ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。
14:15、荷物を廊下に置き靴を脱いで、素足で本堂内に入る。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スイス人のグループ、ひときわ大きなグループは台湾人で、次に韓国人の13人組。そしてインド中から集まった、チベット人達も多くいる。彼らは家族か親類縁者の4〜5人組で、長旅のせいか、身なりはあまり良くない。だがしかし「志」は各国人のそれらより、ずっとずっと立派だ。さらに崇高なのはお父っあんだ。国を出て巡礼すること4ケ月、チベット暦の正月、ダライ・ラマ法王の説法、ローサルを見て帰るというから、大変な信仰心の厚さに頭が下がる。内部はコンクリートの打ち放し、平米数250で、それほど広くない。正面の戒壇には釈迦牟尼を中心に、カギュ派の祖師達のティローパ、ナーローパ、マルパが居並ぶが、どれがティローパで、どれがナーローパかは解らない。我々は、ノルブの指図で、わざと最後尾に座る。わいわいがやがや、てんでバラバラに各国の言葉が行き交うのが、一本の針金のように緊張したのは、堂内に入ってから、5分後のことである。
世界平和を願う、法王・ダライ・ラマ14世を慕い、僅かな供を従えて荒土原野を踏み渡り、高度峻急で厳寒のヒマヤラの峰嶺を越え、艱難辛苦なされたカルマパ17世が、目の前にその姿を現された。その瞬間、お!とも、あ!とも、どちらとも区別の付かない驚愕のどよめきが堂内に響き渡る。気の早いチベット人などは、すでに「オンァ・マニ・パァダ・メイ・フ〜ム」と合掌し、感涙に震えている。お父っあんも、その内の1人だ。各国の巡礼者たちも、それに準ずるものがある。
声明が始まる。御年15歳、若くてもトゥルク(活仏)である。言い知れぬ何か、がある。これはチベット語か、サンスリット語なのか、無学無知の私には解らないが、張りのある威厳に満ちた声である。吉祥座で法界定印をしていると、無塵より広大、不変にして変化の境地に至り、まるで大宇宙と同化していく気分になる。20分程度の読経であった。正座して聞く外国人もいるので、これ位が丁度良い。それが済むと説法が始まる。
「————人類の平等と平和の尊さを、私は訴えます。——相手を思いやる心を養い、この地上に安らぎの楽土を創りましよう」カルマパ17世よりチベット語で秘書官へ、秘書官がそれを英語に訳する。今度は、お目当てのスンドゥー(srung mdud)を頂戴することになる。
スンドゥーは、赤や黄色のものがあり、そして帯状や紐状など各宗派によって異なる。このカギュ派では赤い紐で、すでに適当な長さに裁断され、結び目が一つ作られてある。それらは仏様の前に飾られてあり、先ほどのお経によって清められ、トゥルク・カルマパ17世を媒体にして、「仏様の成就を加持して貰う」と、いうのが一般的だ。一列目の一番から順々に並ぶ。すべての人が、神妙に受け取る。半分が終わっても、堂内はまだ静かだ。前列に居たチベット人がカルマパに対して舌を出すのを見る。そのうしろの5人ばかりの外人たちは驚いた様子だが、声には出さなかった。これはチベットの古い風習で、尊敬する相手に対し敵意のないことを示しているのである。風習といえば、貰ったスンドゥーを、貰った本人が「結縁の印」として、さらにもう一つ結び目を作るのが正式な風習なのだ。外人たちは魔よけの紐ぐらいにしか思っていないのか、すぐに胸のポケットに仕舞込む外人がたくさんいる。教えてやりたいが会話の能力がないのが残念だ。そんなこんなと思っていると、胸がどきどきする。胸が高鳴るのは、順番が近づいて来た証拠でもある。ついに、その時がやって来た。私はうやうやしく頭を垂れ、「オンァ・マニ・パァト・メイ・フ〜ム」、「オンァ・マニ・パァダ・メィ・フ〜ム」、「オンァ・マニ・パァダ・メィ・フ〜ム」と合掌する。合掌すると共に、左手首に巻いてある赤い紐を見せる。これは2年前、Doboom・リンポチェが、神戸で行った「無量寿仏のジェナン(結縁潅頂)の儀式」のおりに貰ったものである。吉祥の鶯緑色のウォンジュク姿と赤い紐を見て、一瞬驚いたあと、カルマパ17世がニコリと笑ったのは、私の眼の錯覚だろうか。次に、お父っあんの番だ。お父っあん、恐れ多いもの、眩いものを見る感じで、緊張して身体が固い。「オンァ・マニ・パァト・メィ・フ〜ム」、「オンァ・マニ・パァト・メィ・フ〜ム」を何回も唱える。側で付いている僧侶に背中を急かされ、階段を降りたのに、まだ足が震えている。続いてノルブとモモエが、クリリンを抱いて昇る。2人とも、少し顔が赤っぽく見えるのは、緊張している証拠だ。ノルブ、チベット語で何か語りかけたらしいが、その言葉は小刻みに震えているので、私の耳には、はっきり聞こえない。表に出る。清々しい。ヒマラヤ颪の春風が心地良い。まこと良い旅、夢気分だ。
冬の暮れは早い。夕焼けの美しさを見ながら帰路に着く。軽ワゴン車のタクシー、下りはまぁまぁだが、昇りにはめっぽう弱い。アクセルを一杯踏んでいるが、急な坂道であるのと同時に砂利道に、時々空転する。そして左右に、大きく車体が揺れる。その度に我々は振り落とされないように、しっかりと掴める所を探す。太陽が足元に沈んで行く。学生時代、山岳部で昇った日本アルプスで、木曾駒で、白山で、雲海に落ち行く太陽を眺めたことがある。それと同じ風景を久し振りに体験する。小石を弾き、木の枝を折り、タイヤを焦げつかしながら時速20キロ、それでも少しづつ、少しづつだが確実に昇って行く。
17:07ホテルに戻る。早速、パサンが飛んで来る。額縁の出来合いを見る。急がせて作らせた割りには上出来だ。お父っあん、訳の判らないままに笑い。ノルブも多いに喜び、モモエも「これならリンポチェも喜んでくれるでしよう」と、絶賛する。モモエに、労をねぎらってやってくれと言い、私も一抹の不安から逃れる。
18:20ダライ・ラマ法主公邸の前にある、kalacha寺院に行く。Lama Doboom Tulkuリンポチェの部屋にお邪魔に行く。ここは、チベット仏教の最高幹部の人たちの事務所兼宿舎である。ノルブより電話が入っているとは謂え、リンポチェは我々を心良く迎えてくれる。秘書などのお供の人は居らず、自ら「お茶」などを出そうとなされるほどの気さくな方である。しかしそれより早くノルブが、勝手知ったる我が家のごとく振る舞い、接客用のお茶を出しに行く。そのあいだ、モモエが私を紹介する。
「リンポチェ、こちらは、もうご存知かも知れませんが、三好さんと言いまして、2年前の99年3月25日神戸で、31日は京都で、リンポチェの儀式に出席され、夕食も一緒になされた方です。今回、この三好さんには、我々は大変な援助を受け、感謝しております」
モモエの、お尻がこそばくなるほどの、お世辞が続く。
「覚えている、覚えている。キョート・ブッキョウユニバサティ、ゲンラ・小野田のローツェですね。あの時は大変、世話になったねぇ。今回も彼らが大変お世話になっているそうだが、まぁよろしく、頼みます」
リンポチェ、先に私の手を取りにおいでになり、厚く握られる。私、神々しく厳かなる雰囲気のカルマパ17世とはまた違う、どこかに懐かしさや親しみやすさの持てる穏やかなる雰囲気に、表現のすべを失う。ただただ、リンボチェの弟子思いであることを実感する。モモエを通じ、あるいはノルブの話しぶりから観察すると、リンポチェはノルブとモモエが子供を連れてまで、此処に来たことに大変喜んでいる様子である。その温厚なる人柄に接し、私の心は赤子のように初心に返る。大変和やかな雰囲気が周囲に満ち溢れたので、私は例の阿弥陀如来立像を描いた紺紙金泥の話しを、取り次いで貰うことにする。論より証拠で、モモエの通訳よりも、実際見て頂いた方が良いだろうと、開ける。リンポチェ、驚きの表情を示し興味深く手に取りあげると、感慨深げに見入る。
「これは見事な出来栄えだ。しかし、チベットタンカの如来様や菩薩様は座像が大半なのだが、これは立っている。どうしてなのだ?立っている像はチベットタンカでは佛母系のものにわずかに見られるが、最近はあまり描かれていない。それに、このブルーの紙の上に金で描くのには何か、意味があるのかね?それから、何故、私にアミターバーの絵をプレゼントしてくれるのかね?」
リンポチェはタンカにも詳しいようで、色々と質問を投げかけてくる。
「彼は、まだ、日本的にいうのなら、絵絹に描くほど上達していない。彼は現在、彼が持っている仏教観や自身の思想など、今持ち得る最大の技術で正直に描いたものである。阿弥陀様は、リンポチェが神戸の結縁潅頂の儀式のおり、御自身が阿弥陀様の化身と看做して儀式を受けなさい、と言われたので、それをイメージして描いたと言ってます。まことに拙いものですが、収めて欲しいと言ってます」
私はノルブの入れた紅茶を静かによばれているが、モモエは額に汗して通訳してくれる。
「紺紙に描く理由は、….うーん、通訳のことを考えるとあんまり難しいことも言えないな。
「青い紙、紺紙に描いたのは、特に意味がない」モモエに通訳を頼むと、リンポチェはOK!OK!のサイン。
「それでは、このアミターバーの指先は何を意味しているのかね?」そのあと、リンポチェは指先を示し、その意味を質問してくる。また困ったことを質問してくれる!それは左手は、普通?の与願印だが、右手は施無畏印ではなく、応身説法印であったからだ。これは活きた仏様が民衆の前に現れ、嘆きや悩み、困窮を聞き、その願いを与える、という意味なのだが。私は自分が描いた作品であるから、当然、その意味は解っているが、これを通訳するには、想像しただけでも困難なのは分かる。そこで、
「私が日本に帰国して、小野田先生に頼んで、リンポチェの質問に対しての答えを文章に書いて送るから、それまで待ってくれ」
通訳をモモエに頼む。モモエ、これは通訳出来る。ところがリンポチェは、
「おお、それはグッドアイデァ。だけど、そこまでしなくても良い。六月に日本へ行く予定になっているので、その時にでも、私が直接聞こう」と、おっしゃる。えぇ!六月に!日本に!私、ノルブ、モモエ、お互いに顔を見合わせ、そしてその先を、リンポチェに注いだ。リンポチェ、涼しげな顔して続けて、
「ヒロシマ キョート&ナラーーー」
と言ったところで、例によって、恒例の停電となる。ノルブ、急いでロウソクを探すが、ロウソクの置き場まで憶えていない。
「う〜ぅん、少し早いが予約しているので、食事に行こう」
うろたえるノルブを尻目に、懐中電灯を取り出す。我々もその灯りを借り、自分らの懐中電灯を取り出してモゾモゾ移動し始めたのである。
