「ミヨッさんのダラムサーラずっこけ探訪記21」(三好孝さん)

ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。


2月14日、水曜日。「昨晩は早寝をしたので早く眼が覚めた」のだと、思って時計を見る。6時42分、自宅で起き出す時刻と、そう変わらない時間であるのに真っ暗だぁ!なんだぁこの有様は!?と思っている矢先に、バシー、バシー、バシバシァー、バァバァー、バシバシと雹が降り始める。5分から10分、段々激しくなり間断なく襲いかかって来る。こういうのをブルザードーと言うのかと、思っていると今度は、ヒュウゥー、ヒュウゥー、それは文字では表現できないほどの突風だ。ヒュルルンー、ヒュルルンー、これも表現できないくらいに電線が唸っている。貧弱な電線が良く切れないものだと感心していると、さらに15分、ますます激しくなる一方で、これぞ“ヒマラヤ颪のダーキニーの襲来だ!”アッパー・ダラムサラは、狭隘の山岳地帯であるから、遮るものがないので直接、まともに屋根といわず軒先といわず、窓ガラスであろうが、壁であろうが、容赦なく、そして総てに平等に襲来して来る。「ドクロ杯を片手に、デンデン太鼓を振りまわしながら襲って来る」と、チベット人は表現するらしいが、日本的に言えば風神と雷神の襲来だぁ。

ガチャーン!と激しい窓ガラスの割れる音がする。ワァ〜アァーと叫び声が挙がる。ついに被害が出た!309号室のイギリスから来ている婆ぁさんの金切り声が、ゲストハウス中にコダマする。私はダーキニーよりも、この響き渡った声の方が怖い。しかし怖いもの見たさが人間のカルマ(業)で、廊下に出て見る。隣室の台湾人の親子3人が、もう顔を出している。婆ぁさんの右隣り部屋のオーストラリア人の夫婦が顔を出し、301号のノルブ達も、やっと姿を現した。
「おはようございます、ミヨっさん」

ノルブが、のんびりと挨拶してくれる。
「これじゃ、今日一日、停電になりそうですわ」

アクビを抑えながらモモエが言う。何をノンビリと、——あぁ〜、そうか、彼らチベット人は、何十度と体験してきているので、多少の事では驚かないというのか。しかし私には驚愕で、そして恐怖の体験なのだ。その間も婆ぁさんは、喚いている。私はこの声を黙らすためにも、早くゲストハウスの管理人が来ないかと、待ち望む。だが幾ら待っても来ない。
「いつものことですから〜〜」

モモエ、いとも簡単に言ってのけ、再び眠りに入るべく部屋に戻ろうとする。

バシュー、バギー、今度は鈍い音がする。おぉぉー!!ノルブよ、見よ!隣りの家のスレート屋根に穴が開いたぞ。凄いぞ、10センチは抜けている!

このダラムサラの切り立った斜面よりも鋭角に、雹が当たったためだろうか?

遠くを見ると、タルチョの一方の紐が切れて鯉のぼりのように、水平に旗めいている。ボコーン、近くで音がする!向かいのカイラシャの屋上の椅子が、もう一つ倒れた。風速30メートルはありそうだ。スリル満点の光景だぁ!
9時半まで寝る。あれから暫く外の風景を眺めていたが、私の部屋の窓からは今まで伝えて来た風景しか見えないので、見ている内に飽きてきた。ベッドに横になっている内に怖さも半分に消え、朝寝をしてしまった。チャンバがやってきた。モモエが呼びに行けと言ったらしい。停電で湯が沸かない。贅沢をしている積もりはサラサラないが、いつもお湯をふんだんに使っている文明人の弱さを暴露する。水がとても冷たく感じる。歯磨きも、そこそこにして、ノルブ達の待つ部屋に行く。親子3人、ベットの上でモモを喰っている。昨日、私がうどんを二杯食べ、モモの方は2個で止めた。で、残りの分が朝食という訳である。しかしながら、まだ相当数、蒸し器の中にある。暖め直してくれてはいるが、こう毎日、朝昼晩のどれか一回にモグ(mog)モグ(mog)の姿を見ていると、食傷気味、いやいや「あっちへ行け!」って感じだ。しかし外は相当強い雨風で、今朝はパレ売りのオバサン達も仕方なしに休んでいるだろう。私も職人の1人として、仕事に行けない辛さは解る。と言いながら、紅茶をすすり、赤ちゃんの握りこぶしほどのモモを5個も食べる、このオゾマシさはどうだ。醤油に練り辛子を溶けこまし、豚饅風に食べてみても、やはりモモはモモだ。これならtsam・pa(ツァンパ・麦ころがし)の方が、まだマシだ!一度、パクツァマルク(pag tsa mar khu・バタ、砂糖入り)を喰おうと意見を出す私。そして酵母菌入りの正式な?パンを焼こう!声を大にする私である。さらに饂飩や蕎麦のある「日本食堂」を開業しろ!と、せまる私でもあった。

小難しい話しもなく、他愛もない話しをしつつ、ひと通りの朝食を済ませる。勿論、今日の日程は無し。それを見越してか、チャンバはむずむず?している。それに答えるべく「チベット語・日本語、英会話」のレッスンをする。此処に来て3回目、デリーを入れて7回、レッスン13になるが、チャンバは本当に熱心だ。前回の復習を読ませても、総てのローマ字を詰ることもなく、スラスラと読む。却って私の方がチベット語を理解出来ないでいる。
「ミヨっさん、昼飯が出来たけど喰いに来る!?」

ノルブが呼びに来る。時計を見ると12時をとっくに30分も廻っている。

時間は昼どきだが、腹は減っていない。
「皆も待っているから、早く降りてきて下さい」

再び、ノルブが急かせる。

皆?待っている????クエッションマークが3つも続く。ともあれノルブに付いて行く。廊下を通り階段を下りるが、ダーキニーは集団でオイデになっている。所構わず暴れ廻っているので、床は2センチからの水没だ!こういう時は日本の様に建築基準どおり施工されていれば、平均的に2センチの水深?だが、チベット建築は実にユニークにデコボコを造ってくれているので、凸の部分を見つけながら階を降りることが出来る。1階のフロント・フロアーはドルジェーやセイジャ達によって雨水の浸入はくい止められている。と、いってもボロ雑巾とボロ布で土嚢のようにしてあるだけだが、これが結構雨水の浸入を塞いでくれる。ただ一つ困るのは、人の出入りによって滴り落ちる水滴であるが、そこはノルブの1番の親友のセノゥル・ゲンズン、通称サブちゃんが鼻歌を唄いながら、モップで絶えず拭き取りに廻ってくれている。

食堂に入る。すでにノルブのお父っあんを始めとする一族が、奥のテーブルを占領している。手前のテーブルにはシャンバー・ウンチェンを筆頭に、ドルジェーと若い僧侶達が行儀良く並んで、料理の出来上がりを待っている。食堂の灯りがロウソクであるので、「最後の晩餐」を思わせるような雰囲気である。ただ、こちらは仏教僧達なので、赤い衣を身に纏い居並んでいる風景は独特なものが漂ってくる。チベットの線香が、ほの暗い中に「鮮血の一滴」を思わせるように光り、線香の独特の香りが食堂を始めとしてロスリングの部屋の隅々にまで、「儀式的要素を含ませた宗教感」をくねらせながら上昇して行く。そんな中をノルブと昨日着いたばかりのサルパーが、大鍋を抱えて調理場から出てくる。そのあとを追う様に、このゲストハウスで1番背丈の高いミクマルとその弟のギョクチュが、これまた2人がかりで持って来る。その匂いを嗅いだだけで、もう小僧どもは犬のように鼻をピクピクさせ、狼のように腹をグウグウ鳴らす。しかし、まだオアヅケだ!さらにもう一往複し合計4つの大鍋が、壁際のテブールの上にデーンと置かれると、小僧どもは立ち上がる。けれどもサブマネジャーのチクティ・ドルジェーは、最長老のお父っあんに敬意を称して1番先に取りに行く様に勧める。お父っあんが席を立つと、2番目に私に行け!と言う。何故?と、戸惑っていると、モモエがどうぞ!と、さらに勧める。ノルブモモエが「私を特別の人だ」と吹聴したらしく、それが故に、

そしてDoboom Tulkuリンポチェと親しく会話しているのを見ている所から、この食堂の賄い食をお呼ばれが出来る「スペッシャル・ゲスト」に昇格していたらしい。ちなみに他の宿泊客は“ダーキニー様のご機嫌”が直るまで腹ペコで我慢するか、暴風雨をついて外の食堂に行くかだ。だが外食に行ったからといって、店が開いているかどうかは解らない。運良く食堂を見つけたからといって、その食堂がこの状況下で満足したものを作るかどうかは、仏様のみが知るところである。

是非と言う言葉と共に、私が行動しないと小僧どもの腹が益々鳴るので、今度は遠慮なく取りに行く。インド風ミックス・シャーのカリーと、これまたミックス・シャーのチョウメン(五目焼きそば)とモモとライス(rlangs pas tshod pa、蒸気で蒸した飯)が並んでいる。私は二つの皿に適当に盛り合わせ、自席に戻る。私が席に着くと同時に、小僧どもは、もう誰彼なしにワイワイ、ガヤガヤと、俊敏を誇る雪ヒョウの様に、そしてガツガツと喰らう青馬のごとく獲物に向かう。だがしかし、自分の取り分を眼の前に置くと、それはピタリと静かになる。一応に皿の上は山盛りで、それは2皿3皿と並んでいる。スーチャ(バター茶)が各自に配られ、配食係のノルブ達も席に着く。全員が座り、やや一呼吸をおいたところで、シャンバー・ウンチェンを筆頭にダミ声の「お経」が始まる。チベット仏教の食前の感謝の読経を見るのが初めての私は一瞬たじろんだが、日本でも昔、このように恵みに感謝して一同が「戴きます」と、合掌してから食事を始めたものである。飽食だった日本が不況になるのは当然の結果だろうと、今一度反省する次第であり、自然に両手が合掌の形になる。勤行は般若心経のように短く簡素なものであったが、その精神は人類の調和と恒久平和を願うギャワン・リンポチェを代弁するに等しいものであった。食事中は静かだ。いや若者達の集まりにしては静か過ぎる雰囲気に、拍子抜けの私である。ただ赤唐辛子の壷が行ったり来たり、忙しくテーブルの上を飛び廻る。私などはオレンジ色のカリーの胡椒のような山椒のような、得も謂われぬ辛さに閉口しているのに、さらにそれを上回るように、赤唐辛子を追加するのである。しかも、お父っあんまでもがーーー。

14:25分、食事が終り部屋に戻る。クリリンは食事の間にもチャンバ小父さんの膝の方が良く、終ったあとも、お父っあんらと共に下宿先に行く。ジャも良いが、あれはスープがわりのつもりだったので、日本茶が欲しくなる。例の英国御用達を持ってノルブらの部屋に行く。2人の邪魔をしたくなかったが、なにせ私の部屋には魔法瓶が無い。旅も残り5日となったので、今更買う気持ちが起こらない。まぁ紅茶だけでも良いや、と思っていると、慈悲観音?の化身、モモエのチベット語の先生が、ケーキーを焼いて持って来てくれた。

ニィマ・ドルマ先生は、お年は秘すが3ッ編みした髪を肩下まで垂らし、袖の無いドレス型のチュパの中に長袖のブラウスを着込み、七色のカラフルな横縞のパンデン(前掛け)をされておられ“チベットの良き時代”を思わせような服装をされている。また碧玉と水晶玉と白玉の組み合わさった首飾りが、良く似合う方でもある。しかし内面は小柄な体格にも係らず自由闊達であるが、躾には厳しい方であるように思われる。その証拠に、あの自由奔放なモモエでさえ、先生の前では身を縮こませている。このダラムサラで8ケ月間滞在し、今の様にスラスラとチベット語が出来るようになったのは、一重にも二重にもニイマ・ドルマ先生のお陰です、と話すモモエの顔は輝き、厳しさの中に優しさを見出したからであろうか、これまた照れ笑いの表情を見せる。そのニィマ・ドルマ先生の若き頃の思い出話しを聞いていると、ひとりでに素晴らしい詩が私の頭の中に湧いてきた。「蒼き草原の詩」と題した。ここでその詩を紹介しようと思ったが、この自分旅行記の編集担当者が「三好さん、別の機会にとっておきましょう」と言うので、残念だがその言葉にしたがう。

チーズケーキと紅茶でニイマ・ドルマ先生を囲んでの話しは、1時間に及んだ。勿論チベット語は理解出来ないが、ときどき自分の生徒であるかのように通常よりもゆっくり、そして身振り手振りを加えながら話してくれるので退屈はしなかった。その上、時よりモモエノルブが通訳してくれるので、ダーキニーの機嫌が直ったのが解らなかったくらいである。4時近くになり、空が明るくなったのでニイマ・ドルマ先生は自宅に夕食の支度に帰ると言い出したので、見送りを兼ね、我々も表通りに出る。先生と別れたあと、我々3人は部屋に戻る気分にならなかった。そうかと言って行く当てなどなく、ただ所在なげに歩く。天候は回復の兆しがあるのだが、停電の方は予測がまったく付かない。遠くの方で発電機の音がしているが、法王庁とドプン・リンポチェと食事した迎賓館と、あとは外資系のホテルだけだろう。その証拠に8割方の宿屋と土産物屋は開店休業状態で、店主が手持ち無沙汰で店前で腕組みをしている。
「退屈でしょうから、インタネット・カフェにでも行ってみましようか?」

モモエが誘うので、それに便乗すべくタクシースタンドの広場へと、坂道を登る。広場の例の場所には例の、タバーン3兄弟が陣取っている。まさか嵐の間でも立っていたとは思わないが、現状を見た限りでは、まったく不自然ではないようにも思えるから不思議である。
「三好さん、あそこのカフェ屋、開いています!」

モモエが指差す方向は、広場を右にTIPAの方へ曲がり50メートル程先の仏具屋の隣りにあるカフェで、すでに4人ばかり先客がある。何もこんな日までインタネットに凝らなくてもとわたしには疑問が生まれるが、モモエはこの部分においてはミステリアスだぁ。ノルブと“ミゼット様”のタクシー乗り場へ行くと、Mall Rdとmain Rdの交差する2階屋に電気が点いている。
「あそこは何屋さん?」私が問うと、ノルブは「亡命政府がやっている電話屋」だと、答える。インタネット・カフェの奥にある電話室のようなものかと、再度尋ねると、そうではなくて純粋な?電話の取次ぎ店だと言う。この辺では、有線の電話の普及率は30パーセントで、各家庭には電話機は無い。勿論、携帯なんて見た事のない者ばかりだ。あれこれ、2〜3尋ねている内に、私の心の中に悪戯心が生まれた。有線電話に掛けられる事は解っているので、「日本の携帯電話に掛けられるか」と、質問して見た。日本でも携帯を持っていないノルブは、さぁ?と首を捻ったが、私はノルブを困らせる事と、チベット語で尋ねて貰える有利さで入って行った。ノルブに通訳して貰うと、係の女性は出来ますと言うので、掛け方を教えて貰う。掛け方は本当に簡単で、彼女が切り替えスイッチを“ON”に入れ、電光板が点灯してから国際電話と同じく、001をプッシューし、あとは相手の携帯番号をプッシューすれば繋がる仕組みだ。友人のY・N氏に電話を入れる。遠い異国にもかかわらず、相手とは音声も鮮明に聞こえ、まったく普段どおりと同じで、通信技術の発達に感心する。開発途上国の中でもインドのハイテク技術には、特に目を見張るものがあると、アエラに書いてあったが確かにそうだと思いながら出るのを待つ。

インドからや〜今、そっちは何時や〜そうか、飯喰っているんか?

何喰ってるんや?何!四国饂飩やと〜うらやましい!こっちは焼き飯と焼きそばと餃子とスイトンばっかりで、もうウンザリや!ところで、何か変わった事があったか?何、ハワイ沖でアメリカのゲンセンが、日本のショウセンを沈没させた!それで、6人死んで、16人が行方不明やーと!えぇ、そりゃなんちゅう事をさらすねん!なに〜い!首相はゴルフ中に報告を受けても、そのままプレーを続けていたちゅんかーい!!〜〜今、国会で問題になってるって?そりゃ、そうだろう!〜〜うーん、タカちゃんに電話したれって、OK解った!帰ったら「なんとか」で、一杯飲もう。それじゃ〜また電話する、バイバイ。———電光板は4分05秒。
「小野さん!タカチャン?また会社のソファで寝転んで、つまらん雑誌なんか読んでいるんやろう!オレ、今インドから掛けてんねぇ。Nがそっちにも元気な声を聞かせたれって云うからした、元〜気!〜〜あーそう。みんな元気!?パパから貰ったペングローブ、まだ1錠も飲んでない。ミネラル・ウォータばかり飲んでいるから大丈夫や!〜〜こっちは今、台風なみの嵐が治まったところやけど、なんや、そっちは今、大変な事になっているらしいなぁ。まったく阿保な、首相やでぇ、〜〜ありゃ、もうじき首になるでぇ!そうか、うぅ〜ん、正確な事は解ってないんやなぁ。えぇー、ここはインドやでぇ、ダラムサラやでぇ、新聞なんかあるかい!?〜〜うん、明日また電話するから、〜〜何ぃ!明日はゴルフやと?〜〜〜ハンディ30貰っても100切れへんねんやろ、辞めちまえ、そんなゴルフ!ゴルフ場でも携帯は入るから、電源入れときやぁ!それじゃなぁ、バイバイ。——3分13秒。合計7分15秒=429秒。タックス&手数料込み、日本円1,943円は、まったく安い。

電話を終えた私とノルブが、“マニ堂”より2軒上の建物の中にあるヒンズゥー教の集会場で信者達が12〜3人程祈りを捧げているのを見学していると、
「ここでしたか、捜しましたわ?」

振り返るとモモエである。
「インタネットは、もう済んだのかい?」

私は国際電話での件を話し、何かその様な情報を入手していないか尋ねた。
「いや、残念ながら店に行ったら自家発電機なもんで、容量不足か知らんけんど、えらいゴーストが入って幽霊みたいなもんで、〜〜ほんでもって、こりゃアカン思って辞めましたわ。それやったら、明日にでもリンカ宛に打って、確かめてみますわ」

空はまだ、ダーキニーの機嫌が直ってないと見え薄暗いが、モモエの三重県弁は明るい。ニィマ・ドルマ先生と、お茶をした事もあって、他の店に改めて入る気持ちも起こらないので、我々は所在がなく帰る事にする。ショールが“160US$のグーリンターラー”と、ショールの彼女のサキナー・ドルカンが作る“巨大なmog mog”が待ち受けているとも知らずに。

読者諸君よ、私は忠告します。チベットとその圏内で、ダーキニーに出会った日は「ご注意を!」

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