「ミヨッさんのダラムサーラずっこけ探訪記5」(三好孝さん)

ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。


遅い朝食、早い昼食を喰ったあと、モモエに誘われてニュー・チベッタン・コロニーの中を歩く。

亡命チベット人が住む「チベッタン・キャンプ」とは、モモエの説明では、ラダック系チベット人が設立した寺院を基点に南北に分けて、ラダック人の多く住むオールド・キャンプと1987年以降にできた、いま私が立っているニュー・キャンプの総称らしい。首都「デリー」も、国会議事堂や国立博物館など政府機関のある場所を「ニューデリー」と称し、デリー駅やガーンディー記念博物館のある場所を「オールド」と呼んでいる。まぁ、悠久の歴史のあるところだから、中心部と旧市街地とがあってもおかしくはないか。

道路幅4メートル、縦通りが150メートル弱、これがメーンストーリートだ。しかしboulevard・Rd沿いにあって居住区域の境界を表す外壁が、大きく立ちはざかっている。そんな片側しか土地有効度を持たないせいで、ホテル兼レストラン兼トラベルエージェントを兼ねた建物が、ずっと横並びに軒を連ねている。「軒を連ねている」と大きく吹聴したが、これまた建築基準が定まっているらしく4階立てが最高である。

亡命政府が経営するチベッタン・ゲストハウスと、僧院経営のロセリンだけが表通りに入り口を持つ以外は、ホテルの入り口は路地の奥にあって、表通りは間仕切りにして店屋に賃貸している。

本屋に電気屋、駄菓子屋にCDとカセットテープを売るオーディオ屋、はたまた観光客目当てのTシャツやウオンヂュクなどを売る土産物屋、タンカはいかがわしそうな骨董屋の奥に飾られてある。

反対の外壁を背にして露天商は装飾品屋と靴屋と古着屋で、バザール的な雰囲気はある。変わったところではリヤカーに乗せた大鍋で作るフライドポテト屋で、子供のおやつには持ってこいである。

だが、私のチベット人に対する認識度の低さを痛感したものがある。それはインタネットカフェの軒数の多さである。

通りに面している店だけで5軒もある。150メートルの細い筋に5軒である!看板を掲げて無い店や2階で営業している店を合わせたら、一体どれくらいの軒数があるのだろうか。狭い土地に縛り付けられている窮屈さと閉鎖的社会で膨らんでいく鬱積感、大志を抱く若者はそれを撥ね付けようと、夢と希望と憧れをインタネット上に求めているのだ。そんな現実から少しばかり逃避できたからといって、図に乗っていると後で後悔する破目になるぞノルブ・ツーテンよ(ちょっと話しの展開がおかしくなったがまあいい!)。オコウのクリリンが父親恋しと、むずき始めたぞ。モモエの顔も、ムッーとしている。

「ミヨッさん、おはようございます。よぉく、寝ましたか?」

浮かれ票六玉のノルブが、横丁の路地の奥から明るく姿を現した。私を「ダンーナ」だと思って尊敬しているふりは示すが、妙に訛った関西弁である。

「どこへ行ってたんやぁ、みんな心配しとったんやど」

一応その場では、私が年上なのでなじる。続いてモモエも炸裂。

「行くんやったら、ゆうて行き。いつも、こうやねんやさかい、あんたは!」

と、詰め寄ってなじる、半分は私に詫びるように。

モモエよ、あとあとのこともある、もっと言ってやれ!

「一応、断わって出ようとおもったけど、モモエさん、いびき掻いて寝てたから、起こすの悪いと思って。それに休みの日に早くから起こすと、いつも叱られるから」

おいおい、どっちもどっちだなぁ。似たもの夫婦だ。判定はドローにしょう。

「僕、ドルジェの伯父さんの所へ挨拶に行ってました。伯父さん、喜んで僕と何時間でも話しを、たくさんしました。朝ご飯もご馳走になりました」と、続けて言う。ノルブの方が理路整然としているので、ノルブの勝ち。

無事に出会えたので、今度はノルブの案内で歩く。

案内といっても右から左へ、左から右へ、祭りの御輿の様に、ジグザグに練り歩いても、ほんのちょっとの距離である。しかし先頭のノルブが、やたらと出会う人々と言葉を交わし、握手のあと、時には抱き合い肩を叩き逢うので、遅々として前に進まない。

「やぁ、帰ってきたのか」「はい、帰ってきました」

「よぉ〜戻ってきたなぁ、久し振りだね」「はい、ご無沙汰していました」

「おい、元気だったかい。日本での生活はどうだい」「ありがとうございます、おかげ様でこうして、無事に帰ってこれました」

こんな挨拶がなされているのであろう。

だがこのあと、私を紹介するのだ。その度に私は、ひとつ憶えの「タシダレ」「タシダレ」を鸚鵡返しでしなければならないのである。熱烈歓迎は良いが、チベット人は力が強い。分厚い手で交歓されるのも、3人までにして貰いたいが、まぁ、ノルブの顔を立てて、此処はひとつ我慢しょう。

お父っあんが、こっちにやって来た。

昨晩は薄暗い電球の下だったので、改めて太陽の下、細部を拝見させて戴く。お父っあんは太長顔だが、目鼻立ちはキリリで、若い頃は大変モテたであろうと推察される。そして、その姿は純朴なモンゴロイド系の遊牧民の感じを受け取った。

榎木兵衛という役者がいる、番頭や旅の商人、小悪党の一人として出演し、アップもないままに5秒位で消える。だが飄々として時代劇には欠かせない大根?役者だ。そんな風貌が良く似ている朴訥なお父っあんが、こりまた、分厚い手を差し伸べてくるので再度挨拶を交わす。

「パァ ラー、ケラン カーワ ペーゲ?」

私が憶えている、数少ない言葉の中から引き出して聞く。
「ゴン バ」

お父っあんは、笑みを浮かべながら答える。

こんな狭い地域でも荘厳な寺院があるのか?そこは、メーンストーリートのさらに奥で、もう車は入れない。そして左に廻り、右に折れた正面にあった。お父っあんはゴン バというが、日本では地蔵堂とか観音堂とかと呼ぶんだがなぁ。まぁ、お父っあんの顔を立てよう。実際は小さな御堂で、お釈迦様を祭ってあるので「寺」と称しても良いだろう。

私とノルブモモエクリリンとチャンバの順でお祈りする、賽銭箱がないので、10ルピーを線香立ての、いやいやチベットでは線香を立てずに、横に置く風習なので、その横に置く。風で飛ばされたり、カッパラわれたりするかもしれんが、有効に活きるなら、それも良し。私の横でお父っあんは拝み続ける。「オン・マニ・ペメ・フム」、数珠を廻しながら熱心に拝む。本当に、お父っあんは熱心な仏教徒なのだ。

タイトルとURLをコピーしました