜3年前から聞いてました。具体的に6月にやるか7月にやるかは、私も知りませんわ。あとで、インターネット・カフェーに行って、確かめてみます。でもリンポチェが、おっしゃっているので本当でしよう。あとは6月ならば、何日の日に日本に来られるかですね」モモエは、歯に衣を着せるような話しはしない。
そんな雑談をしているとノルブが調理して来た。パレーとバターとジャムとフレンチエッグ、我々と同じだ。モモエは、それを食するとチベット語の先生の所に、「ダラムサラに着いたことを報告に行きたい」というので、「それは義理を欠いてはならないので、是非行っておいで」と、そのまま行かせる。ノルブも、知り合いの所に行くというので、「君はトンビのように羽根を伸ばして、トリウンドの丘でもナーグ・ティッバの峰でも、好き勝手にしたらえぇ」と言う。元々は彼らの生活の中に、私が飛び込んで行って邪魔をしているのだから、彼らの行動を制約する権利はない。ただし異国の土地で1人では淋しいから、「チャンパと会話の練習をしたいから、暇だったら此方にくるように頼んでくれ」と言う。
ほどなくしてチャンパが来る。部屋でボソボソするよりは、屋上の明るいテラスの方が良いと判断しテラスに向かう。テラスの一部の2部屋は最高級の部屋で、絨毯が敷き詰めてあり、洋式トイレもある。そして、なんと!バスタブが付いているのである。エヤコンが付いていたかどうかは確認しなかったが、我々のウンチング・スタイルの便器より、ずっとずっと良い。テラスには日光浴用の丸テーブルと椅子のセットが、3セットほど置かれてある。椅子に座りコーヒーなど飲みながら、ダラムサラを取り巻く丘の稜線風景と、その奥に鎮座するヒマラヤの雪山を眺めるのは、絵になる。現に一組の外人が上半身、裸の日光浴スタイルだ。2月11日、体感温度は20度ぐらいだが、ヨーロッパ系のアベック達にとっては、日光浴をするには、もってこいの日なのだろう。男の裸なんぞ見たくはないが、レディの方には、ウタマロの国の男子としては大いに気になる。と云っても、ブラジャの上に薄い透明のショールなど羽織っているので、期待薄だ。せっかく勉強しに上がってきたのだから、神経が散漫になってはいけないので、さらに梯子段を昇り、最上階の塔屋兼洗濯干し場で、「チベット語・日本語の英会話」の本を開く。
レッスン5、Who is it?私が発音し、チャンパが「ドナタ、デスカ?」と発声し、そして其のあとにチベット語で Su-re? と発音すると、私が「スレ」鸚鵡返しに答えるのである。最初はぎこちないチャンパの発音も、2時間もしていると、レッスン6の終りには、「パーティーはナンジからデスか?」、詰まりもせずに発音する。却って私の方が、「ツーチ チューツ ガツェ ネレ」が、発音出来ないでいるくらいだ。これから1年間も勉強すれば、チャンパは日本に来ても大丈夫だろうと思う。またノルブが、今のように日本語が出来るようになったのも、本人の努力も然る事ながら、モモエという良き伴侶に巡り合えたからであろう。
12時を10分ほど回ったところで、ノルブが帰ってきた。「昼になったから戻って来ました」というので、「知り合いのところで昼食を取ってくれば良いのに、私の方は1人でも行けるし、ここに居るチャンパと食べに行っても良かったのに」、ある一定の間隔をあけた方が良い場合もあるし、私も時には気を使う事もあるのだ。そんな私を尻目にノルブは、お父っあんとクリリンを連れて来ている。大人4名、赤ん坊1名でレストランに行くのだ。行くと言っても4メートル道路を跨ぐと、カイラシャ・レストランだ。丁度、昼時だったので満員で、屋上の展望台での食事は駄目であった。2階の食堂で我慢する。しかし我々はジャパン・マネーの威力で、ヒマラヤのダウラーダール山系を描く絵画を見渡せる、一等席に陣取った。だがしかし、注文したものは、いつものテントゥにミックス・チャンメンとミックス・モモとチキン&エッグのフライドライス。あんまり代わり映えはしない。ようするに庶民的な食堂では、ラーメンと焼きそばと焼き飯とお化け餃子の4種類しかないのだ。お父つあんは、やっぱり、テントゥとモモを一つ。チャンパはミックス・チャンメン。私はモモを二つ、チャンパの皿に載せてやった。クリリンに、モモとチャンメンを適当に盛ってやるとスプーンで掻き回したあと、モモは五本指だ。ノルブはクリリンの残りと焼き飯をペロリ。私は昨夜の返礼の事が頭に浮かび、ミツクス・チャンメンを八分だけ。“お天道様”に申し訳ないが残すことにする。全員が七分ぐらいを食べている頃、モモエが汗を吹き出しながら上がってきた。席を一つ拵えて、まずは注文で、ミックス・モモとミックス・フライドライス各1。
ここでアッパー・ダラムサラの街を簡単に紹介しておこう。ダラムサラは標高1,700メートルで、その尾根の疎間道を平坦に削り(ただし人力で)、道路幅を10メートルばかり拡張し、ゴンパ(僧院)などの建物を中ノ島?にして、両サイド、各4メートルばかりの道路を作り、その沿道に商店や食堂が並び立つ形式となっている。まぁ言うなれば、ダライ・ラマ法王様が、いらっしゃる公邸や僧院の門前町と理解した方が良いだろう。カイラシャ・レストランの窓から見ていると、それが良く解る。カイラシャを出る。北?へ向かうと、150メートル足らずで、タクシースタンドに着く。メーンストリートを走ってはならない規則になっているので、タクシーの乗降所が、北と南にある。それに、なんとぉ!あの昔懐かしき360ccの、軽オート三輪、40年前に流行ったダイハツ工業の“ミゼツト様”が、ご無事でいらっしゃる。しかも9台も、ご健在だ。その横には、昨日世話になった軽のワゴン車がある。昨日の運転手、乗って貰えると思って近寄ってくるが、これは断る。なおギャガルのような大型高級車はない。
「この広場より右のBhagsuロードを行くと、ヒンズゥ教の寺院があって、その上をさらに登ると滝があるーー」
ノルブが、私に説明を始めてくれる。
「——そこのTIPAロードを行ってTYCOの前を通り、山道を登ると、また滝に出るよ。———それから、ここを登って行くとダゥラーダールが見えるトリウンドへ行ける。だけど、朝早く、太陽が昇り始める前に出て行かないと、日帰りは出来ないよ。これは僕の経験から言える。——そして、この中の道はTCV(Tibetan Children’s Village)に着きます。それから、また歩くとダル湖に出ます。ダル湖は散歩するのには、持って来いの場所です。———最後に、この道はデリーから上がってきた道です。それからロウワー・ダラムサラに行くことも出来る道でもあります」
ノルブ、上級のガイドばりに説明してくれるが、固有名詞が多すぎて正直言ってすぐにはよく分からん。
「明日、政府の図書館と資料館などを見に行って、明後日ぐらいにロウワーに行きましょう」
モモエが追っ駈けるように、スケジュールを立ててくれる。あの手この手と、私を退屈させないように考えていてくれる。まことに恐縮の痛みだ。「極み」かな。
我々はそろりそろりと歩き出した。ここもデリーのチベッタン・コロニーと同じで、一筋300メートルを右から左へ、左から右へと、御輿のように練り歩く。14〜5分、ひやかし見物すると一周してしまう。13時32分、もうロセリングに到着だ。リンポチェとの約束は15時だから、まだ時間は、たっぷりある。一応ここで解散して、10分前にロビーに集合ということにする。
私は部屋に戻り、ここ3日ほど溜まっているものを洗濯する。下着類といえども手洗いは、落ちているのか、落ちてないのか解らない。水はデリーより冷たく、温水は蛇口から直接、熱湯が出るので、その調整はデリーよりも高等な技術がいる。やっとのことで洗濯を終えたが、干しに行こうか、行くまいか迷う。午前中なら一も二もなく干しに行くのだが、リンポチェとの約束がある。偉い活仏様と洗濯物と比較してはならないのに、大いに迷う。迷いに迷っていると、私の8代前が達磨大師であったので、前頭葉の脳幹を刺激させアクビを出させたので、その刺激に正直に答え、身を横にする。
胎内時計は正確で、8分前に起きる。服のままで寝ていたので、すぐに下に降りられる。フロント兼ロビーでは、モモエとお父っあんが待っている。リンポチェを待たせては、大変失礼になるので、すぐに表通りに出る。
「ノルブは?」
と聞くと、
「もう、すでに迎えに行って、おりよらん」
久方ぶりの三重県弁が出る。三重県弁が出るのは機嫌の良い証拠だ。
10分過ぎても、いらっしゃらない。20分、25分過ぎた。知人変人物乞いの連中は幾多となく通り過ぎるが、肝心のトォルク様は、まだ来られない。
15時30分、やっとState Bankの前に姿を現された。だが行き交う人達が挨拶をするので、なかなか此方には来られないでいる。コラ!ノルブよ、しっかり先頭に立って露払いをせんか!シャンバー・ウンチェンさん、あんたも、しっかり整理して貰わなきゃ困りまんがなぁ!42分、ようやく到着される。リンポチェにタシダレの挨拶。昨日と同じく、親しみ易く穏やかな雰囲気。リンポチェ、「お〜い、みんな、元気でやっているかい!何か、困ったことはないか?」と、気軽にロセリングに入って行く。セノゥル・ゲンズウ、シャント・セイジャ、ソナム・ショドウ等、一斉にソファーより立ち上がり起立する。そして尊敬の合掌。サブマネジャーのチクティ・ドルジェが、代表して「一同、なんの支障もなく元気に、しっかりやっています」の返答。
モモエ、チャンパよりクリリンを受け取り、「これが私達の息子のクリリンです」と、リンポチェに見せる。クリリン、偉い活仏様とも知らず、少し泣きベソ気味。リンポチェ、その頬を撫でたり、摺り寄せたり、どこにでも居る好々爺と同じ雰囲気。モモエ、厚かましくも「ミドル・ネームを戴きたい」と言う。これ、すっかり母親モード。リンポチェ、もう一度「日本名でも通じるような名前を付けたのか?」と、確かめたあと、「考えておく」と答えられる。
