ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。
我々はロセリングを後にして、TIPAロ−ドを歩く。リンポチェを先頭に、シャンバー・ウンチェンと私とノルブ、お父っあんとモモエが道を行けば、物乞いまでが挨拶しに来る。TIPAの舞踊会館に向かっていると、山道の奥の方から1台の車がやって来る。その車はリンポチェの横にピタリと止まり、窓ガラスを開けて二言三言。そのあとすぐに車は走り去る。やや暫くして車が、Uターンして戻って来る。我々の真横で停まり、乗ってくれと合図がある。
リンポチェが電話連絡してくれていたらしいが、待ち合わせ時間より遅くなったので、心配して迎えに来てくれたのだ。その紳士、チベット民族音楽舞踊団の団長でD.N.Choedak氏である。乗れ!といっても小型乗用車で、まず助手席にリンポチェ、後部座席にモモエ、私、お父っあん、あとはもう乗れません。シャンバー・ウンチェンとノルブは、てくてくと歩いて貰う。5分ほどで、TIPA民族舞踊会館に着く。まずは休憩してくれと、団長さんの自室に行く。奥さんが人数分のブラウン・ティで歓待してくれる。日本から来たということで珍しがられ、正式に名刺を交換する。しかし、私のはオール日本語なので、あまり役立ちそうにない。でも世界各地を演奏活動しているので、儀礼的ではあるが、「日本へお越しのおりは、連絡ください」と、モモエに通訳を頼む。ティを飲み干したところで、シャンバー・ウンチェンとノルブが、汗を流しながらやって来る。彼ら2人が一休みしたところで、迎賓館に行く。
迎賓館は広場正面の2階建ての建物で、屋上の見晴らしは最高に良い。天空にヒマラヤの連山を仰ぎ、ロウワー・ダラムサラを遥かに見下ろし、視野は300度以上になる。内外の最高級来賓室に案内された。部屋はさほど広くないが、超豪華な誂えもので、調度家具はノンブラカン・リンカの民芸店で見たものと同じだ。部屋の一角が仕切られており、ダライ・ラマ法王様がモンラムやショトン祭りなどのおりに、御坐りになるという椅子が置かれてある。リンポチェが「シートダウン、ちょっと座っても良いよ」と言われるが、とんでもない話しだ。だけど、ちょっとだけ触ってみる。ふかふかで気持ち良さそう。来世は絶対この椅子に座ってやる!ところで、ノルブのお父っあん、しげしげと眺め、肘掛を何回も何回も撫で撫でしている。この人にしてみれば最初にして最後だろう。どうぞゆっくり、心いくまで、お好きに、押し戴いて下さい。
我々は次に、舞踏練習場へ案内された。舞踊練習場では、ちょうどインド・セントラル・テレビ局が民族音楽と舞踊の収録に来ており、ワンショットをリンポチェに見学して頂きたいということで、早速、プロデューサにカメラマンと主役の女優が、こぞりたって挨拶に来る。Choedak団長さんが、「記念に(集合)写真を取りましょう」と勧めてくれる。リンポチェを中心に、一同居並ぶ。私はリンポチェの勧めで右隣り、そして私の右には、あの美しい女優さん、リンポチェの左には団長さん、その横にお父っあんを勧めるが、お父っあん、恥ずかしがって後ろに退く。ノルブもモモエも遠慮がちで2列目。適当に並んで、プロのカメラマンによる記念撮影。もちろん影ができないように、レフを使っての撮影に、大いに満足する。新聞紙大のパネルにして、隣りの民族博物館兼展示場に展示しましようと団長さん。私を、大いに喜ばせてくれる。
撮影が始まる。若き旅人が一族の長の家を訪問し、民族音楽と舞踊で歓待される、まぁ「ウルルン滞在記」のチベット版というところかーー。撮影は真に迫るものがあり、後世に伝統を、いや民族意識を残そうという雰囲気が真剣に漂う。———撮影が終ったところで、隣りの博物館兼展示場に行く。展示場で民族衣装などを見学する。昨日訪れたノンブラカン・リンカと同じ雰囲気だが、こちらは舞踊練習場の中にあるということで、こじんまりしている。いずれも民族衣装は、昔は相当に贅沢なもの(衣装)を着ていたようで改めて感心する。さらに見渡して行くと、パンジャーブ州の州知事が民族衣装を身に纏い、団長さんとレセプションしているパネルがあり、先ほど撮影された写真が出来上がれば、その横に展示しましょうと団長さん、再び私の心をくすぐってくれる。読者諸君よ!ダラムサラに行かれたならば、是非とも訪問されて、見て下さるようにお願い致します!私の肖像が後世まで、ここに展示される——なんて。amida369と名乗っておいて正解だった。なんとも尻こそばい気もするが、まぁ世界に一つぐらいあっても良いだろう。団長さんに感謝のつもりで寄付などしょうと考え、モモエに相談すると、「お金の寄付でなく、土産物なども売っているので、何か買ってあげたら」と勧められる。通訳して貰うと、団長さん、室内演舞場の一角に案内された。そこでCDやTシャーツなど販売しているというので、見せて貰うことにする。チベット独特のものはないかと捜したが、モンラム祭やショトン祭とは季節が異なるので、今は閑散としており、土産屋のおばちゃんも突然の買い物客に戸惑いの色が濃い。ここは民族音楽祭をする場所でもあり、日本への手身近で持ち帰り易いもの、この2通りから考えCDを買うことに決める。見せて貰うと、とても良いものがある。“Akama 2000”という名のCDがあったので、一も二もなく此れに決める。“ア・カ・マ”、ダライ・ラマ13世の死後、啓示とおり、聖湖アモイラツォに行くとア(Ah)カ(Ka)マ(Ma)のチベット文字が浮かぶのを視て、そして、アムド地方タクツェル村で転生した14世を発見するという「ダライ・ラマの自伝」を思い起こす。
1枚250ルピー、日本円750円は超安い! おばちゃん! 全部売ってくれ!何?6枚しかない?それだけでも良い。ところで聞くが、おばちゃんよ、Akama 2000 というからには、2000年度版は、この地球上からは、これでおしまいだよね。う〜ん、そうか、全部、全部買い占めるぞ!
その日、我々は昨夜の返礼として、リンポチェをチベット・ホテルのレストランに招待した。団長さんも一緒でホテル付近は駐車場がないので、腹減らしのつもりも兼ね、全員歩いて行くことにする。夕暮れの山道を歩くなんぞ、ここ15〜6年無い。たまに、幼い子供の頃のノスタルジャに還るのも、そう悪くない。18時40分に到着する。レストランでは、宿泊客や外食者の家族連れで、開きテーブルは二つしかない。それでは離れ離れになるので、団長さん、総支配人を呼ぶ。総支配人、火事場に向かう消防車のごとく、大急ぎで飛んで来る。二言三言。我々は地下のプライベート・ルームに案内される。
長方形のテーブルに白いクロスが敷かれ、特製の食卓を設けて貰う。チベットの山河に向かう求道者の壁画を背に、主賓のリンポチェ、そして左側に団長さん、その横にシャンバー・ウンチェンとノルブ。右側に私、真中にお父っさん、そしてモモエが並ぶ。銘々、一品だけ自分のものを取り、あとはモモエに任せるとしょう。19時になる。「リンポチェのフォースのお陰で、今日も停電しまへんなぁ」主催者側を代表して、私が最大限のお世辞を言うが、不発に終る。リンポチェ苦笑している。料理を待つ間、いろいろ冗談的な雑談を始める。それには理由がある。横に居るお父っあん、ドブムリンポチェとは初対面らしく、民族舞踊会館から、ずっと緊張している。なんとか、柔らんで貰わねばと考える。
そこは心優しいリンポチェ、リンポチェの方から、「17日に先ほどの民族舞踊会館で、1月26日に起こったグジャラート州・ブジを震源地とするインド大地震のチャリティーショーがある」ので、是非見に行ってやってくれと、依頼がある。もうひとつは、紺紙金泥の阿弥陀像の話しで、やはりリンポチェから「昨日貰った絵を、今日改まって見たところ非常に良く出来ている。大切にするが、実は南インドに千躰仏寺の建立を計画しているが、次にはどんな仏画を贈ってくれるのか?」と、私への配慮であろう、ユモーアたっぷりに話題にされる。料理が運ばれてくる。クラゲときゅうりの酢のもの、海老とパイナップル(たぶん缶詰もの)のチリ風味、きしめん風(幅1センチの帯状の麺)五目焼きそば、海老団子の揚げもの、糸状肉とピーマンの餡かけ風味、麻母豆腐?(ミンチ肉・何の肉か解らない、トウフは高野トウフのように堅くて揚げてある)、そして各自にはテントゥかモモで、飲み物も各自の好きなもの。勿論、お馴染の焼き飯もある。料理がくれば隣りどうし三々五々、「その皿寄こせ!この料理そっちにやろう!」わいわいがやがやと蜂の巣を突付いたように賑やかになる。
それに輪を架けるのがノルブで、写真をバンバン撮る。そしてプリンタしては皆に配る。チベットの人は写真が好きだ。自分の分身か、宝物のように、とても大事にする。こんなパクついている写真など日本人なら嫌がるが、すべてオール・オーケーだ。普通なら近寄り難き、尊いラマ僧のリンポチェも笑っている。ノルブが撮った写真を、リンポチェ、微笑みながらバックにしまう。私は、リンポチェの、こういう気さくな所が、とても大好きである。そして、TVチャンピオン大喰い選手権のように最後の最後まで、渇喰うノルブとモモエに、たまらまく好感を抱く。クリリンからいえば母親不在・父親失格の面も多少あるが、実にいい夫婦だ。
ロセリングに立ち寄ったリンポチェ、「明日の昼で、一旦、ダラムサラを去るが、ニューデリーのチベット・ハウスで執務しているので、帰りには必ず寄ってくれ」と、言われる。私、再会を約束して別れる。シャンバー・ウンチェンとノルブ、リンポチェを送って行く。私、姿が見えなくなるまで合掌して見送った。
