「成都〜憧憬のラサへ(恐怖のSARS編)」第二話(三好孝さん)

三好孝さんによるラサ旅行記です。楽しんでください。


4月25日、4時半にモーニング・コールで起こされる。隣りの0氏も渋々起きる。

「5:00には手荷物以外のトランク類はドアの外に出しておいて欲しい」との事なので、早々に顔を洗い、着ているトレニングウェアをトランクに詰め込む。5時前にカード・キーを、ポケットに入れたことを確認し部屋を出る。

三々五々に2階の食堂に向かうが、17人の旅行客は皆、眠そうである。3つのテーブルに別れて座ると、我々よりもさらに眠そうな給仕が出てきて事務的にチンゲン菜や5種類の野菜を炒めた物などを運んで来る。

ご飯は例の学校給食のようなパサパサ飯である。ほとんどのご婦人は戸惑っている。

ところが旅慣れしているUさんが、「外人客用に洋食もある筈だ」と発言したので、中国語の出来るK氏が給仕に問い合わせると、食堂の隅にバイキング形式の西洋食が並んでいるのを発見する。

しかしベーコンや粗引きウインナーなど、こってりした油ものばかりで、眠けまなこの我々には食欲不振になる。まだ少しマシなハムエッグやフレンチ風エッグと、硬いが食パンらしき物で我慢し、コーヒーとマンゴジュースなどの飲み物で朝食にしたのが大方の人達である。

「45分にはチエックアウトを済ませロビーに集合して欲しい」と、添乗員の久我さんの指示どおりに動きバスに急ぎ乗り込むと、運転手は我々を客と思わず貨物か何かのように、脱兎のごとくに走る。

我々は「6時は早朝だ」と思っているようだが、中国の人達はさらに早い時間から活動を開始している。我々の乗せたバスは郊外の空港へと走るが、公営のバスや自転車の群れは逆に市の中心部へと、ウンカのごとく押し寄せて来る。

その往来の激しさも面白いが、それぞれが白いマスクしてペタルを漕いでいる姿は、やはり異様な風景だ。中にはピンクやブルーやイエローといった華やかなマスクもある。

それらの大方は若い娘達がしており、あとから聞いた話しだが、衛生マスクの製造が間に合わないらしく、おしゃれ気のある若い娘がブラジャーを半分に切り、紐を付けたのが口コミで広がり始まっているらしい。SARSが長期化すれば、アメ村や原宿、表参堂で花柄や刺繍、ひらひらフリール付きのブラジャー・マスクが流行するかもしれない。

チェック

TTB(チベット自治区入域許可書)は現地ガイドの黄さんが無事に取ってくれている筈なのに、空港での審査は厳しい。

ボディーチエックや手荷物検査でしばしばランプが反応する。家の鍵や自動車キー、そして爪切りや金属性のキーホルダーなどに特に反応する。

その度に白衣を着て大きな白いマスク姿の検査員のいる別の所に連れて行かれ、手荷物を全部オープンさせられる。

幸いにして私は、パスポートに財布、デジカメと時計などポケットの中身を空ッポにするように、すべてを検査員に手渡したので、すんなりと通る事が出来たが、NさんとWさん、そしてUさんまで引っ掛かった。

「あの旅慣れしているUさんが〜〜」、我々はこれからの旅に不安を感じた。だが三人は程なく5分間過ぎ後に開放されて戻ってきた。

祇園で茶蕎麦店をしていると言うT・Hさんが心配顔で尋ねると、Nさんはデジカメを、Wさんは計算機を胸の内ポケットに入れていたのを、Uさんに至ってはバッグの中にペットボトルが2本入っているのを、咎められたと言うのである。

Uさんは「アルコールの機内持ち込みが禁止だそうで、開栓して飲んできましたわ!」と笑い話しになったが、実はこの時点ではチベットは特殊な地区で、持ち込んではいけない、いわゆる密輸品の検査だけとタカをくくっていたが、実はSARSの感染防止検査もなされていたのである。

7:20、300人乗りの機内は一席の空席もない。日本人はどうやら我々だけで、台湾や韓国の人も多くいるらしく、5ケ国語ぐらいが同時に喋るので、喧嘩しているように聞こえる。

静かになるのは朝食を出された時ぐらいであるが、それも7〜8分程度しか持たない。

学生の一行が乗っているらしく、「その肉、食わないなら俺にくれ!」「馬鹿言え!そっちこそ其のパンを寄越せ」と、広東訛りの中国語で話している(と私には聞こえた)。私は呆れ果てて、MDの浜崎あゆみで耳をふさぐ内に今朝の睡眠を取り戻すかのように、またも眠ってしまった。

飛行機から見た延々と続く山々

その眠りを揺り起こしたのは8:56で、左の窓際の乗客から、どよめきが沸き起こった。雪をたたえた神々しい峯々が見えてきたとの事である。

カメラ好きのAさんとWさんは、いち早くカメラを取り出すと10枚近く連写する。私も0さんに席を譲って貰って、3枚だけシャッターを押す。

そのあと高度を落とし始めたのは9時を10分過ぎた頃で、右側に岩山の連山が見え、それは水平線の彼方まで続いている。さすがに中国は広い!

しかし、その岩山がガレー化して砂漠化しているのは残念である。さらに高度が下がっていくにつれ、世界最長といわれるヤルツァンボ川が蛇行しながら流れているのが見える。そこは両岸に草木は無く、砂ばかりの川原が荒涼と続いている。

9:17、クンガ空港に着く。途端に息が苦しい。Wさんが持つ高度計が、3680メートルと計測している。

自国民の中国人でさえ、ゆっくりと大きく息を吸い、高度に順応しょうとしている。

空港内は喧騒が漂い、異常感の高いのが解る。個人や小人数のグループは三々五々に外に吐き出されて行くが、我々は足止めを繰った。

我々は1ケ所に集められ、看護師姿のおばさんに、「熱を測れ」とばかりに体温計を乱暴に渡される。だが体温計は4本しかなく、しかも水銀計の5分計の旧式だ。日本では電子体温計が家庭でも使われており、最近では耳の奥にセンサー光をあて反応させて、3秒ぐらいで測定できる超音波計が一般的であるのに、50年前の5分計とは〜〜。

1人づつ、看護師の彼女に手渡し、記録ノートに書き込んで行くのであるが、その超スローな仕草には苛立つ。1人が終わると彼女はガーゼらしき布で拭いて、次の人に手渡すのであるが、その布きれはかなり汚れており、SARSが感染するのではないか?と逆に不安が募る。

さらに1番腹立ったことは、17番目になった私を無視して仕事を終えようとした事である。

私はそれでも良かったのだが、添乗員の久我さんが後々の悪影響を考え、看護師に文句を言ったので、私も測定を強要された。そんなこんなで30分の時間を、まったく無駄に過ごしてしまった。

悪い印象を残した空港を去り、ラサ市内のガイドをしてくれるラチィさんの紹介を受け、記念に「カタ」という白い布を巻いて貰ったのは、11:05分である。

ちなみに「ラチィとは、拉薩生まれ」との意味であると、かわいい顔で微笑えみながら言う。これには我々の心も少しは、元に戻りなごやんだ。

ところがチュシュル(曲水)の街を通り過ぎた頃から、K夫人とSさんの様子が、おかしくなり始めた。

 

最初は車酔い程度と思っていたので、黄さんが名所の一つであるところのネタンの磨巖仏で一時休憩する事になった。磨巖仏といっても岩肌にペイントされた「お釈迦さま」であるが、付近にはタルチョやルンタがはためいており、地元の人々の信仰心の厚さを窺い知ることが出来る。

だが春先だというのに山肌は岩山の形相で、いっこうに草木の生えてくる気配さえしない。

4年前に訪れた時にはこの辺りは草原であったように思えるのだが、乾季と雨季の違いだろうか。

川柳の若芽が光っているヤルツァンボ川だが、今は乾季で淀川の5倍以上ある川幅には沢山の砂州が出来ており、その中州のひとつに黒い塊があるのが見える。黄さんは「死骸だ」と、いとも簡単に言う。女性方は吃驚した様子を示したが、「火葬用の薪が買えなかったり、鳥葬するための手間賃が出せなかった貧しい家からの死者であり、これも自然のなりわいです」と、説明を受ければチベット的というかインド的というか、すなおに受け止めざるを得ない。

ともあれ、「この世に縁の薄い人だ」と、3〜4人が合掌する。

15分後、バスに戻るとK夫人とSさんのほかに、Eさんまでもが「気分が悪い」と言いだした。

三人共ご夫人方で、高地の空気の薄さと気圧の違いによる高山病の兆候がありありと窺える。

黄さんとラチィさんの指示で酸素ボンベの使い方を習い、高圧酸素を肺に送り込み身体の回復を試みたが、K夫人とEさんは頭痛と食欲不振だけで済んだが、残念なことにSさんは、完全に体調を壊してしまった。

そんな我々に追い討ちを掛けるように、黄さんの口から出たのは「10時30分、中国政府はラサへのTTBの発給を停止する。チベット自治省もこれを受け、ラサへの入境を禁止する事を発表した」との言葉だった。ラサは隔離された秘境の地になり、我々がチベットへの「最後の客」になったのである。

それでも我々の乗せたバスは、実に淡々とラサ市内に向って走る。

昼食は雄巳杭大館で、ウエルカム・ドリンクは有難かったが、ゼンマイと鶏肉の煮付け、チベット牛肉とセロリー炒め、破竹の酢もの、羊肉の腸詰ウインナーなどで、草魚のスープも出たが、ご飯は例のパサパサ飯である。

UさんにOさんやK氏のように換金したばかりの中国元で、早速「拉薩ビール」を注文する豪傑もいるが、相対的にはあまり食欲がなく半分以上残す結果となる。

食事は小半時間で終わり、ご夫人方3人の体調を心配した搭乗員の久我さんの提案で、宿泊先の拉薩飯店(HOLLDAY-INN LHASA HOOTEL)に直行し、暫く休息をとることにする。

私にはそれが幸いで、旅の目的の一つであるところのソナムから頼まれたデジカメを、ラサの知人とやらに電話してホテルに取りに来て貰うことにする。

電話の相手先R・タシゲルは、朝から私の連絡を「今か今か」と待っていた様子が、受話器から洩れている。

私のチベット語がうまく通じたのか心配だったが、N氏と共に割り当てられた部屋に着いて5分もしない内にチャイムが鳴る。

ドアを開くと1メートル90はあるかと思われるタシゲル氏が現れ、続いて友人のM・チクティ氏もあとから姿を現わす。彼等は医師と大学の先生で教養も高く、紳士的である。

そして、ご丁寧にも私にチベットでも尊敬する人や高貴な人に差し出すという、2メートルからの最高級の「カタ」を首に掛けてくれる。

私はタシゲル氏に、ソナムからの手紙とデジカメを渡すと、二人は何回も何回も握手して喜びを表現した。私はそれで調子に乗り、あとでタシゲル氏に大変迷惑を掛ける失態を行ってしまう。

それは私自身もデジカメを持参しているうえに、もう1台がトランク内にあると「密輸品と疑われないか?」という話しが出発前夜になされ、それでもソナムの強い要望で「故障した場合の予備」として持ち込むことにしたのだった。

その結果、出来るだけ細かくパーツ単位にして、ラサに着いてから元に戻すというやり方をしたため、私のデジカメのパーツもカモフラジュのために一緒くたにしまっていた。

その親切のあまりが、私自身の充電用の電源コードも一緒に渡してしまう結果となる。

中国ではデジカメは日本製の211万画数でも8,000元ほどで、かなりの高級品である。

ずっと以前から欲しかったと言う、タシゲル氏の満願の笑みを浮かべながら帰って行くのを私は見てから、洗顔だけして戻るとN氏は服のまま寝入っている。私も少し横になろう。

ダライ・ラマの夏の離宮、ノルブリンカと夕食に行くために4時にロビーに集合したが、K夫人とSさんはバファリンなどで頭痛を止め無理してくれたようだが、Eさんだけがどうしても出て来ることができず、部屋でそのまま休息を取ることになる。

ノルブリンカはラサ市街地の西部に位置にあって、36キロ平米の広大な敷地内にケルサン・ディキェ・ポタラ(宮殿)やチェンセル・ポタラやケルサン・ポタラなど、歴代のダライ・ラマが建造したという。

見所は、チベット語で永劫普遍の宮殿という意味のタクテン・ミギュ・ポタラで、ダライ・ラマ14世の自伝でも多く登場する夏の離宮だ。

今は公園化され、寒暖の差が激しく街路樹ぐらいしか緑のないラサの中にあって、唯一の憩いの場となっている。樹々の種類や鳴き声を挙げる鳥の種類は多いほうだが、日本の神社仏閣の庭園に馴れている我々には、少し物足りなさを感じる。高山病のせいかもしれないが、1時間程度の徘徊?で勘弁して欲しいとおもった。

6:10、夕食に向かった先は、なんと驚いたことに4年前に2泊したことのある西蔵寶館(TIBET HOTEL)である。

その時は貧乏旅行で、予算がなく食べに行けなかった憧れの2階のレストランをセットしてくれている。

料理は、チンゲン菜とミンチ肉の炒め、大根ときゅぅりと人参の細切りもの、草魚のから揚げに赤唐辛子入り餡かけ、チベット牛のローストビーフ、火鍋の中味はジャガイモとヤク肉と白菜と高野豆腐的固い豆腐、貝柱味に香草入りの白いラーメンなどで、飲み物は陳老酒か好みの飲み物で、拉薩ビールは別料金、最後に肉なし万頭と杏仁豆腐が出る。このホテルでの最高級の来客に出す料理であろう。

だが料理人に悪いが、食べ切れずに折角の料理を残す結果となったが、気持ち的には120パーセントの満足度である。

ホテルに戻り、久我さんから明日のスケジュールを聞く。明日はゆっくり寝ていられるようだ。

N氏と一旦部屋に戻るが、私より15〜6歳若いN氏は手荷物を置くと「ちょっと散歩に行ってきます」と早々と出て行く。

ラサの夜の7時40分は、街灯なしでもすれ違う人の顔や服装が解る。若い人がうらやましい、言葉は通じるのであろうか?悪い所に行かないだろうか?等と、年寄りじみたことを独りでぶつくさ言いながら、明日の用意をすべくトランクを開ける。無い!無い!無い!デジカメの充電器に差し込む電源コードが無いのである。

それはすぐに、頼まれたデジカメをタシゲル氏に渡した折りに、誤って自分の分も渡してしまったことに気づく。私のデジカメはすでにバッテリー切れで、今晩中に充電しておきたい。

慌てて電話を掛けにロビーに行くと、黄さんと林さんがいたので、その旨を話すと、林さんが私のかわりにタシゲル氏の自宅に電話入れてくれた。

電話口には彼の奥さんが出て、「タシゲル氏は当直で今夜は帰られないが、彼の携帯に電話する。たぶん彼は当直室で試し撮りをして、それを見て楽しんでいるわ」と、おおらかな答えが返ってくる。そして「昼休み中に持ってやらすので、安心してくださいとお伝えください」と、私の失態を庇うかのようにも言ってくれる。

私は一応に安堵の胸を下ろしと、急に眠気を憶えた。それでも頭痛と寒気の方が少し勝つようなので、睡眠導入剤を2錠飲んで、ベッドに潜り込む。

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