インドの中のチベットへ 第二話「ダラムサラの日々」

今回は山本幸子さんからのお便りをご紹介致します。全5話でございます。


バスは私たちを乗せると、すぐ出発した。そして郊外のチベット人集落でさらに何人か乗せると、いよいよ本格的に走りだした。

座席が後部寄りのせいか、よく揺れる。明るいうちは車窓を見る楽しみがあったが、間もなくそれもなくなった。私は眠った。バスは数時間おきにトイレ休憩をする。私はその度に外に出て、体をほぐした。

何度目かに目ざめると、外が明るい。バスは町の中を走っている。道が登りになり、だんだん高度を上げる。バスが止まった。ダラムサラだ。何人かが降りる。

バスは再び出発した。上りが急になる。道幅が狭い。

(こわいなあ)

と思ううちに、小さな町の三叉路で止まった。目的地のマクロードガンジだ。ダライラマが亡命してからできた、チベット人の町だ。

私とリムさんは荷物をしょって歩きだした。ホテルカイラスと看板があるところの階段を上がると、二階に食堂があった。なかなかいい。窓は片側が法塔のある寺に面しており、片側は森を見おろしている。チベットパン、ラッシー、などを注文する。おいしい。

私たちはここが気に入った。でもここには、明いた部屋がなかった。食事を終えると、私たちは宿をさがしに出た。そしていくつかのホテルをあたってから、裏通りの小ぎれいなホテルに決めた。

トイレ、シャワー別で、二人で九十ルピーだ。部屋に窓がなくて暗いが、値段を思えば、しかたがない。私たちは荷物をほどいてシャワーをあび、汚れ物を洗濯して室内に干した。

私たちはそれからちょっとウトウトした。目が覚めると昼になっていた。今日のうちに図書館をたずねて、勉強の見通しを立てる必要がある。そこでまたカイラスへ行き、昼食をとって歩きだした。

図書館はマクロードガンジとダラムサラの中間あたりにある。私たちはショルダーバッグひとつで、一時間余りの山道を下った。図書館があるあたりには亡命政府の建物が集中していて、ちょっとした集落になっていた。

図書館は寺院のような立派な外観をしていた。私たちは受付でどんなクラスがあるかを調べて、チベット語や法話などのクラスを申し込んだ。

私は受付の女性に、デリーでドルジェさんが書いてくれた紹介状を見せた。するとすぐ、館長室らしいところに案内された。そこには大きな机の向こうに壮年の女性が座っていて、あいそよく応対してくれた。そして、

「付属のゲストルームがあいています。今のところゲストが来る予定はないので、そこに泊まってもいいです」

と言ってくれた。トイレ、シャワー、次の間付きで、二人で六十ルピーだ。安い。その上、すぐ近くにあるから、毎日勉強に通うのにも便利だ。私たちは喜んで宿替えをすることにした。

図書館

私たちは山道をもどり、またカイラスで夕食をとった。それから宿をひきはらって、図書館までタクシーに乗った。

ゲストルームの鍵を受け取って中に入ると、かび臭い。すっかりしけっている。しかたがない。私たちはしけったマットの上にシュラフを広げて、8時ごろから寝てしまった。

翌朝は早く起きて、私はヨーガ、リムさんは座禅と、思い思いの日課をしてから、持ち合わせた食物を分けあって朝食をとった。それからは別行動だ。私はチベット語がすこしできる。リムさんは全くできない。それでそれぞれ、自分にあったクラスに参加する。

私はまず法話のクラスだ。図書館二階の、仏壇のある大きな部屋だ。僧服を着たチベット僧が部屋に入ってくると、みんな五体倒地して迎える。部屋にはぎっしり人がいるから、本格的にはできない。略式だ。私は左右を見ながら、形をまねる。三回くり返すうちに、僧は席について、和やかに話しはじめた。

チベット語だ。ちっともわからないが、時々わかる単語がある。話が一段落すると、一段低い席の若い男性が、英訳してくれる。そこにも時々わかる単語がある。悲しいかな、これが私の実力である。

チンプンカンプンのまま一時間余りたつと、法話が終わった。また五体倒地して僧を送ると、急いで三階の小さな部屋へ。今度はチベット語のクラスだ。若い男性がチベット語のテキストを読み上げ、英語で説明してゆく。さっぱりわからない。

二つのクラスで、一日の授業はおしまいだ。私は宿舎にもどり、リムさんと落ち合って、食堂をさがしに出た。小さな集落だが、数軒の食堂があった。私たちはそのうちの一軒で、焼きめしとラッシーの昼食をとった。おいしい。

午後、第一にすべきことはそれぞれのテキストの購入だ。書名は先生やクラスの仲間に教わっていた。それを買いにゆくのである。それだけのことだ。ところがそれがむずかしい。

本屋はチベット医学と暦学の、研究所の近くにあるらしい。研究所は、車道をタラタラと下ったところにあった。その奥の、建物と建物の間の隙間のような道を下ると、平坦な小道に出た。

本屋はそこにあった。そこが本屋だということは、入ってはじめてわかった。ガラスケースや棚に、すこしばかりの本があるだけだ。それでも、私たちはそこで求める本を買うことができた。

帰りは別の道を通った。そしていくらかこのあたりの地理に明るくなって、私たちは宿舎に戻った。その途中、図書館近くのネウチュンカフェに寄って、夕食のためのパンとペットボトル入りの水を買う。

宿舎に帰って、私たちはそれぞれの勉強をした。私はテキストの今日のところを復習する。いったい今日、私は何を習ったんだろう?私は会話はともかく、文章の方は、ある程度読みなれているはずだった。ところが、習ったところを辞書で調べてもよくわからない。

しかしとにかく今日の分の復習をすませ、明日の分の予習も終わるころには、もう夕食の時間になっていた。買った水で茶をいれて、パンを食べる。私は食いしん坊で大食いなのだが、旅先ではあっさり適応する。量も内容も貧しい食事で、私はちゃんと満足する。持ち込んだオールドパーをちびちびなめて、ごきげんになる。

翌日は日曜日で、授業はない。朝食のあと少し勉強してから、リムさんと私は果物を買うために外出した。小さな露店の果物屋でバナナやみかんを買ってかえり、分けあって食べた。姿は貧弱だが、おいしかった。

昼食は外出して、ちょっとリッチに、しゃれたホテルの食堂でとる。値段は高くない。帰りにはあちこちの店で、パン、クラッカー、ビスケット、水などを買う。水は何よりの必需品だ。旅行者だけでなく、土地の人もペットボトルのまま持ち歩いて、飲んでいる。

宿舎に帰ってまた勉強をして、夕食後はおしゃべりして過ごす。私はオールドパーをなめながら、リムさんはお茶をのみながら。

翌日は月曜日だから、また勉強がはじまる。法話のクラスと、チベット語のクラスと。どちらもチンプンカンプンだ。かなしい。こんなことでは、はるばるここまで来たかいがない。なじみになったネウチュンカフェで食事しながら、私はリムさん相手にぼやいた。

すると、隣のテーブルの女性が日本語で話しかけてきた。法話とチベット語のクラスをいっしょに受けている人だ。

「日本人です。花井といいます」

と言う。チベット人が洋服を着ていると、日本人と同じに見える。だから今まで、私はその人が日本人だということに気づかなかったのだ。

花井さんは私たちに同情してくれて、援助を約束してくれた。そして早速、数人の日本人に紹介してくれた。そしてその人たちといっしょに、私たちのために何ができるかを考えてくれた。

私が調べたがっている法塔と祈祷旗について、知っていそうな人は誰か。また、私とリムさんの実力に応じた授業を、どこで受けられるか。役に立つアイデアが、いくつか出た。私は感動した。

(ありがたいなあ。助けてくれる人がある)

なんとかなりそうな気がしてきた。

その翌日、私は野口さんというとても若い女性と一緒に行動した。日本人の密教研究者のK氏が来ており、K氏のために密教寺院で砂マンダラが供養されるのを、見学させてもらうことになったのだ。

私と野口さんはダラムサラまで歩き、そこからバスに乗った。野口さんは高校卒業後ダラムサラに来て、まだ半年にしかならない。それなのに、チベット語を流ちょうに読み、話す。ゆくゆくはチベット医学を勉強したいのだそうだ。心強い。

バスは郊外の、真新しいチベット寺院の前で止まった。野口さんは境内で会った人に途中で買った果物などをあげて、親しげに話している。この寺は日本人の寄進で建てられたのだそうだ。野口さんは関係者と親しいらしく、ダラムサラに来てしばらくは、この寺に寄宿していたのだそうだ。

建物に入ると、K氏はすでに来ていて、早速紹介された。そして私たちは一緒に一室で昼食をごちそうになってから、本堂に案内された。

供養がはじまった。ゆっくり、荘重におこなわれる。合間に小休止がある。そんな時に、K氏は私の研究について聞いてくれ、助言を与えてくれた。また、目の前でおこなわれている供養の意味を、教えてくれたりした。私は砂マンダラを写真で見たことはあった。だが実際に見るのははじめてだ。それで邪魔にならないように気をつけながら、一生懸命見た。

日が暮れてきた。私はとても残念だったが、野口さんと一緒に途中で辞去した。

翌日、私とリムさんは大変なニュースを聞いた。ダライラマが、特別に五日間の法話をおこなうそうだ。そしてそれは、誰でも聞けるというのだ!

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