ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。
「ミヨっさん、こっちですよ」
ノルブが、再度呼ぶ。その方向を見ると、部屋の片隅で一つの机を囲み、年配のお坊さんと姉と弟とが、ミニチャアのマニコロの中に入れる経文を、小さく丸めている。その経文は虫メガネがないと読めないほどの細かいもので、幅2センチにもないほどのものを、1巻2巻3巻と巻いて行くのであるが、相当熟練を要しそうである。巻き終えると2.5センチ位の金属製のマニ車の中に入れ、いずこかの土産物屋の店頭に並ぶのであろう。ノルブに「譲ってくれる」ように通訳してくれと頼むが、一度、祭壇で奉り“ご祈祷”してからでないと駄目だと、断られる。“チベット製のマニコロには、良心が篭っている!”そういう事情であれば仕方がないので諦め、3人して屋上に上がる。
屋上から天上を望む。5〜6月ではないのでブルースカイとまではいかないが、雲一つない青い空は遮るものがないせいで高く見える。天下を見下ろす。ヒマラヤといっても、ダラムサラの標高は1600メートル足らずであるのにも係らず、極端にいって「樹木」が少ない。早朝のゲスト・ハウスの屋上から見た風景よりも、急峻のガレー状態を下より見ると、さらに危険度を増した生々しい姿を見るに至っては、ここで住まなければならない哀れさと共に、ある一種の強かさと逞しさを感じる。
中庭に下りる。さらに、その下には広場があり、その先には学校があると、ノルブは説明する。もちろん今は冬休み中ということで、誰1人として姿がなく、もしかしたら3階に居た姉と弟は、この学校の生徒かも知れない。今度来る時は、折り紙の一つか二つ位、覚えてこなければいけないような気がする。
あっ!あれはもしかしたら?——サクラの樹では?その時である!2本ある、サクラの樹の陰からーー。ガオォ〜オォ〜ンオン!獰猛なチベット犬だ!あまりに近付き過ぎたせいだ。眼光鋭く、全身真っ黒で、舌だけが赤い、いけ猛々しいヤツ(大型犬)が、吼え掛かる。ガイドブックや旅行記などでお馴染みの、牛の足さえ噛み砕くという例のヤツだ。話しに聞いてはいたが、見るのは始めてだ。しかし他人には凶暴でも家族には良く懐くのであれば、それは番犬としての任務で、ましてや鎖で繋いで、こちらまで来ないならば、さほど怖がる必要はない。サクラかどうか確かめに行こう。幸いなことにチベット犬は、奥の方にある樹に括り付けられてあるので、手前の樹で確かめよう。冬であるところから葉はないが、枝の形状と木肌で確かめる。〜〜うぅ〜む、やはりサクラだ。だが、おかしい?日本でいうところの「しゃくなげ」、ロードデンドロン系の白赤・ピンクの花は高山植物で3〜4千メートル級でも咲いている図鑑は見るが、1600メートルの寒冷地でも「桜」は咲くのか?富士山の五合目でも「富士桜」が咲くと聞いたが、———どんな色の花びらを付けるのであろうか?
「三好さん、私も、その時期におらんかったもんで、見ちょらんかったですが、11月頃に薄いピンク色の花びらだそうです」
繁々と見入る私に、モモエの三重県弁が届く。
うぅ〜ん、そうすると、沖縄のサクラのような緋寒桜か?いやいや、こちらの方が却って原種なのかもしれない。大いなる興味をそそられた私は、下に落ちている種を拾い始めた。5〜60粒ほど、拾ったところで空を仰ぐ。サクラの梢は吸い込まれるように、大空へ伸びているがーー。ここで生まれ、ここで育ち、ここで朽ちる。——サクラと此処に住む人々との生活に、感情的になるのは、閉塞的な土地のせいかも知れない。いや、日本人の驕りかもしれない。
「新垣さん?新垣さん!——と違いますか?」
ヒマラヤ桜を愛着で撫でまわし、名残を惜しんだあとチベット図書館を離れ、タクシー乗り場になっている釘折れの坂を登り初めて6度目の坂道で、我々が呼びとめられた。それは確かに日本語で、モモエの本名である。
「えぇ!!———えぇ〜と?」
突然、しかもインドに付いてから、私以外からの日本語での、しかも本名で呼ばれたので、モモエが戸惑うのも無理もない。
「うぅ~ア・ベ、野さん?阿倍野さん・・・・ですよね?」
やっと思いだしたようで、相手の名前を言った。
「憶えていてくれましたか?——ところで、こんなところでお逢いするとは思ってもみませんでしたが、えーと?皆さん方はお友達ですか?」
阿倍野と名乗る男は、我々の存在気が付き、実は〜と、モモエがこれまでの経緯を語る。阿倍野は感慨深気にそれを聞いていた。
「奇遇ですなぁ、こんなところで日本の方とお逢い出来るとは、私は〜〜」
阿倍野は、正式に私に自己紹介し始めた。それによると阿倍野は、岡山県の出身で、35才で、やや小柄な体格であるが、眼鏡の奥からは知的な性格を見せながら、「現在は南インドのガンデン寺院に留学していて、冬休みの休暇を利用してムスーリーの奥にスキーに行く予定だったのだが、山崩れで春まで入山できない。それで仕方なく昨日、ダラムサラに降りて来た」のだと言う。
「ところで阿倍野さん、どうして此処へ、何か、特別な用事でもあって来られたのですか?」
モモエ、3〜4年も逢わぬ友人に対して常人がする世間話しのように、また至極当然のように疑問を投げ掛ける。
「い〜ゃあ、よかった!あなたに逢えて。特にあなたの旦那さんがチベットの人なので、い〜ゃあ、地獄に仏とは、この事をいうのかもしれない。——実は」
帽子を脱いだ坊主頭をハンカチでひと撫でしたあと、阿倍野が語ったのは、「チベット人の老婆が居り、その老婆の家が雨漏りで困っているのだが、どこが傷んでいるのか解らない。良かったら、近くだから一緒に行って相談に乗ってやって欲しい」と言うのである。私に嫌な予感が走る。だが人の良いチベット人のノルブは、半ば強引な阿倍野の言葉に飲み込まれ、私やモモエに、「えぇ格好を見せよう」とする。リンポチェより大任を任され有頂天になっているノルブの耳には、我々の顔色を読み取る力や意思はなく、仕方なく阿倍野の後を付いて行く。話しの老婆の家は、阿倍野の言う通り、出会った場所から3曲がりして、50メートルばかり坂道を登った所にあった。
阿倍野は、その老婆と一瞥以来の挨拶をし、その後「良き相談者を連れて来た」と、我々を紹介する。その老婆は我々を家の奥へと案内し、遠方の近しき親類を持て成すように紅茶とクッキなど、その家で出来る最大限の接待をしてくれる。家は2DKでギャワ・リンポチェ(ダライラマ猊下)の肖像画と、お釈迦様のタンカが飾られてあり、以前は中流以上の生活をしていたらしく、調度品もそこそこの物を揃えてある。老婆の語り口は、もの静かで丁寧な話しぶりである。だが世間話しの、国を追われた苦労話しをするうちに、そして大工だったというお爺さんとの死別したという話しの途中から、思い出が込み上げてか涙目となり、我々も大いに同情が湧き、心を痛くする。しかし、本題の雨漏りの話しをし始めた頃、モモエの眉間が曇り始めた。私は一瞬にして、これはヤバイ話しに成り始めたと直感する。モモエは阿倍野の手前、私には通訳をしないが、私の頭の中では、すでに職業的勘が働き始めていた。私は植木屋と言っても、ただ単に葉刈りや樹の剪定だけでなく、自分で言うのも可笑しいが、多くの家に出入りしていると、雨漏りや瓦のズレの相談から樋の掃除、はたまた換気扇の交換に台所の床張りまで、ありとあらゆる用事を頼まれる。つまり便利屋なのである。ノルブは能天気の性格を現し、気軽に引き受けようとしているが、モモエは必死になって断ろうとしている。
話しを纏めると、こうである。雨漏りの原因を捜し、なんとか修理して欲しい、と老婆は哀願しているようだが、老婆には金がない!頼るべき親類などは遠方で、かなり前から疎遠になっている状態だと言う。そこで、その費用を阿倍野が負担するというが、さてどれ位の金額がいるか、解らない。それならば見積りを依頼すれば良いのだが、その依頼する業者を、土地不案内の阿倍野は知らない。ノルブならば、かつては此処に住んでいた経験もあるので、業者も知っていようという事で、是非紹介して欲しい。そして自分は明後日には、此処を後にするが「暫く此処にいるならば、面倒を見てやって欲しい」と言うのである。ノルブは例のごとく、いつもの調子で、「ロウワー・ダラムサラに行けば、大工や板金屋が沢山あるよ」と答える。しかしモモエは真顔で反対している。「現在、我々はインドに来ている、旅の途中である。ましてや、これまでの体験からして1日に一つの事しか出来ていないのである」予定している事も多く抱えているので、これ以上、手間は掛けられない、と言う。最後に私の耳元に小さな声で、「阿倍野さんが、これも何かの縁だと思って、出来れば費用の一部を負担してやってくれないだろうかと言っている」と、囁く。私は、老婆に充分に同情は寄せられるが、やはりモモエの言う通りだろうと思う。
すでに老婆も阿倍野や我々に絶大なる期待をしている。この場は、長老の私が「答え」を出さなければ、まとまりが付かないだろう、と推察する。私はノルブに、「明日、ロウワー・ダラムサラに行く予定を立て、行ったならば然るべき業者に、此処の場所に見積りに来させ、見積書が出来たならば、お婆ァさんは其れを阿倍野さんの所へ郵送し、阿倍野さんは其れを見て、やるか、やらないかを判断し、自分が此処に来れる日を決めれば良い」と通訳させた。
「また、費用的に無理ならば、阪神・淡路大震災の時のようにブルーシートを掛けて釘打ちして応急修理をすれば良い」と、阿倍野に助言する。全部が全部、うまく行かないが、一応、年の功で纏める。老婆の昼飯を食って行け!と言う言葉を、何もしてやれない気の重い胸には入らないので堅く辞退して、阿倍野を残して我々3人は、老婆の家を後にした。
「でも、おかしいですよ?今まで、お風呂に入れて貰えていた家から断られたので、あの下に風呂場を拵えているうんですから、少しぐらいは持っているんですよ。それになんで、今まで、———断られる理由が、お婆ぁさんにあるんですよ。コーチンに親類があって、多少裕福らしいんですよ、そこに援助して貰えば良いに…」
乗り込んだ軽タクシーの堅い座席に揺られながら、モモエは「ぼやく」が、この国における現実の困窮度の高さに、その後に続く会話がなく、私は腕組みして狸寝入りしているうちに、本当に寝てしまった。
「ミヨっさん着いたよ、起きて」ノルブの声に目を覚ますと、タクシー乗り場であった。寝ぼけまなこで降りると、チャンパに抱かれたクリリンが居る。珍しくモモエに抱きついて行く。私、クリリンの頬を撫でながら言う。
「なあクリリン。おまえが大きくなる頃にはこのダラムサラはどんなになっているのかなあ?チベットの未来はどんなになっているのかなあ?」
