三好孝さんによるラサ旅行記です。楽しんでください。
13:10、定刻どおりCA−454便は小さな機体を、大きく揺らせながら飛び立った。
120人乗りの機内は62名の乗客で、右翼の上の窓際の席には私しかいない。
隣に座る予定のSさんは、中央の三人席の友人と、お喋りするために移動して行った。アマチャア・カメラマンのAさんやWさん、夫婦づれのKさんに、同じ老夫婦のYさん、それに福井市からの参加のUさんなど、旅慣れている人達ばかりである。
中には4月5日から12日までオーストラリアに行き、17日から22日まではトカラ列島の秘境秘湯の露天風呂を楽しんできたと言うSさんという豪傑もいる。
そういった人々が「やぁ、久しぶりですね」「またお会いしましたね」「今回もよろしく」などと挨拶している内に、私のチベット語の教師であるソナムからの頼まれ物のせいもあって、荷造りが終わったのは今朝の2時半、そんなわけで、無事に離陸した安心感も出て寝込んでしまった。
16:02、中国服の客室乗務員が飛んで来て、「シートを元に戻してくれ」と言うのと同時に、ベルト着用のチャイムが鳴り、機体は大きく揺れる。
「B−2155」と書かれた翼が、激しい乱気流を抜けるのに苦労している。上に下に、右に左に揺れに揺れまくったあと、16:28、大きく上昇したおかげで、やっと雲の上に抜け切ると、乗客の間から安堵のどよめきが沸き起こる。
正常運行に戻ったのを確認した乗務員は、乗客の安心感をさらに大きくしょうと、ドリンクサービスを始めた。
客達はめいめいに好みのドリンク名を言い、先程の緊張感を一気に取り戻そうとする。しかし手渡してくれる乗務員の口元のSARS予防のマスクと、ノンアルコールが安らぎの最後の一歩を押し止める。
しかし私はコーヒーを頼み、機内に持ち込んだMDの「アカマ2002」で充分だ。そして完全に安定した翼の上から先には、透き通ったブールースカイが広がり幾重にも重なった綿帽子のような柔らかな雲が、「憧憬のラサへ」の旅情感を高めてくれる。
16:50、雲はスーノーパウダーのように平面的になり、暫くすると雲の間に山地が見え始めた。
山肌は高度が下がって行くにつれ、盆栽用のビロウード苔の様に見え、さらに機体が下がるごとに濃い緑色に変化していく。
見え隠れする祖間道は注意深く見ていくと、幾つもの峯や尾根から山間の集落へ細々と続き、やがて谷筋にも一筋の道が続いて左右に家へと繋がっているのが解る。
これらの見渡す限りの段々畑を見ると、4〜50年前の日本の懐かしい原風景に出会ったような郷愁にかられる。
思い出にひたっているのもそこそこに、レンガ工場や自動車の修理工場、そして小規模な商店が見え始めると、機体は急速に降下し始め、車輪を出す作業を10秒したあとに、激しい音と共に着陸を終えた。
17:45、税関を抜けると、現地ガイドの黄さんと林さんが待ってくれている。
バスに乗り成都の街の紹介と共に、今回の旅行中の諸注意を受ける。その中でやはりSARSの話しが大きく出たので、早速備長炭入りのマスクを取り出し装着する。
バスの外を見るとヒマラヤ杉やトウカエテ゛の街路樹の間々を通行する人々もマスク姿が多い。今夜は四川・西蔵飯店の宿泊の予定であるが、「その前に夕食を」ということで、人民中路一段の陳麻婆豆腐店の前を通り、錦苑寶館の食堂に案内される。

前菜の次に出た料理は、やはり麻婆豆腐である。その辛さといったら、日本の麻婆豆腐の5倍以上の檄辛だ。
ちなみに麻婆豆腐の由来を聞くと、清朝中期にはあったらしく、陳家麻婆豆腐店は「元祖」である。
ちなみに山椒の辛さを「マ」と言い、あばたのことも「マ」と呼ぶらしく、要約すれば陳家のお婆さんはあばた顔で、山椒や唐辛子入りの豆腐料理を考案したとなる。
料理は各種いろいろ出されたが、炒め物が多いのと4時間半の長旅で疲れが出た婦人方がいるので、1時間弱で食事を終えホテルに向かう。

ホテルは「中国も変わったなぁ!」と賞賛するばかりの変化ぶりで、東京や大阪の超一流並みの設備である。
12階の眺望もまずまずで、洗面も二人が同時に使用出来るようになっており、バス・トイレ・シャワールームもおのおのに分かれ、仕切りはガラス張りで、新婚旅行用か、ラブホテル並みの施設であるが、残念なことに排水の便が悪いのは中国らしい。
SARSの発生原因や感染経路が今ひとつ解明されていないので、「生水は飲まないで欲しい、長風呂もやめて軽いシャワーだけにして欲しい」との添乗員の久我さんの言葉どおりしていると眠けが急に出てきた。同宿のO氏は、下の階のラウンジに飲みに行ったこともあり、ベットに寝転んでいる内に自然に寝入ってしまった。
