「ミヨッさんのダラムサーラずっこけ探訪記24」(三好孝さん)

ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。


2月17日、土曜日。今日も愉快な日になりそうだ。「今日も」と言うのは、1月26日に不幸にして起こった、グジャラート州のブージー近郊を震源地とする「インド大地震」のチャリティーショーがTIPA(民族舞踊団)の会館で行われるからだ。ノルブらを朝食に誘って階下の食堂に下りて行くと、昨晩とは違った、にこやかな顔が逢う人達ごとにある。大僧から小僧まで今夕を、楽しみにしている。パレを頼むと、サブちゃんが運んで来る。頼んだ数より5枚も多い。「これ、僕のおごりネ」、例の鼻歌まじりで答え「昨日のご馳走は本当においしかった」と座って話し込む。ダベっていると、「片付けの皿洗いが、

まだ残っているぞ!」と、セイジャさんの叱咤の声が奥から飛んで来る。
「ミヨっさん、退屈でしょう?山の滝へ行きましょう」

ノルブが食事のあと、誘ってくれる。
「僕も行く、案内します、一緒に行きましょう!」

どこで聞いていたのか、サブちゃんも行くと言う。

セイジャさんに怒られるのではないか?と心配するのを蛙の小便のごとく、平気な顔で行く気満々。私、サブちゃんに大変気に入られたいみたいで、蝿のように追っても追っても付いて来る。表通りに出るとクリリンを抱いたチャンバが居たので誘う。さらに一緒に居た、ミクマルとギョクチュにも誘いを掛ける。ギョクチュは15〜6歳の少年僧で、はにかんで答えが出ない。1番年長のノルブが「付いて来い」と言ったので、ようやく重い腰を上げる。例に依ってモモエは、ニィマ・ドルマ先生とか友達の所とか、理由を付けて雲隠れ。

タクシーとバス・スタンドのある広場では、ターバン3兄弟が今日もいる。彼等を確認したあと、バクスロードのクンガ・ゲストハウスやグリン・ホテルの前を通り、水道管が剥き出しになっている、だらだら坂の山道を歩く。普通に歩けば20分で行く距離をダベリングしながらなので、1時間掛かった。200年以上は経っていそうなヒンドゥー教の古いシヴァ寺院がある。ミニーワゴンの“ミゼット様”なら登ってこられるのか、タクシーを使ってまで参拝に来る熱心な信者の一行がある。それ等、参拝者や観光客を目当てに喫茶店や食堂、そしてホテルもある。元来“ダラムシャーラ”とはヒンディー語では「巡礼に行く」という意味で、この「バクスナート寺院はヒンドゥー教の中でも屈指の名跡」だと、仏教僧であったノルブが説明してくれる。さらに昔は、このダラムシャーラは住む人も少なく、その名の通り巡礼に来るだけの田舎の村であった。1959年3月にダライ・ラマ14世が亡命し、法王様を慕ってチベットから移住して来た者や支援者達によって亡命政府を確立するに至っては「街化」して行き、今は「ダラム・サラの通名の方が知れ渡っているのではないか」と、これまたノルブの説である。だが敬謙なるヒンドゥー教徒もいるし、キリスト教の洗礼を受けた外人達も観光にやって来るという、混ぜん一体の町になっているのも事実である。

二つの沐浴場がある。1つは谷川の水を引き込んで3メートルの落差をつくり、日本の修験道の滝行場的雰囲気のものと、その横に5メートル四方で水深は1.5メートルほどの露天風呂的プールである。2人の若者が沐浴をしているが、さすがに2月だ、半袖でも良いくらいの気温だが、インドと云えども少し寒そうである。それを横目に、ガレー場の山道をさらに上に登ると、谷川が縦1字に見える所に出てくる。急峻の谷に川の水は何も遮るものを許すことなく、秒よりも早い刹那のごとく流れている。ところが人間の知恵はそれをも、うまく利用して、石コロで囲み水を取り入れて洗濯をしている。石鹸は角型の、例のごつ〜いヤツだ。洗うと、大きな石に貼り付けて、天日干しにする。乾き切った時に、風が吹いたら飛ばされるのではと心配するが、これは日本人の悪い癖で、チベット人とインド人は何も考えてない。万国旗のように満艦飾だ。
「滝です!」サブちゃんが叫ぶ!おいおい、案内すると言ってロスリングを抜け出して来たが、この一言だけか!?本当にチベット人はええ加減だ。それでも橋の真中まで行って見るのは、日本人の意地汚さか!滝口は2メートルで、落下しても滝壷はなく、巨大な岩盤にしぶきとなって四方に飛び散り、また集まって川となって流れ行くのである。
「今年は暖冬で、雪が少ない、これでは乾期には断水騒動が起こるだろう」ぼやくようにノルブは言う。

例年を知らないので私にはどうも言えないが、サブちゃんだけは何処に住んでも困らないだろう。琴滝のような細滝だが新鮮に見えるのが、チャンバやミクマルなどは感動の様子で、滝をバックに写真を撮る。ポラロイド写真なので、あまり色合いは良くないのに、ミクマルやギョクチュ用にと同じ背景で、4枚も撮る。これで喜ばれるならと、私も愛用のビデオをメモリ撮影に切り替え、PCカードに取り込む。しかし説明書を読んでも良く理解してなかったので、結局は撮影されてなかったのに気付いたのは、ずっとずっと後からの話しである。

「茶店で、チャでもシバこうか!」

くらわんか(河内)弁で、ノルブに話しかけても理解できないでいるので、無理やりグリーン・レストランに連れ込む。
「何か飲む?それとも早いけど、メシにする?」

チャンバとミクマルやギョクチュなどに勧めるが、彼等は場違いの所に連れ込まれたように困惑し、室内を珍しそうに見渡すばかりだ。本当に、この2人は純粋な小坊主達である。かっては真面目な坊主であったサブちゃんだけが、あれやこれやと、遠慮なしに注文する。と言っても、トゥッパ・チィとシャ・モモ関係だが、クリリンも入れて人数分をオーダする。たっぷりと時間はある、ゆっくりゆっくりダベリングしながら、悠久のインド、いやチベッタン的時間潰しをする。これで私がチベット語を話せたら、もっともっと楽しいひとときになるに違いない。幸か不幸か、通訳官としてノルブモモエのどちらかが、いつも側にいてくれるので、困らないのが「阿陀花」となる。かえってチャンバが「ミヨシィさん」と呼んでくれたり、サブちゃんが「ミィーヨシィさん」と馴染んでくれる彼等の方が勉強しているように感じる。そんな彼等に感謝して、チョコレート・ケーキにバター茶はミスマッチングだが追加する。

ロスリングに帰ると13時を廻っており、チクティ・ドルジェに見つかったサブちゃんは、モップの柄でお尻を叩かれ、ロウソクとライターを持って大急ぎで3階に上がって行く。後を追って見ると、309号室の婆ぁさんが喚き立てている。横にいるセイジャさんも釘抜きやドライバーなどを持って突っ立ったままである。どうも鍵を中に入れたまま、プライベート錠を掛けたらしい。

老婆は居切り立つが、頑丈なイギリス製の錠はインド製の工具を跳ね返すらしい。いよいよ、サブちゃんの出番である。サブちゃん、鼻歌を歌いながら、やおらロウソクに火を付ける。サブちゃん、鍵穴に炎を近づけると、チィ、ニィ、スン、シィーーー、チュチィ、チュニィなどと呑気に数えだすものであるから、老婆は益々居切り立ち青筋がピクピクする。——チュグ、ニィシュと、20まで数え終えたところで、パ〜チンと音がする。サブちゃん、軽く錠を下に引き下ろすと、それは見事に錠前が開いた。サブちゃん、ふふ〜んと鼻歌まじりで開いた錠を、ポカ〜ンとしている老婆に渡すと、さっさと下に降りて行く。相性の悪さも手伝い、薄気味悪がった老婆が宿泊をキャンセルしロスリング・ゲストハウスを後にしたのは、私とチャンバが最後のレッスンをしている午後15時42分の事である。

広場を挟んでチャリティーショーの垂れ幕が上がっているのを意識したのは、

17時にその下を通った時だった。お父っあんを始めとするノルブ一族とシャンバー・ウンチェンを頭とするロスリングの大僧から小僧までの一行で、もちろんサブちゃんはしっかりと私の側にいる。残念ながらドルジェーはサブ・マネジャの責任上、最少の人数で居残ってくれている。ノルブに抱かれているクリリンの手を下から持ってあやしているのは、ソナムとドルマの兄弟で、総勢18人だ。大勢の人達が三々五々、あの道この道、あの路地から、この坂道から久方振りの祭り?に、華やいだ顔でTIPA会場へと急ぐ。会場前の広場には、すでに相当数の人達が集まっている。高級車が3台、駐車している。迎賓館の来賓室に照明が点いており、バンジャーブやグジャラート州知事などが、すでに到着しているのであろう。物見高い外人達が建物に登って、展望を楽しんでいる。駄菓子などを売る露天商が店を開いて客が集まっている。

Choedak団長が私達の顔を見つけてくれ、側に寄ってきて「良く来てくれた」と握手を求めてきたので、私も「タシデレ」と挨拶し握り返す。団長さんは、私がデジカメを持っているのを知ると、「今、化粧や舞台衣装を準備しているところなので撮影したかったら、入ってくれ」と親切に勧めてくれる。しかしモモエが、女の人が着替えをしているだろうから遠慮すると、折角の誘いをやんわり断る。その替わりに「カメラ・ポジションの良い場所を確保したいので、先に入場させてくれ」と、頼む。団長さん、係員を呼ぶと「大事な人だから、失礼のないように」とか「1番良い席に案内しなさい」とか、指示をする。それから「自分は忙しいので、この者に頼んでおいたので好きにしてくれ。それから時間があったら、また尋ねて来てくれ!」と、急ぎ足で其の場を立っていった。私、1番先に入場するにしてもチャリティーショーなので、幾許かの寄付か、入場料など必要だろうと思い、モモエに通訳して貰う。1人、50ルピー程度をお願いしたいと言うので、クリリンら子供達は無料として、15人分750ルピー、日本円2,150円は、日本の映画館の1人分より、非常に安い。私、気を良くして気前良く1人で支払う。これでドブーンリンポチェとの約束が、果たせられた事の方が嬉しい。

我々は前より5〜6列目の左右に陣取った。デジカメが手持ちなので、私は五列目の左通路側に席を定めた。しかし、これが失敗だった。何故ならば左にサブちゃんが座ったからだ。予定時間になったのか、まもなく多種多様の大勢の人が入場してきた。思い思いに席に着く。たちまち会場が満席になり、立ち見まで出る始末である。寄付金の50ルピーは相当な出費にも係らず入場するのは、それは如何に娯楽に飢えていたかの証拠でもある。シャンバー・ウンチェンより、ユェシャン(油で揚げたパン)が廻って来た。1人、2個らしい。個人の出費で、昨夜のお返しらしい。遠慮なく頂戴する。これで暫くは凌ぐことが出来る。前後左右、見渡して見ると三々五々、持参した物をパクつき、思い思いに雑談をし始める。その賑やかさは、ニューデリーの繁華街、コンノート・プレイスでのラッシュアワーよりも、大きい騒音である。

15分ほど待たされたが、開演のブザーが鳴って、いよいよチャリティーショーの始まりである。司会者が出てきて、州知事のミスター・ラジャサラ氏を紹介する。氏が「TO HELP THE MANKIND IS LOVE TO THE GOD、グジャラート州の地震の為のチャリティーショーに、このように大勢の人が集まって頂いて有難うございます。——今回の、このショーに対し平和と平等を提唱するダライラマ法王様のご尽力を感謝すると共に、皆様の善意を被災地の人達に伝えたいと思います」と、高らかに開会を宣言する。

幕が開く。袖なしのドレス型のチュパの中に長袖のブラウスを着込み、カラフルな横縞模様のパンディを着けた9人の若い、眉目秀麗な可愛い娘さん達のコーラス隊が出て来て、「オンマニペェメィフーム、オームマニパド・メィフーム」などと歌い出すと、もう口笛が鳴り出す。バンドはドラムめいた打楽器とギターとエレクトーンの3人で、いとも簡単なものだが、舞台前に録音装置を置いてあるところを見ると、録音テープも一緒に鳴らしているようにも思える。4曲ばかり宗教音楽が続くが、一曲ごとに口笛や拍手の音が大きくなり、次にリーダーの中年の女性が、これまた2曲ほど単独で歌いあげる頃には、さらに騒々しくなる。そして5人の娘達によるインド風ジャズダンスが始まり、腰を振って踊りだすと、会場はヤンヤ・ヤンヤの喝采である。その頃になると、前にいる者は立ち上がるわ、隣席に座るサブちゃんは興奮して私の肩を叩くわ、後ろのチベット人などは足で私の椅子を揺するわで、私のデジカメは激しく揺れて、「手ぶれ補正」を掛けても、まったく撮影にならない。次はソロの歌手が「愛と平和」の歌を歌いだす頃には、歌など聞こえない位で、シャンバー・ウンチェンが、見るに見兼ねてか、モモエの指示か、席を替わってくれた。これでやっと撮影が再開出来るようになった。だが、そこは撮影場所としては、舞台前の録音や撮影機材などが邪魔で、踊り手などの足元が写らない場所であった。しかしそんな贅沢言っておれないので、アングルを工夫して撮影を進めたが、後から振り返っても、良い作品にはならなかったのは、総て“サブ”のせいだ。

今度は20人ほどのアチャ・ラモの団体で、額に銀の飾りを着け、長いターバン布をたなびかせて、それに赤や青や緑などネパール色の民族衣装で色合いを取り揃え、ショーに煌びやかさ添えて盛り上げる。それに唄い始めの言葉に「メデタァーヤ、メデタァーヤァナァ」と日本語に近い言葉が出てくるのには驚いた。さらにカゴメ・カゴメのように、輪になり旋回しながら舞い踊るのを見るに当たっては、日本の童歌を思い出さずにはいられなかった。それはさらに続き2人一組で、あるいは16人の舞姫が4列の円陣になり、次に大きくなり小さくなり、ほほえましき顔の表情を品良く作り、手首の振りに指先の仕草に、腰をしならせながら振るなどの仕草を作るに至っては、口笛が響き渡りハチャメチャに手拍子が鳴って、娯楽性に乏しいチベット人達の渇望を、一気に潤すように踊る。

それが済むと舞台内容が変わり、帽子に黒いチュパに長ズボン姿で、ダムニェンと呼ばれる三味線?を持った男達が出てくる。男達はリズムに合わせて、小気味良く踊り、時には激しく勇壮に踊る。途中より1番に最初に出演したコーラス隊が、衣装を替えて彩りを添えて、「恋人達の唄」の歌と共に踊ると、もはや親衛隊の声援のように、「カバセラセィノゥ・バンソウヨゥ、カバセラセイノゥ・バンソウヨゥ!」(註、少なくとも私にはそう聞こえたということです。)と、演者と観客が一体化して共鳴すると館内が割れんばかりなり、人ごみに馴れないクリリンが怯えて泣き出す始末となる。私も経験を持つが、昭和40年代の大衆演劇か、東映チャンバラ映画か、はたまた日活の石原裕次郎出演の「嵐を呼ぶ男」か「風速40メートル」の世界と化すのは、世界共通か?

次の幕間には、ジーパン姿の最先端風の2人組の女の子がインド舞踏をジャズダンス化した踊りを披露してくれる。腰の振りに振り向きざまの流し目は、自分だけにウインクしてくれたものと誤解してか、また激しく口笛が鳴り響く。

この頃より、司会者が窘めても聞く耳を持たぬ状態となり、館内はマグマの熱よりも熱くなる。そんな状態の中を「ヨウカウワ・ヨウカウマ、ウタレリウタレリ・パウメリミー」と、次に出演した男女2人組みのカップルが、眼と眼を合わせ、「恋の唄」など歌いだすと、もうこれは完全に無法状態となる。たちまちして冷やかしの口笛が鳴り響き、椅子が壊れるのではないかと思えるほどにガタガタと蹴りまくる。もはや此処も無事に撮影出来る状況ではなくなり、唄と共に手拍子が加わると、鼓膜が破れそうになる。

次に若い女性のソロシンガーが、地震の悔やみのメッセイジーを告げ、「愛と悲しみ」の英語の歌を歌う。その美声に人々は暫くは静かに聞き惚れるが、それも束の間で、先程のアチャ・ラモの一団が再出演すると、たちまちにして修羅場のごとくになる。アチャ・ラモの一団は、五人一組、2列になってリンカ中に響き渡るがごとく、青く清らかに澄んだ空に舞い上がるように、チベット高原のブールスカイを想像させるかのように唄い踊ると、表現の仕様の無いほどのハイテイションとなる。

今日のハイライトか、白地のチュパを着た9人の若者が登場する。チュパは手よりも長く、腰の帯に小型のティンシャを挟み、アイススケートのように三回転の曲芸的踊りを披露してくれる。一人一人が回転するごとに拍手が起こり、それは暫くは鳴り放しである。9人全部が踊り終えると、細かな三つ編みの髪を紅玉や碧玉で飾った2人の女性が、手持ち太鼓を見事に使いこなしながら、舞い踊る。チベット民謡の「歌と踊りの大海」を演出すると、観客は至福のひとときを味わい、拍手は暫くしてから、深海の底から湧き上がるように起こる。

さらにネパールの民族服の男女4組が、ペアーでネパールの歌声と共に踊る。「〜〜可愛いコ、僕は君が好きだ」「〜〜〜私も、あなたの事がとても気にかかるわーー」などという、「恋の唄」なのであろう。それを聞くや、純情ですれっからしの無いチベット人達は、先程以上に興奮し、席を蹴り1番前に飛び出す者、物を投げる者、椅子の上に上がって声を張り上げる者、動物園の檻の中より酷い状態となる。

最後に男性歌手が自作の「〜〜ヘイココチョコチチ、〜〜〜ナイコト、ケィチョロ」と、ソロで歌いアクションを加える。彼はアメリカまで出演ほどで、日本的に言うならば10年前の沢田研二なみの人気で、チベットでは知らない者がいないほどの人気歌手だそうだ。それは風を呼び、そして雷となり、阿修羅のごとき激しい口笛と、鳴り止まぬ嵐のような拍手となる。サブちゃんの鼻歌の根源は此処にあるらしい。サブちゃん、握手貰いたくて舞台の下まで走る。

それが最後で、館長さんの主催者を代表しての御礼の挨拶で、それをチベット語、ヒンズウー語、英語に訳し、州知事に今日の収益金を提示し、受け取った州知事が返礼して、やっと終った。凄まじかった。こんなカンゲキ(観劇・感激)は2度とご免だぁ!しかし、「ゴジラ」見たときのように、興奮してしまった!!

ロスリングに戻ったのは、22時少し前であった。残っていたセイジャさんが、気を利かして夜食用にテントゥを作ってくれていた。興奮の冷め遣らぬサブちゃんが、鼻歌まじりに碗に盛ってくれているが、それを各自に配る小僧のティリンやソナム・キャルまでが鼻歌になっていたので、全員大笑いである。その夜、気を良くしたノルブモモエの目を盗み、ショールやミクマル等を連れて酒を飲みに行ったのは紛れもない事実で、朝方、夫婦喧嘩で起こされ、1番の被害を受けたのは、この「私」である。

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