「成都〜憧憬のラサへ(恐怖のSARS編)」第四話

三好孝さんによるラサ旅行記です。楽しんでください。


4月27日(日)、今日も早朝?の6時にモーニング・コールで起こされる。

7:30、ホテルを出発する。

クンガ(最近では“コンカル”と書かれたガイドブックも多い)空港へ向かう。行きと同じでなので風景に注目する者が少なく、U氏とT・HさんとO氏の3人は、5〜6月に行く予定の旅先の話しをしている。

この人たちには、「SARS」の恐怖は全くない。Sさんの様態を見るとミネラル・ウォーターを飲んでいる。かなり良くなってきているみたいだ。Eさんも食欲が出て、朝食をしっかり摂られた。だが私の方が、ここに至って頭痛に悩まされている。バファリンを貰ったが効き始めるには、まだ時間が掛かりそうでチュシュル(曲水)郊外のビーニルハウスの中には「何が植えられているのだろう」と、ぼんやり見ている。

いつの間にか寝てしまっていたらしく、またもや久我さんに起こされる。

8:52、空港に着く。

空港は予想もしない混雑ぶりで、90%近い人がSARS用のマスクをしている。

搭乗手続きにも大変手間取っている。80%以上が中国人で、日本の盆や暮れの民族の大移動といった感じである。

しかし日本人は混雑に馴れている?民族なので、ある程度の騒がしさくらいではどうもないはずだが、ここは火事場か殺人事件の現場なみの喧騒だ。

中国人たちは自己主張が強すぎるのか、はたまた横暴さと横柄さがまかり通ってもよい国なのか。我々一行が、まさにトランク類を預けようとしている目の前に、そればかりか自国のGTV(香港系のテレビ局・八大電視台)の取材クルの8人でさえ、おとなしく順番を待っているその前に乱暴に割り込む人たちがいるのだ。

ちなみに中国語の出来るK氏が耳をそばだててて聞いていると、香港の取材クルーたちはスポンサーの依頼でラサの巨大な繁華街の異常ぶりをドキメンタリーする為にきたのだが、この便を逃すと成都へは戻れなくなるらしい。取材中止にデレクターの顔は引きつっている。

今やラサは、WHOの解除声明が出されないと100年前と同様に「閉ざされた秘境」になる。それもラサに、いやチベットにとって良い事かもしれない。

我々は隔離される前に逃げ出すつもりではない。我々は最後の入境者であり最後の出境者でもある。それにもかかわらず制服を着た空港関係者らしき人物が、他のグループを連れてきて我々の列の直前で横入り割り込みを平気で行うのである。その人物がどの程度の地位か、どんな権限があるのかは解らないが、世界各国の国際空港の通関事例では、先着者優先になっている筈だ。

VIPやファストクラスや予約を優先にするならば、それらの入り口が別にある筈だ。その影響で我々は半時間以上も待たされた。

K氏とO氏、それにNさんやMさんも加わって抗議する。

出発時刻が迫っていること、ツアーが中止になった場合の損害の請求先は?などを大きな理由に、黄さんが事務所に駆け込み交渉をしてくれる。

すると「日本人の観光客をトラぶらせたら、今はまずいんとちゃうんかぁ」的配慮で、別の入り口から出発の待合ロビーに入ることが出来た。そこで林さんは支店に用事があるので市内に戻ることになっているし、チベット人のガイドのラチィは入場出来ないので、ここでお別れだ。

「このような騒ぎ(SARS)になって、ラサへは観光客が来なくなるが、どうするの?」と、尋ねてみた。すると彼女は悲しげに「暫くはラサの日本語教師の所に行って、日本語をもっと勉強して北京に働きに行ってお金を貯めて、いずれは日本に行きたいです」と答えたので、半分真面目、半分スケベ心でチベット地図の模様の入った私の名刺をあげる。

10:30、「この国では30分程度の遅れは常識だ」とばかりに、ボーイング747の中古機は300人の定員を一杯にして、重い腰を上げた。

すぐに朝食兼昼食が配られたが、私は断わった。

その理由は行きと同様に、座席を間違える!のは序の口で、大口で吼える!叫ぶ!のも可愛い内で、他人の荷物を押し出して自分の荷物を押し込むなども堂々とやる。まるで70年は大阪万博の頃、旅馴れてない農協の団体さんと同じで、こんな奴と同じ物は食いたくないという意地からだ。こんな時は「ダーマ・スナ」を聞くに限るとイヤホンを耳にしたが、またまた寝込んでしまった。

11:48、肩を強く触れられたので眼を醒ます。触れた奴は知らぬふりしてすばしっこく自分の席に座るので、誰が誰だか解らない。

成都が近いことを知らせるように低く飛んでいるので、その前にトイレを済ませておこうと後部に行くと、最後部の座席に久我さんがいる。しかし大分お疲れの様子で寝ている。

帰国してから3日後に丁重な御礼状が届いて知ったのだが、彼女は「ラサは始めてだ」そうだ。彼女も高山病に悩まされていたが、「添乗員」という職業意識で乗り切ったのである。旅の予約は近畿ツーリストで、添乗員の指名は久我さんを!!

12:08、標高550メートルの成都双流空港に到着する。

だが異常さを感じざるを得ない。各地より飛来して到着済みの飛行機が、次のフライトへの準備もせず10機近くが待機の状態で滑走路を占領している。したがって我々の飛行機は到着便通路が使えないので、20年前に戻ったように飛行場の端に停められ、バスの迎えを待つ。

1台目はとっくに出て、2台目は例の団体なので我々は弾き飛ばされ、3台目になるバスは1台目の降り返しバスで、GTVのクールたちと一緒だ。

彼等はマイクロ粒子も通さない病院で使用しているマスクを着用して厳重な出で立ちである。私は3枚目になった脱臭剤の竹炭入りのマスクを装着している。それで充分だと思っていたが、それでも手緩過ぎることに気付くのは、空港ロビーに入ってからだ。

ロビーの照明は行きの半分以下で、ラサ行きの出境口にはトラ模様のロープーが張られ、係員がぽつりと1人立っているだけで、昆明や蘭州や西安などへの国内連絡ロビーも同様だろう。とにかくメチャメチャに暗過ぎる。

迎えのバスに乗り込む。

その通路でさえマスク、マスク、マスク、すれ違う総ての人が厳重にマスクを装着している。

それにしても眼だけ飛び出した寡黙なマスク姿は異様だ。それに暑さも異常だ。ラサの15度と成都の盛夏なみの31度は、あまりにも温度差があり過ぎる。ただちに羽織っていたジャンバーを脱ぐ。それと同時にあれほど高山病に悩まされていたK夫人とEさんが、力強い歩き方をする。それから重症のSさんも、喉の乾きを押さえるためにミネラルウォターを空になるまで飲み干したのは、中程度の元気を取り戻した証拠だろう。

中国政府は、成都を西部開発の最重点基地と位置付けているらしく、高速道路から高速道路と延々と繋がっている。空港から市街中心部まで17Km、両側には新しい高層のビルが建ち並んでいるが、古くなった低層ビルが空きビルになっているのも現実だ。

市街地に入り向かった先は「先生楼大飯店」というレストランで、成都では中流クラスだ。昼間ということもあり手軽な所で入り易い。

この店は地元の四川省や雲南省から集められた麗草や薬草を使った薬膳食が有名なのだが、香草入りラーメンは、食べた事の無い者にとつては匂いが強すぎて、3口で止めた。枚方に帰って葛葉中央の「四川ラーメン」が食いたい!そして麻婆豆腐は「陳麻婆豆腐店」で食いたかった!まぁ、ようするに私はB級グルメなのだ。

またまた、また食べ切れずに店を出て、「成都省の樹はトウカエデで、市の木はヒマラヤ杉で、花は芙蓉である」など、黄さんの丁寧なガイドが続くが、私は大阪の御堂筋なみの高層のビル群に圧倒されながら、またその反面これらの建物の裏側はどんな下町だろうとも、天邪鬼に考えている。

しかし、バスの運転手のハンドルは乱暴すぎるくらい暴動している。

その日は日曜日で、中流生活者が家族サービスの休日ドライブや生活必需品の買物などで、道路は大混雑している。運転している旦那はもちろんの事、助手席の奥さんや後部の子供たちまでもマスクをしているのは、神経が過剰過ぎるのではないだろうか。

そんな状況にバスの運転手は相当イラだっているのか、バスは右に左に大きく揺れるばかりか、急ブレーキが度々踏まれる。そして建築ブームで内壁用の化粧ベニヤや断熱材と、外装のファルコンなどと共に調理台やリビングの家具関係の展示会場である銘木市場の中を、今度はブレーキも踏まずめちゃくちゃに突っ走るのである。

日本のタクシードライバーでも、こんな乱暴な運転はしないだろうと思われるくらい、走りに走って着いた所は成都動物園である。

 

成都大熊猫繁育研究基地、大層な名前だが要するにパンダ動物園である。

キリンも象もライオンも、狸もキツネも蛇もいない、パンダのみの動物園だ。

幾つかのブースに別れているが、眼の縁が白黒の日本にいる例のパンダと、狸とキツネの親類でスカンクのようなシセンレッサパンダが放しがいで飼われている。

日本のパンダはとてもとても大事にされてガラス窓越しにしか見られないが、こちらはコンクリートの飼育室はあるものの、昼間は外に追い出されてウロウロするしか活き方を知らない。

大型の白黒は思ったよりも行動的で、始終動き廻っている。前かがみに座って笹を食っている姿は「ナマケモノ」で、食欲が満たされると、象や白熊以上に始終動き廻りだす。

シセンレッサパンダなどは観光客がくれる食べ物目当てか、高崎山か箕面の猿のようにすばしっこく走り廻る。

しかし、その仕草は可愛いのでAさんWさんのようなアマチャカメラマンでなくても、K夫人にN氏、そしてあのSさんまでもが夢中でシャッターを押している。私も数枚撮ってみたが、あまりにもすばしっこくてピンボケが随分ある。

何歳になっても動物園や水族館は楽しいものである。年を取れば取るほど、単独では照れ臭くて行けないので、機会があれば気晴らしには良い場所だろう。

 

今度は何を見学させてくれるのであろうと期待に胸を膨らませていると、三国志で有名な蜀の丞相・諸葛孔明ゆかりの武侯祠に案内された。

入り口の大門をくぐると左右に石碑があるが、達筆であるのと長年の汚れでまったく読めない。黄さんは、お手のものの「中国語」で読んで聞かせてくれたが、劉備玄徳との出会いや三兄弟の誓いなどが書かれてあるらしい。

正面に劉備殿があり、関羽や張飛の他に名立たる武将たちの像が居並んであり、その奥に諸葛孔明を祭った諸葛亮殿が建っている。

堂に入ると正面に孔明像が柔和な顔の立像があり、左右は立派な顎髭を蓄えた二人の弟の像が立っている。その他、三国志ゆかりの陳列室もあり時間が許されれば、吉川英治の「三国志」を持ち込んで1日を過ごすのも楽しいだろう。

武侯祠内の庭園は広く、庭師の私にとってはそちらの方に興味を湧かせるが、芭蕉やガジュマルなどが眼に止まった程度で、あとは何処にでもあるような木々ばかりで、背丈もなく樹齢なども比較的に浅いものが多く手入れされていない。

そういえば、こちらに来てから気付いたことだが、4月の後半であるのにもかかわらず華樹に花がない!

日本を発つ時には、桜の花は東北へ移動したが、木蓮にツツジと皐月が満開で、ウツギも色づき始めた季節であった。ラサもそうだが、この成都も大都会なみに開発し過ぎて「緑」というものが全くない!それならば各家庭でのガーデニングなど、鉢物はないかと見渡したが、それも全くない!

250年以上も名前を変えたことのない歴史ある街なのだから、もっと緑を濃くして美しく保全して貰わなければ観光客の足は遠のいてしまいますよ——それは大阪でも、いや日本全体でも言えることだ!——庭師は、ひとりぼやくのであった。

2時間近く歩き写真もそこそこに撮ったころ、続いて案内された場所は唐代の四詩聖のひとり、杜甫が草庵を結んだという「杜甫草堂」に案内される。

杜甫は安史の乱によって759年、成都に避難を余儀なくされ4年余りを粗末な住居で過ごさざるを得なかった。どん底生活のガリガリの杜甫が「国敗れ山河あり——」など、国を愁いた生活詩を240首余り詩作したのは、当然のことかもしれない。

しかし創建当時の建物は、古びて朽ち果て、火災にも幾度かあったともいい、ここ10年前後に観光用に建てられたものであると、黄さんは正直に吐露してくれる。

名筆家の杜甫は達筆の筆跡を両側の陳列室に残し、杜甫と杜甫の過ごした時代を研究する博物館もあり、有用な資料が多数収蔵されている。

竹林のなかにある茶館に入ると、茶の接待をしてくれるが帰りには土産物を買ってくれとせがまれる。この草堂は緑の少ない成都の人たちにとって憩いの場にもなっているのか、麻雀卓を囲む近隣の人たちの顔が幾つか見られる。

我々は係員から「閉館時間になった」ので、早く出て行けと脅かされるが、黄さんや久我さんの話しでは「係員が麻雀に加わりたくて、観光客が少ないと早く追い出す」のだそうだ。

我々は早々に追い出され、少し穏やかになった運転手のハンドル捌きで、獅子楼大酒店の前に届けられる。夕食を済ませてからホテルに入るつもりらしい。

兎の耳、牛の腸、タンにゼンマイ、部位の解らない牛肉、あなご、きくらげ、白菜、こんにゃく、とうふ(但し高野豆腐のように固い)と湯葉、茎わかめ、あさり貝、トウガン、ソーセイジに水菜のような野菜———以上が四川名物「火鍋」の中味である。

鍋は取って付けたような鉄板で(実際に溶接の跡が生々しい)真中で仕切られ、右は赤唐辛子と大蒜入りの赤色の出汁?左側は白濁の出汁である。

御婦人方に試飲して貰ったが、何であるが解らない。そして右、左は私から見ての判断で、対面から見れば左右逆であり、右側や左側から見れば赤が手前、白も手前であることを注釈しておくのと、こちら中国の人たちは辛い出汁の赤色のみである。

つまり2色の火鍋は日本人の観光客用なのである。それならば銘々皿を幾つか渡し、味噌味に醤油、胡麻だれとポン酢など、各自が自分の好みの味を作り、タレに漬け食すれば良いのではなかろうかと思うが、中国の料理人には、そんなデリカシィーがない。御託を並べず、ともかく食ってみようということになり、牛肉から始める。牛肉は薄切りにしてあるから、しゃぶしゃぶして、すぐに上げて食う。辛〜い!超辛〜い!超々辛〜い!

赤い豆腐、赤い湯葉、赤いトウガン、想像してみて下さい!ゲ〜ゲ〜ゲ、忽ちにして2リットルからの大汗が拭き出して来る。急ぎ!ウーロン茶を飲む。

しかし、それが全て汗となって滝のように流れ、下着までも唐辛子と大蒜臭くなって行くが解る。

四方見渡すと全員が大滝の汗を流し、金太郎の火事場見舞いのように赤い顔している。10口くらいまでが限界だ!それ以後は祇園で茶蕎麦店を営んでいるT・Hさんが、過去の経験から日本から持参したキッコマン醤油のお裾分けを頂くことにし、同時に赤鍋は辞めて、白鍋から具を取り上げ和風にして食べることにする。

給仕の小娘が怪訝な顔をしている。なぁ〜に!構うことはない、彼女らには招興酒や四川ビールやウーロン茶などを注文してやれば、顔が立つだろう。

しかし「兎の耳」は可愛そうだ。1頭に二つしかないのに、1盛りに10ケくらいで3卓あるのだから15〜6頭が、店全体では5〜60頭が犠牲になった訳だ。

コリコリして美味いという人と、材料名を聞いて可愛そうと言って食べない人と、両極端に分かれた。高級食材だという事と、もう2度と食う事が出来ないだろうという意地汚さと、そして来世は食われる立場に生まれ変わるだろうと予感しながらも、4ツも食ってしまった。

それにしても残りの肉は、どのように食されるのだろう、日本に帰ってからも思い悩んでいる。知っている人がおられましたら、お知らせください。

最後の晩餐会ということで宴は大いに盛りあがり、酒代を日本円で支払う人もおり、時間も大幅に延長したが、久我さんに迷惑を掛けない程度に退散する。

車中から見ていると、双林路の新華公園の中で太極拳をしている集団がある。20人内外の人たちが、ゆったりとした動作で楽しんでいる。

が、うぅ〜ん!?そこから5メートル先では、もっと人垣が出来ていて4〜50人が集まっている。年齢は20歳前後の若者で、騒いでいる!「法光輪」という集団が問題になったことがあるが、それらの集団ではなさそうだ。

音楽が聞こえてくる!中国語なので何の曲かは理解できないが、ディスコダンスのように軽快な曲なので、派手な踊りができそうだ。

ボーリュウムが一段と高くなった。すると群れの周りで騒いでいた者たち3〜40人ぐらいが、さらに加わり大集団となって踊り始める。なかには扇子を高々に挙げ、声を張り上げて踊っている者もいる。だが、その声は濁った声だった。

不思議だ?良く見ると全員がブラジャ・マスクをしている。フリル付きに花柄、刺繍入りに水玉模、色も色々で白赤紺に黒と空色と黄色、多種多彩だ。申し合わせなのかは不明だが、それぞれが自己思潮し自分を表現しょうとしている。

現在成都では、SARS騒ぎを利用して?ディスコと共にブラジャ・マスクが流行っているのも事実だ。

我々を乗せたバスは、黄昏(7時台でも明るい)始めた一環路東三段を南下し、中国銀行の前を通り、東風街へと向かっている。

どうやらバスの運転手は、夜の繁華街を案内し、中国の発展ぶりを誇示したいらしい。

たしかに成都中国光大国際旅行社や総府皇冠假日酒店や四川寶館などの建物は高級感が漂い、合弁自動車会社の新社屋ビルや日本の企業が入る商社ビルが幾つも乱立して、日本の中核都市なみに発展している。

だが張鴨子老号や夫妻肺片や頼湯円や鐘水餃店の、客を呼ぶためのネオンのイルミネイションは、東京は新宿の歌舞伎街なみだ。

でもそれらの店の名前から察するに、四川風シャオチーやアヒルや水餃子などが有名なのであろう。再度来る事があれば、陳家麻婆豆腐店と共に食べ歩きしたいものだ。

しかし面白いのは、それらのケバケバで派手派手の光を借用し、路上ライブを繰り広げる幾つものグループがある。日本でも休日になればアメ村や大阪城などでラップする若者たちがいることは知っている。音楽は世界共通で、中国の若者たちも同様で、そのエネルギーは誰にも留められないだろう。

私も再び来る事があれば、鳴子を50ケ位用意して持ってこよう。そして2〜3泊の予定で、若者たちに日本の「よさこい鳴子踊り」の良さを教えてあげよう。

四川・西蔵飯店に到着したのは8時過ぎであった。部屋割りがなされ、私はワンルームを与えられた。途中までの階でO氏は「劇中で顔が七変化するのが特徴である、四川名物の川劇」を黄さんに案内して貰うといい、AさんWさんUさんとT・HさんらはK氏の部屋で飲み直しだそうだ。

私は久しぶりにバスタブに浸かり旅の汗を流したが、テレビを見て(成都では一局だけ、日本語で、日本のテレビが流されている。これも衛星と日本の商社マンが多く駐在しているおかげ)もつまらないので、1階のロビー横に土産物屋があったのを思い出し、最後の買物をするために階下に降りた。

1軒の店は大理石の置物や銀製の品々が並んでいて高級感にあふれているが興味が余りないので素通りし、2軒目は衣服関係なので、ここも素通りする。3軒目は絵画店でやっと趣味のあった店に辿り着くことが出来た。

N氏が先に来ている。N氏は2年前、家を二世帯住宅にして和室も設けたそうで、そこに掛け軸の1本でもと思い買い求めに来たという。店員は我々を今日最後の客と思ってか、熱心に説明してくれる。

「これはOO先生の作品で、先生はこれこれの経歴の持ち主です」などと、にこやかに笑いながら掛け軸を見せてくれる。N氏も2点ほど気に入った作品があったようで、見惚れている。「少しぐらいなら安くしますよ」、店員が最後の一押しをする。

「ちょっと待った!」私は、N氏に待ったを掛けた。「この山水画には情景はあるが、心がない!」、「その黄山を描いた画は、技術に長けた絵であるが、作者は実際に現地に行っていない」、「この水墨画は良く描かれていて床の間に飾っても良い作品だが、いかんせん手荒く扱いすぎて折れが入っている」など、こと細かくN氏に忠告してあげた。N氏は怪訝な顔で私を見るが、私が仏画を習い描いていることを言うと、納得したようで忠告どおり見方を変える。

そのあと、店員は売らんかな攻撃で、物置の奥や机の引き出しから数点取り出してきたが、私が指摘したとおり店員の不注意による巻き折れが、1本の掛け軸から何箇所も見つかるに到っては、N氏の買い気もすっかり萎えて店員を振り切って店を出る。

所在をなくしたN氏と私はホテルの外に飛び出した。

街は街路灯とネオンサインで、足下が見えるほど明るく危険性をまったく考えさせない。赤と青のサイン灯に興味を持って近づくと、そこはインタネット・カフェーであった。

まだパソコンは高すぎて各家庭には入っていないらしく、店内を覗くと90%の稼動率である。ちなみに携帯電話は有線よりも普及しており、60%の普及率だそうだ。しかし機種は日本ほど発展していなくて、カメラ付きは私の見る限りでは皆無に近い。

人間は不思議な動物で、安全な場所に飽きると、今度は好奇心の方が勝るのか、私たちは暗い方へ、暗い方へと歩き出す。

ホテルの裏側に向かう。そこは昼間は自由市場であるらしく、狭い間口の店が立ち並んでいる。まだ閉店していない店を覗くと、果物屋であった。裸電球の下で、西瓜や夏蜜柑のようなオレンジが売られており、桃と杏、萎びたブドウもある。蝿が集って不衛生である。

向かいの店では後片付けの最中で、家鴨に亀に蛇が蠢いている。

隣が焼肉屋で、近くで働く労働者が一杯引っ掛けているのは日本と同じだ。

くるりと半周すると本屋がある。覗くと週刊誌やマンガの本であるが、どうも古本屋らしくバックナンバが新しいもので半年、古いものは4〜5年前で、日本製のコミック・マンガが大半を占めている。その棚の下にはカセットテープやCD類もあるが、中国語、チベット語、ハングル文字とモンゴル語などで読めない。また、その横には驚いたことにはクラッシック化したレーコド盤があり、SP盤と称される大判もある。フランス、ドイツ、英語にロシア語と世界中の文字が傷跡と共に多種にあって、ここの店主が相当なコレクターか、さもなくば目方で仕入れて大儲けしょうとする悪徳親父の、どちらかだということを物語っている。

人民中路三段の大通りに出たので、30秒前、29秒前、28〜〜20〜10〜5、4、3、2、1、0、さぁ渡れ!式の表示付きの交叉点を渡り、城北中学校の周辺に出ると10時過ぎだというのに、お茶を売っている店が、まだ開いているではないか。

自宅のウーロン茶が切れかかっているのを思い出し、N氏に断わりを入れて冷やかしに入ってみることにする。「鉄観音」と書かれ、100匁70元と表示された見本缶があるので指を差すと、店の五十がらみの店主が「試しに飲んでみますか?」と日本語で言う。どうやら相当数の日本人を相手に商売を重ねてきたらしく、たどたどしい日本語で話す。

私としても日本語が通じることが解れば、心も打ち解けやすい。「入れてみてくれ」と頼む。猪口程度に入った茶を飲み干すと、私が日頃から飲んでいるウーロン茶よりおいしい。N氏に「味はどう?」と同調を求めると、「いけますなぁ」という返事なので、300匁買うが100匁づつ3袋に入れ分けてくれと、注文をつける。

店主は、日本では民族博物館でしかお目にかかれない天秤ばかりを取り出すと、見本缶を開け、私の信用を得ようと目の前で100匁入りを3袋を造る。その丁寧さに惚れて、黄山産の100匁55元の緑茶を、これまた3袋頼み、さらに「雲南省のあたりから採れるものと、蛾眉山系のものとでは、どちらを薦める」と意地悪な質問をしてみる。

すると「同じ40元の品なので、香りの強いものなら麗江を、酸味を好みたいなら蛾眉山を薦める」と、明解に返してくるので両方を試飲し、麗江納西のものを5袋を求める。

N氏も私の買いぷり見て、ハーブ茶の中から蘭州産のサフラン・ティと甘孜産のジャスミン・ティを買い求められた。

いずれも我々は、真剣な面で天秤ばかりで測る親父の姿を楽しみ、生真面目ぶりを買い求めた。合計575元、日本円で8,568円は安い買物で、あそことあそこにと指を折り、7〜8軒は土産に持って行けるだろうと考える。

(ところが日本に帰り、今から土産物を持って行くぞと電話すると、中国行きを知っている連中は「来ては駄目!潜伏期間が過ぎた半月後ならOK」という返事で、結局は渡しそびれて自己消費している)これでポケットの残高は27元となり、あとはミネラルウォータしか買えない。

ホテルに戻ると玄関先で黄さんと出会った。女性連れだ。

しかし野暮な詮索はしない。

ロビーのソファーで、今度は久我さんと出会った。男性と一緒だ。

しかし野暮な詮索はしない。

しかし、こちらの方はかなり深刻だ。ラサへの入境が出来ない以上は5月からの旅行は中止せざるを得ないだろう。それらの打合せが、これから最低1時間は続くのであろう。

疲れが久我さんの顔に出ている。私にはどうすることも出来ないので会釈して、エレベターに乗り込む。

室内に入ると真っ先にしなければならないことは、荷物の整理だ。眠気が先に立つが、やる事だけはやって措かねばならない。

手荷物検査には嫌な思い出があるので、ディバック1本にする。あとは無理矢理トランクに詰め込む。

11時半、家でも床に入っている頃だ。ダブルベットは広い!今晩は睡眠導入剤などは一切必要なく、照明も一切点けず、無音の闇に身をおくことができる。

4月28日(月)、これが本当に「ゆったりチベット世界遺産紀行5日間」の旅なのか!?

5:00のモーニング・コールで、叩き起こされる。洗面とトイレだけしてロビーに降りて行く。

あれほど深夜まで宴会していたのに、さすがに旅慣れた人たちばかりなので平気な顔で20分後には、全員が揃ってリムジンバスに乗る。

二往復しているので、あの街角には百貨大楼が、この道すがらには四川一の書店が、電話局はあそこで、病院は人民南路三段にあって、その先300メートル先には教育学院があるなど、目を瞑っていても解るようになっていたので、それを良い事に再び睡眠の取り直しをする。

空港に着くが早朝だということもあってか、はたまたSARS騒ぎに家族を安全な日本に全部送り返した後なのか、パラパラの人気しかない。

税関も腫れ物に触りたくない風に、あっさりとパスしてくれる。

7時10分発、CA−453便の機内に乗り込むとすぐにドリンク・サービスが始まり、続いて朝食が配られる。お腹が膨らむのと、おしゃべりタイムが始まるのが同時間で、後部座席のオバはん等の、そのうるさいこと、うるさいこと。

大阪のオバはん等はホンマに口達者で、成都双発空港から関空まで最初から最後まで話しぱなしだ。

その高々の声は3分の1の50席しか埋まっていず、空席のところまで、馬鹿話しが届き、まったくの疲れ知らずの恥じ知らずだ。

その分、沈んだ顔をした女性がおられる。私の席一つ離れたJTB添乗員さんで、三峡クルーズの帰りだそうだ。話しを聞くと、やはりSARSの影響で次回、5月からの旅行は中止だそうだ。その証拠に今回の旅行も12名の予定であったが、騒ぎが大きく成るに付け、キャンセルが相次ぎ、最後に残ったのが命知らずのオバはん5人組だそうだ。

そして再び添乗員から出て言葉は「三峡ダムの完成により、6月から貯水がはじまるので、5月の最後の旅行まで続けたかった」と。

おかげ様で寝る口実が出来たので、ダイアナ・ロスのMD80分が丸ごと、ぐっすり寝る事が出来た。

トイレへの行き帰りもダベッておられるので、Tibetan Institute of Performing Arts に差し換えて、また寝る。

誤差1時間をたして関空までの5時間、気絶したように寝たのは初詣帰りの元旦の朝以来である。

定刻の12:10に関空に着くが、税関員は全員がマスク姿の、我々の姿に恐れをなしてか、1秒でも早く空港外に出て行ってくれとばかりに、懇願するように怯えている。

トランクを取り戻したあとロビーの一角に集り、久我さんに感謝の拍手を送ると、銘々お互いに苦労を労い、再び旅行しょうと誓いあい名残惜しいが解散する。了。

追伸、これを持って私のチベット旅行が終わるが、現在の中国は発展と衰退が混沌としており、それが良いか悪いかは各自の判断に委ねばならない。

それにしても、私が出入国のおりにはいつも何かが起こる。今回はSARSであったが、先のインドはダラムサラへの旅では、愛媛丸が原潜に衝突され尊い命が失われるなど、国際的事件が起こるは、私が疫病神からか?私の大脳の前世感応部ではシャキャ族のナラエン・ケンゴウで諍いを静める仏であったが、楊貴妃に惑わされるようになってからは駄目になったようだ。(なんのこっちゃ)

ラサは高地である。いやラサだけでなく高地に行くときは充分体調を整えてから行くのが必須の条件であるが、もし高山病になりそうならミネラルウオーターをたっぷり飲んで、ゆっくり行動することだ。

予防薬と問われれば日本ではラシックス、インドではダイヤモックスなどがあり、必ず医師と相談して自分の身体にあったものを調合して貰うようにしょう。

私は前回の経験から市販の精神安定剤を買ってきて服用したが、飲むおりには自己暗示をかけて熟睡に努めたので、軽い頭痛だけですんだのは文中に表れているとおり。「病は気から」というように、自己の充実を図ることが、1番の薬である。

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