ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。
そのゲスト・ハウスは、元々は亡命政府が経営していたが、どういう経緯か解らないが、現在はフランス人が経営している。モモエが道すがら、日本語で教えてくれる。懐中電灯の乏しい灯りを案内にして歩く。距離は大したことはなく4〜5分の所にある。急な階段を上がると、なんと電気が点いている。大きなエンジン音がするところを見ると、自家発電のようだ。玄関を入ると左手がレストランで、宿泊客の大勢の外人が食事をしている。リンポチェが姿を見せると、総支配人が大急ぎで挨拶に来る。そして我々は、2階の貴賓室へ案内された。そこは完全なるセキリティ・ゾーンで、容易に無用の外来者を入れない。私もノルブもモモエも、生まれて始めて踏み入れる場所だ。応接室は30平米くらいで、皮製の応接椅子が、でぇ〜んと大きく据わっている。リンポチェが、左側の席を示し「シートダウン」というので、半分は恐縮しながら、半分は厚かましく、言われるままに座る。鶯緑色のウオンジャクを、着て来たことを、喜びに感じる。総支配人のあとに、チーフ・マネジャーと思わしき人が、うやうやしく挨拶に来たので、リンポチェが何かを頼んだようだ。
「大変、お腹が空いているようだが、少し見たいテレビがあるので、食事は9時を回るが良いか?」
と、聞かれる。クエスチョン(?)マークが頭の中を巡るが、リンポチェの言われるままにしょう。テレビが運ばれて来た。「まだ7時前ですが」と言いながらチーフ・マネジャーが、セットしてくれる。「ビデオでも見ますか」、親切に尋ねてくれているが、リンポチェは「適当に」と、我々の趣味を確かめてくれる。我々もインドのテレビは何をやっているか解らないので、雑談の方が楽しいと答える。
それでテレビを付けずにいると、7時の時報と共に電気が点いた。結局、停電は10分で終った。
「いつも1時間は停電するのに、今日はリンポチェのお陰で、短時間ですみました。やはり、リンポチェのパワーは凄い!」
ノルブが、非常に非常に非常に珍しいお世辞ともジョークともつかないものを言う。なんじゃ、それは?と思うが、ノルブの誉め言葉は、慕っている人への最大の敬意なのであろう。それを苦笑しながら聞いたリンポチェはチャンネルを廻す。
あ!写った、写った。あれれ!見たことのあるような番組だ。頭はターバンを巻き、髭面のインド人が姿を現す。と同時にバックミュージュクが流れる。この音も聞いたことがある。前列に出場者、後列と左右に観客。このスタジオ風景も、何かに似ている。日本を離れて一週間、日本のことは、すっかり忘れている。CAROPATI と髭面のインド人が叫んでいる!あぁ〜ぁこれは、うぅ〜ん、喉元まで出掛かっているのだが、このもどかしさはなんだ!
「三好さん、クイズ$ミリオネアって番組、知っています?」
モモエが、まどろっこしさを感じたのか、私に番組名を教えたてくれた。
その途端、
「ホワイト?イエロー?レッド?ブラック?フアィナル・アンサ?」
出場者に最後の問いかけをする。
あぁ!みのもんたが最後に思わせぶりを見せ、出場者を不安に陥れる、例の番組か?とすると、日本の番組のパクリか?カロパティ?私、すぐさま、ウエスト・バッグから電子辞書を取り出すと、
CAROPATIで引くと、[ビリヤード]キャロム<突き玉>がつづけて2つの的玉に当たること=得点
うぅ〜んと頷いてしまう。
「こっちでは、カロパティって言うのか。それじゃ、あの司会者の名前は、なんと言うの?」
モモエに質問を投げ掛けてみる。するとモモエ、リンポチェに問い直す。リンポチェの説明では、
「日本でやっているとは知らないが、アメリカに行った時も見たし、フランスでもやっている。雑学の知識を覚えるのには、丁度良い」と答えが返ってくる。リンポチェのテレビを見ているその眼は、「ザ・カップ」を熱く見入る少年僧と、同じであった。ちなみに司会者は、アミタバ・バッチャンといい、インドでは有名なタレントだそうだ。特に今夜はスペッシャル番組で、1月26日に起こった「インド大地震」のチャリティー番組で、出場者が獲得した賞金は、「全額寄付になる」という。これは本当に素晴らしいことだ。
ホワイト?イエロ?いや、それともレッドかな?いやいやブラックだよ、あの俳優は誰だ?このタレントは何と言う名前だ!リンポチェの眼を盗み、喧々傲々と口喧しく我々は騒ぐ、出された紅茶をこぼしてしまうまで。先程のチーフ・マネジャーがやって来る。申し訳なさそうに「厨房の方の手が空くようになりましたので、オーダーだけでも聞いておきましようか」と言う。もうそんな時間なのか、時計を見ると8時半を回っている。
「ここは中華料理に卓越したコックがいるから、中華を頼もうと思うが、それでいいかね?」
リンポチェ、自ら言い出されたのでお任せする。どっちみち、メーニュを出されたところで読めもしないから、みんなみんなリンポチェにお任せ。山海の珍味が出される。前菜はクラゲにきゅうりのレモン酢かけ、北京ダッグ風の肉のレタス包み、春雨ふうの炒め物と八宝菜、フカヒレスープに海老とホタテ貝とチンゲイ采のうま煮など、最後にはチャーハンが出る。アルコール関係は、まったくない。あるのは、私がウエスト・バッグに入れていた「生味噌ずい」のミソスープだ。モモエの醤油もある。リンポチェ、大いに箸を進められ、目を細めては、食べて居られる。私も、ここなら安心と生野菜を食べる。ノルブとモモエは、例によってTVチャンピオンの大喰い選手権だ。その食欲旺盛にも、ラマ・ドブン・トゥルク・リンポチェの温かい目が、注がれている。
さらに騒ぐこと1時間、10時になるので宴会は、これでおしまい。最後に国賓が宿泊される部屋を見学する。メチャメチャ豪華。チーフ・マネジャーが再度現われ、うやうやしく玄関まで、見送ってくれる。「さて勘定は」と、リンポチェ、バッグより財布を取り出そうとする。それを押し留めたのはチーフ・マネジャーで、
「今日は私の娘の誕生日ですので、支払いは結構です」
と言い、絶対に受け取らないという頑固な態度。リンポチェは外務大臣のような方なので、しばしば此処を利用なされているのであろう。また嘘か本当か、はたまた詭弁か、いずれにしてもリンポチェの温厚な人柄から生まれ出るもの。ここはひとつ、チーフ・マネジャーの顔もあるので、ご馳走になっておく。
リンポチェの部屋に戻る。ノルブが、またお茶の用意に走りかけるのを、私は止めた。そして、「明晩、時間があるならば、いや是非時間を作って頂いて、今夜の返礼として、こちらの方から私達の出来る範囲の中で、接待したいと思うのだが、どうでしょうか?」
モモエに通訳を頼む。モモエも、同意見らしく熱弁を振るう。
リンポチェの答えは yin-dang-yin! (勿論)、
「OK!15:00に迎えに来てくれ。楽しみにして待っている」長々とお邪魔したので、リンポチェも大変お疲れのご様子。明日もお逢い出来るので、今日はこれで、一旦 Shim-jang-nang-go。
外に出ると心地良い風が吹いている。2001年2月10日、私の生涯で、もっとも最良の“思い出の日”になるであろう。満天の星空に向かって、私は叫ぶ!
「I Love Tibet in my heart」と。
