インドの中のチベットへ 第四話「小旅行、そして、」

今回は山本幸子さんからのお便りをご紹介致します。全5話でございます。


祝福にみちた五日間が終わると、もとの平穏な日々がもどった。といっても、最初のころとは中身が変わってきている。

引き続き受けたのは法話だけだ。チベット語のクラスは、レベルを落として初級のクラスにした。チンプンカンプンのまま聞いていてもしかたがない。初級はレベルが低すぎるが、チベット人のチベット語を聞いているだけでも勉強になると思った。

昼食後は自由時間だ。私はまず図書館で、法塔や祈祷旗に関する資料さがしをした。いくつかの資料がみつかった。私はそれをコピーして、ゲストルームに持ち帰った。そして解読しようとした。

これがむずかしい。単語の意味はわかっても、文章の意味がとれない。それはたとえば、祝詞のような文章なのだった。比喩にみちていて、論理の流れがさっぱりわからない。私はもんもんとした。

夕食後は、一人の尼僧を訪ねて特別指導を受けた。この仲立ちは花井さんがしてくれた。私は花井さんにならって、この尼僧を「アニラ」と呼んだ。「アニ」はチベット語で尼僧の意味である。また「ラ」は、敬意をこめた呼びかけだ。つまり「アニラ」で、「尼僧さん」という呼びかけになる。

アニラの暮らしぶりは質素だった。住まいはベッドのある狭い一部屋と、台所があるだけだ。その部屋で私はチベット語の指導を受け、また、テキストの解読を手伝ってもらった。

テキストの解読はアニラにもむずかしいことらしかった。

「わかるんだけれども、うまく説明ができない」

インドなまりの巻き舌英語で、そう言うのだった。

毎晩通って指導を受ける内に、私たちは少しずつ親しくなった。そして互いに身の上話をするようになった。アニラは南インドで暮らしているお姉さんの話をした。お姉さんは苦労しているようだった。私は私で、法塔や祈祷旗についての資料が手に入らず、苦労していることを話した。

短いテキストを二つ、一応読み終えたころのことだった。ある日アニラは、シェーラップリンというお寺の話をしはじめた。そのお寺には、立派な法塔がたくさんある。また祈祷旗がたくさん奉納されている。だから、そこへ行って実際に祈祷旗を奉納したらどうか、とアニラは熱心にすすめた。

ダラムサラに来て三週間がたち、帰国する日が近づいていた。

(よぉ勉強したし、終わりにちょっと息抜きをするのもええかな)

と私は思った。そしてアニラのすすめに乗る気になった。

日帰りには遠すぎるとのことだった。でもお寺にはアニラの親しい人がいるから、そこに泊まることができる。

私はリムさんにも声をかけた。でもリムさんは気がすすまないようだった。で、私はアニラと二人で行くことにした。

話が決まると、アニラと私は、マクロードガンジまで祈祷旗を買いに行った。祈祷旗は青、白、赤、緑、黄の五色の布に、馬などの絵と祈祷の文句が印刷されたもので、それらが紐に結わえられて、風にはためくようになっていた。

ルンタ

旅の準備はこれだけだった。翌八月二十二日朝、私たちはバスで出発した。途中の町で昼食をとり、何度かバスを乗り換えた。そしてビールという集落から先は、歩く旅になった。

でも幸い、一台の車が止まって私たちをチベット人の居住区まで乗せてくれた。ここから先はいよいよ歩くしかない。私とアニラは林道を歩きだした。

道は田畑の中をゆく。突然、アニラが田圃のあぜ道にはいっていく。そして、びっくりする私に、

「ショートカット」

近道だと言うのである。それは見るからに汁っこい細道だった。私は危険はさけたかった。遠回りしても、安全な道をとりたい。だからきっぱりとことわった。アニラは残念そうにもどってきた。

その内に道は森の中にはいった。雨が降りだした。私たちはそれぞれ傘をさして歩いた。どこまで歩くのかが私にはわからない。

(くろぅなるまでに着きたい)

私は不安になり、後悔しはじめていた。でもしようがない。私はせっせと歩いた。アニラは後から、のんびり歩いてくる。

寺

雨は間もなくやんだ。私たちは暗くなる少し前に、シェーラップリン寺に着いた。一時間半歩いたことになる。

アニラの友人は俗人の女性だった。私たちは彼女の住まいに迎えられて、歓待された。服も靴もぐっしょり濡れてしまっていた。私は持参の乾いた衣服に着替えた。

私たちは立派な仏壇のある部屋に通された。そして間もなく夕食が出てきた。私はこの時はじめて、アニラが菜食生活をしていることを知った。アニラはチベットパンにバターをつけて食べたが、卵焼きは食べなかった。

チベット人の多くは敬虔な仏教徒だが、僧俗ともに、肉を食べることは好むようだ。チベットが高冷地で、肉食しなければ生きるに必要な栄養分がとれない、というのがその理由だと聞いていた。

花井さんに聞いた話では、ダライラマはインドに来てから肉食をやめ、人々にも菜食を勧めるようになったそうだ。あたたかいインドでなら、菜食生活は可能だから。でも花井さんの話では、

「あの人たちは、お肉、好きだから、なかなかー」

とのことだった。

アニラは私に、ターラー菩薩の真言をとなえることを勧めた。

「オンタレトゥタレトゥレスワーハ」

私たちは何度か唱和して、それからやすらかに眠りについた。

翌朝、私たちは早くから行動を開始した。まず用意してきたカタを、この寺一番の高僧を訪ねて捧げた。カタはスカーフのような白い絹の布だ。それを敬意や好意の印として捧げるのは、チベット系の人々の習慣だ。

この寺の建立には、アニラも関わったそうだ。炊事などの他に、力仕事もやったらしい。何年も前のことだ。それはアニラにとって、なつかしい日々らしかった。

私はチベットのラサを二度訪ねた。だから豪壮で華麗な、ポタラ宮や大昭寺などを知っている。それらは金や宝石でふんだんに飾られていた。それらに比べると、この寺はずっと質素だった。コンクリート造りで、ペンキ塗りだ。でもそれらは、亡命チベット人たちが力を合わせて造ったものなのだ。

寺院めぐりが終わると、私たちはいよいよ法塔を訪ねることになった。宿坊の裏手から、小さな谷を越えて法塔のある向こうの尾根まで、細い道がついていた。汁っこくて、すべりやすい道だ。私は何度かヒヤヒヤした。

着いてみると、八種の法塔が一列に並んでいた。それらは釈尊の生涯の事跡を象徴するもので、そのことを私はチベット語の原典で調べ、学会で発表したことがある。私は感慨深くそれらを眺め、写真を何枚も撮った。

それから私たちは祈祷旗を奉納した。法塔は松林の中にならんでいた。その松の枝に、たくさんの祈祷旗が結びつけられている。古いものは色あせて、白くなっていた。

私の祈祷旗はアニラの手で結びつけられた。香が焚かれた。次にアニラは二人で苦労して解読したテキストを手に、それを朗唱した。(なるほど)

このように使うのかと私は思った。

アニラは私にも祈れと言う。私は合掌して祈った。

「父のために。母のために。一切衆生のために」

私は自分のことは祈らなかった。それは私の子どものころからの習慣だった。やるだけのことをやって、後は天にまかせる。

(神仏は、私以上に私のことをわかってくれるはずや)

シェーラップリンでの目的はこれで達成した。私たちは帰ることにした。アニラの友だちが分かれ道まで送ってくれた。そこから先は、寺の犬がついてきた。

アニラは何度も振り返り、帰らせようとして犬を追った。

「よその村までついてきたら、そこの犬にいじめられる」

それがアニラの心配なのだった。

道は林を抜け、その内に舗装路になった。路傍には田畑が広がり、家も見るようになった。犬はどこまでもついてきた。

昼はとっくに過ぎていた。よろずやのような店で、私たちは休むことにした。パンと飲み物を買って食べた。

私はダラムサラへ何時に帰れるかが気になる。でもアニラはのんきなものだ。パンを犬に与えて、

「うちへお帰り」

と説得しているようだ。

この忠告は功を奏して、犬はやっと私たちを追うのをやめた。それからはアニラも私も、せっせと歩くことに専念した。

アニラが立ち止まった。そして田圃の中をゆく小道を指さした。

「ショートカット」

これまでにも、アニラは何度もこうした。でも私は、その都度ことわってきた。でもこの時は、なぜかことわる気にならなかった。私はいやいやながら、アニラの後について汁っこい道に入った。

ほんの数十メートル歩いた所で、私の左足がツルッとすべった。私は右足の上に尻餅をついた。右足首が、ボキッと音をたてた。

私は何度も捻挫したことがある。だから、捻挫の感触はよく知っている。これはそれとは全然ちがっていた。

動かさなければなんともなかった。しかし少しでも動かすと、猛烈に痛む。

私は背中のリュックを降ろして汁っこい地面に置き、その上にすわりこんだ。そしてアニラに、きっぱりと言った。

「骨を折りました。私は動けません」

タイトルとURLをコピーしました