ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。
2月15日、木曜日。昨日の悪天候に比べ、今朝はまったくの快晴で、その証拠に丸裸のままで歯磨きし、朝シャンをしている。窓から見るかぎりでは雲は吹き飛び、ヒマラヤン・ブルが快く目覚めさせてくれる。裸のついでに昨日までの汚れ物を洗濯するが、寒くもなく熱くもなく体感温度では25度位で、四月中頃の気候だ。朝食を例によって、ノルブ等の部屋で呼ばれる。
「ミヨっさん、今日はコルラ(巡礼)をしましょう」
昨日のダーキニーの襲来を埋め合わせるかのように、ノルブが気を使ってくれる。そういえばデリーでも、このダラムサラでも観光や買い物はしてきたが正式な巡礼?をした事がないのに気付いた。特に此処、ダライ・ラマ法王様の居られるダラムサラでは、今年はIRON−SNAKEの年だそうであるが、24日の“ローサルの説法日”には、私はすでに帰国してしまっているので、せめて法主公邸とKalacha・Templeだけでも、今日明日にでも行っておかなければいけないと言う責務めいたものが沸き起こってくる。
9時25分、私とノルブとモモエの3人はゲストハウスを後にする。例によってクリリンは、チャンバ叔父ちゃんに抱かれ、手をバイバイと振ってくれる。そのいじらしい事、その可愛い事、それに対比して、この夫婦の能天気な事、まったく父親不在で母親失格だろうと思う。だが、その半分は「私への心配り」ということで、少しは私も反省する。
Doboom Tulkuリンポチェと御逢いした宿舎を左に見て坂道を少し下る。途中まではチベット博物館兼図書館と同じ道だ。
「ここが、チョコレート・ログと言ってケーキやパイなどを食べさせてくれます、結構いけますよ。私も、ちょこちょこ来ました」
モモエが、ガイド嬢の様に案内してくれる。それじゃ、茶でもシバイたろか、河内弁よろしく言ったが、店はシーズンオフの閉店中で、五月にならなければ日本人シェーフが戻って来ないと言う事で、残念至極である。
図書館への道との別れ道が、リンコルと呼ばれる巡礼道の始まりでもある。坂道を下ると、所々に白いペンキを塗りたくったあと、真言の経文や蓮華相や吉祥草の図柄などを彫刻したマニ石がある。マニ石の大きいのは両抱えもあるものから、小さいのは両手ほどの大きさで20〜30位が、一つの“塚”になっている。ノルブの説明によると、白い色は清浄の色で、丘の上で瞑想なされているダライ・ラマ法王様を慕って“コルラ(聖地巡礼)”の道すがらには一定の間隔であり、“一里塚”の役目もなしている。また、あとより来る同朋の巡礼者への目印と、休息を癒す場所でもある。石の種類は堆積岩、変成岩、種類は解らないが赤茶の石で、この石はマトゥラーあたりでは観光用に仏像などに造られ売っているらしい。そして大体おもなものは青い砂岩が多く、これは石にしては柔らかい方なので、彫り込みに手間が掛からないからだろう、とノルブの説明である。まぁ、云うなれば其処いらにある、“道端の石”だ。だが石の表面はそれらの安直さにくらべ、“魂”が入っており、私でも読めるお馴染みの「オム・マ・ニ・ぺ・メ・フーム」や「オン・マニ・ペ・メ・フ〜ム」の他に、家内安全や旅の安全を祈る「オム・ヴァ・ジャク・サツァータ・フーム」や「オン・タレ・トウ・タレ・トウレス・ワーハ」などがある。さらに眼についたのは、「ダライ・ラマ・タムパ・ケーナムキー・ゴンパ・キューキ・ラプチェン・ゼーパラ・ダクチャー・サンパ・タクペー・イーランゴ(豊潤なる知恵の持ち主の法王様、貴方の偉大なるご活動に、私たちは心強くお慶び申し上げます)」で、熱心な信者さんが大金を払って寄贈したのであろう。山肌に一際大きく建立されてある。その他の石類は、「チベット人の大まかさ」と「チベット人のええ加減さ」で、無雑作に積み上げている。本当にどうでも良いように積まれており、中には山道に落ちている物もある。私はこれを見て、また悪戯がしたくなって来た。
「これ一つ、記念に持って帰ってええかぁ?」
ノルブに問うて見た。
「気に入ったのがあれば、他の人が供えた物でも持って帰る人は沢山います。別に構わないでしょう。但し、そのかわり少しばかり喜捨して下さい」
ノルブ、チベット人の気前良さで言う。私、その言葉をそっくり信じ、チベット文字の勉強にしょうと、軽さ重さ、大きい小さい、バッグに入れる事を条件に適当な青石を選ぶ。その代り、取った石の上に20ルピーを置く。
暫く談笑しながら山道を降りたり登ったり、散歩気分で歩いていると、
「野糞をして来るので、先に行ってくれ!」
ノルブ、大声を出すが早いか、岩肌がゴツゴツ向き出ているヒマラヤ杉の急斜面の谷底へ降りて行く。それはまるで野猿かカモシカのような早さで、私とモモエは顔を見合わせ、笑う暇さえないほどの瞬く間の出来事であった。
「三好さん、昨日の雨のお陰で山が、雪山に変わってますわ」
モモエが、ノルブのバツの悪さを隠すように話しを他に持って行く。私、敢えてモモエの指差す方を見る。モモエの言葉どおり、前山はさほどでもないが、その後方の山々が真っ白な雪に覆われている。ヒマラヤ連山の極一部だが、雪山はやはり良い。雲の位置も良いので、デジカメを廻す。右から左へ、さらに元の位置に戻し右から左へ、5〜6分、撮り終えたところにノルブが帰って来た。少し匂うなぁ、テッシュー持ってたんかぁ?持ってた、持ってなかったらどうするねん?小石で拭く、——他愛もない話しをしながら7〜8分ほど歩くと、八つの大きなマニコルが設置されてある場所に出た。さらに15段ほど登った所に、ゴンパにしては小さいが少し大きめのチョルテン(仏塔)が建立されてある。私とノルブは、我々より少し後から来たチベット人の巡礼者達がマニコロを廻している風景を撮影すべく、カメラを身構えた。しかし巡礼者達は、我々の意図する所を考えてもくれず、「オン・マ・ニ・ペ・メ・フーム、オン・マ・ニ・ペ・メ・フーム、オン・マ・ニ・ペ・メ・フーム」と、真言を唱えながら廻したあと、駆け足のようにチョルテンへと登って行った。別にカメラ目線をくれとは言わないが、もう少しゆっくり廻してくれたらなぁと思うが、逆に彼らは撮影の邪魔をしてはならないと勘違いしたのかもしれない。それが本当なら悪い事をしたと反省しなければいけない。だが、その罰でもないが、撮影は太陽の光が眩しく陰影が強くて、残念ながら失敗に終った。
この失敗をモモエと、8頭の牛が笑っているのが悔しいので、私とノルブは彼らのあとを追って、チョルテンへ登った。チョルテンの扉は閉まってあって何が安置されてあるのか解らないが、私も「オン・マ・ニ・ペ・メ・フーム」を唱え、一際大きなマニコロをノルブと2人で廻した。一回転するごとに鐘が唸り、3回以上回転させなければ御利益がないと言うので、5回転もさせてやった。私の死後は、これで蓮のうてなの上で飛び廻る蝶々に生まれ変われるであろう。
人の気配がする。目線をやれば、丘の上の有刺鉄線の中に国軍の兵士が立っている。一定の間隔で立っているところを見ると、法王様を身辺擁護しているのであろう、ご苦労様と言ってやりたい。そうこうしている内に、法主公邸の前に出た。ノルブやモモエの話しによれば、Bhagsu Rdのセキュリティ・オフィスに事前に謁見の手続きを申し込んでおく必要があるとの事だが、なにしろ多忙な御方なので謁見できるのは月に1〜2回程度であるが、それも外遊などが多くあるので、相当長期間、このダラムサラに滞在出来る人でないと難しいとの話しだ。勿論個人謁見などは到底無理と諦めて、集団謁見で運良く御逢いする事が出来ても1人3秒程度で、これも良く良く運がよければということで、ダライ・ダラ法王様自身がブレッシングした、スンドゥー(赤い紐)が貰えるというが、チベット語が出来ないと、御逢いした“本当の意味”がないとも言う。今は“ローサルの説法日”を控え精神を集中させるために、“御篭り”になっておられるとの事で、確かに居られるので門の前で合掌し、広場を渡りkalacha・Templeに入る事にする。
堂内に入ると、正面と左右の両側面に壁画が施されてある。この壁画は、日本に帰化したチベット人絵師(ノルブに聞いたが、彼は知らないという)が総監督を務め、3年がかりで仕上げたものだそうだ。ノルブはあまりにも、この本堂に入る事が多過ぎたせいか、それとも僧籍を離れた気軽さか、はたまた日本人化してきたせいか、私の5分の1ほども仏心がなく堂内を歩き廻るのみである。そうかと謂って、堂内の四方の隅に行っては壁を向かって半跏座に座り、両膝に妙観察智印で、座禅僧よろしく瞑想している女の子も始末が悪い。そこに座り込んだら、オジサンがじっくり見ようとしている絵の邪魔になる!GパンにTシャツ、髪は栗色で肩まで垂らして、どうも日本の若い娘さんみたいだが、何を瞑想しているやら、若い身空で、そんなにキバらんでもよろしいやぁないか。あぁーまた動いた!10分間隔で動いては、あっちの隅、こっちの隅と、まったくハムスターみたいだ。“ローサルの説法日”まで続ける気かいなぁ、オジサンは、わが同胞としてはやって欲しくない。やるなら作務衣ぐらい用意して来なさい!そして、ここはチベット仏教の総本山であるから、チベット人同様に五体投地をして心身共に投げ出して、無我の境地から“仏陀と同化”しなさい!思わず興奮してしまった。
堂守僧がやって来た。撮影禁止なのでカメラは仕舞ってあるので問題は無い、それとも施しの催促かなぁと思ったが、すでに本尊前に50ルピーを喜捨しているので、まずそれでは無いと思った。声が大きいのが駄目ならトーンを落すが、元々チベット人は地声からして大きく、草原で大声で話す習慣があるので、私もノルブと話しをするときは、少し離れて話す。それでは、?マークが頭に付く。モモエの説明では、「賽銭も大声も、早朝から来て長時間いても構わない」いつもの「チベット人の大らかさ」とチベット人のええ加減さ」である。但し長時間堂内にいると、ドロボウさんに靴を盗まれるので注意をしなさいと、ご丁寧に注意をしに来てくれたのである。その話しを聞くやいなや、ノルブは大慌てで入り口に走っていく。なぜならばノルブの靴は、デリー最後の9日に買ったという、例のメイドイン・チャイナ製で850ルピーの新しい靴である。
「ミヨっさんはゆっくりとして下さい。僕が靴を見ていますから!」
瞑想中だった娘さえ吃驚するほどのノルブの大声が、堂内中に響き渡る。
モモエは恥ずかしがったが、私は堂内の見物客が、その娘1人だけである事を良い事に、まだ見ていない壁面を巡り、さらに眼に焼き付けるべく堂内をさらに一周して表に出た。すると驚いた事に、我々よりも早くから巡礼していた、お父っあんがノルブと一緒に待っていてくれるではないか。
「タシダレ、パァ ラー、クス、デポ、ユンペェ。ケランーラ、コルラ、ペーゲ、ユン?(おはよう、お父っあん、巡礼しているのかい)」
お父っあんに敬意を表して、朝の挨拶をする。すると、お父っあんは。
「デポユン、ケランーラ、カンダユン?」
大変ありがとう、元気です。ところであなたは?と返礼してくれる。そのあとノルブに、もう少しリンコルを廻ってくる、と言う。モモエに「昼飯も近いから、一緒にロスリングに帰ったら」と通訳させると。お父っあん、例の数珠を差し上げて、袖数珠の片方が、まだ残っているので、終ったら帰ると、もう歩き始める。私は、これ見よがしにする信仰心より、お父っあんの様に不器用でも一生懸命巡礼する、寡黙的な信仰の仕方が好きだ!
「ケイドゥ、ジェラ、ジャル、ユン(また、あとで逢いましょう)」
お父っあんの背中に、声を送った。
ロセリングに帰ると、ショールの従兄弟のミクマルが、クリリンを抱いているではないか。驚いて聞いて見ると、チャンバは風邪気味だったのでミクマルに替わって貰ったのだと言う。同居のショールは私から手に入れた金を持って、早朝から遊びに出て行ってしまって居らないという。当のチャンバは、インド人の占い師の所に行き、インド製の薬を調合して貰い、服用したところ、副作用が強くて参っているという。インドの薬は人体実験のように強すぎるので、しばしばこの様な副作用が出るのである。急いでチャンバ達の部屋に行く、チャンバは熟れすぎた林檎のように真っ赤な顔して、身体をくの字に横たえている。風邪薬に頭痛薬、胃痛に腹痛、抗炎症鎮痛解熱消炎剤に正露丸もあるぞ!これで足らないなら抗生物質の「ペングローブ」の250mgもあるぞ!!このペングローブは小野水道の小野さんからに貰ってきたもので、エイズ以外は効くという代物だ。チャンバに飲め!と渡してやったが、チャンバは更なる副作用を恐怖して、怖がって飲まない。モモエに梅干しと海苔を渡すから“お粥”を作ってやれとアドバイスしてやる。ところがモモエは、「チベット人はお粥なんてもん、喰べる習慣がありまへん。それに2日前の事も、ありますので」非常に消極的である。こうなれば、野生のチベット人としての自然治癒力を期待するより仕方がない。チャンバよ、頑張れ!
そういう訳で夕食は、私とノルブとモモエにクリリンだけで、浮いた気分にならないのでバザル通りの安レストランで簡単に済ませる。お父っあんやミクマルは、チャンバの介抱を兼ね、残り物で我慢するという。ロスリングに戻ると阿倍野さんが待っていた。彼は、19:00のバスでデリーに戻り、さらに南インドの寺に戻るので、別れの挨拶に来たと言う。そこで例のお婆さんの其の後について聞いてみた。
「あれから色々話し合いましたが、取り敢えず見積もり書を私宛に郵送して貰い、その金額を見て、私が八月にもう一度戻って来て、安ければ全面的に直し、高ければ一部か、三好さんの提案されたブルーシートーで我慢して貰う事で話しがつきましたで、安心して下さい」
と言う。その話しを聞き、まぁそれが順当な手段なので、私もひと安心した。安心したところで、私は彼にブラウン・ティーをご馳走した。それから15分程雑談していると、もう時間がなくなったと言って、阿倍野はバス・タミナルに向った。バスは国営のバスなのに、適当に客を乗せると定時前に出発した。
私とノルブが、ゲストハウスに戻ると僧侶達が暇を持て余しているのか、トランプをしている。トランプゲームの内容が解らないが、見ていると四人1組だが、対面同士が味方で、1、2、3——と数を追っていくのだが、眼で合図して相手チームの出し難いカードを出して、わざと邪魔するのであるが、突然、花札のように座布団に思い切りぶつけるのである。ノルブに説明を求めたところ、ノルブはあれやこれやと言うが、まったく理解出来ない内容なので、途中で諦め、黙って見ていることにする。そうしていると、シャント・セイジャが写真を見てくれ!と言う。「これが修行した寺で、これが家族で、これが友達で」と説明してくれる。50枚位見終わると、今度はチクティ・ドルジェーが俺のも見ろ!と差し出す。これもまた「師僧や兄弟子や弟弟子や同僚や、それにこれがファミリーやぁ」と、頭の上から靴先まで説明してくれる。次はセノゥル・ゲンズウことサブちゃんが、100枚を越したのを持ってくる。もう勘弁してくれ!と叫びたいが、昨日の「賄い食」を食べてから、私は同僚か親戚扱いになったので、彼らは決して開放してくれない。若い小僧3人までもが持って来る。写真というのは、彼らにとっては“宝物”で、それを見せるということは、「信頼が出来る」という意味なのだが、良くこれだけを持って歩いている事の方に関心が行く。
ひととおり、目をやると眼が疲れる。停電を期待したい所だが、昨日のお詫びか?今夜は停電しない。停電が無い!と解ると、ノルブの悪い癖が出る。21:15、ひょんな話しからから飲みに行く話しになり、ノルブ、親分気取。
