ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。
24:32分。日本を離れること14時間、やっとの思いで New Tibetan Colony の「Loseling House 」に到着した。
我等の荷物は総数7ケ、総重量150キロ!?待ち構えていたホテルの僧侶全員で、部屋まで運び入れてくれたので、大変助かった。
あぁーー、これで寝れる。
だが、ドルジェを頭とするホテル側のウエルカム・パティーが始まる。お馴染みのバター茶とフライ菓子?の簡単なものだが、気配りがうれしい。
「Tashi-delek、タシダレ、タシダレ」人なっこいチベット人が、幾人も握手を求めに来る。
チベット人の世界では、初対面の時、今日始めてあった時の挨拶は、昼夜関係なく、いかなる場所でも「タシダレ」なのである。まぁ、芸能界でいうところの「おはようございます」と思えばよい。しかし、チベット人は力が強い。私の精密で繊細な掌は、もう少しで壊されそうになる。さらに熱烈なる大歓迎の挨拶仕方は、お互いに抱きつき肩を叩き合うことだ。私も何人かに抱かれた。
おいおい、ノルブよ!抱きつかれたからといって、何も、涙ぐむことはないだろう。それにモモエまで。けど何かおかしいぞ。
えぇ〜、この人が16年ぶりに逢うと言う、「ノルブのお父っあん」かいな!ダラムサラで待ち逢わせという話しではなかったんかいな。
ダラムサラでは待ち切れないないので、ここまで降りて来たというんかいなぁ。
子供を思う親の気持ちは、万国共通なんやなぁ。
あぁ、お父っあんが、私にも握手を求めに来た。取りあえず、知っている単語を並べておこう。ドルジェとの挨拶で使ったやつで行こう。
「タシダレ、ネミンラ タカシ・ミヨシ セキイェ、ケランキ ツェンラ カレシュキイェ」(始めまして、私の名前は三好孝です。あなたの名前は何ですか?)私は、そう挨拶した。——つもりだが。
「—————————————————」
お父っあんの声が小さい。聞き取れない。ド田舎の半農半酪家だから、人見知りするタイプかもしれない。
このお父っあん、年は60才前後位で中肉中背、本当に何処にでもいるような朴訥な親父だ。ひと昔前の日本の田舎の親父のように額に皺ができるまで、働きに働き尽くめた観がある。本当に「寡黙」という言葉がぴったりの親父だ。
ノルブとモモエが、私の事をどう紹介したか解らないが、その握手の力強さは今までの誰よりも一番強く、その目線は今日一日逢った人々の中でも一番熱いものを感じた。
それから、お父っあんのあとに、実弟のチャンバ・トントゥを紹介された。年は26歳というチャンバだが、性格はお父っあん似で大人しく、少しはにかみ屋さんらしい。握った手は柔らかい。
ノルブの立場になってみれば、16年ぶりの再会、5年ぶりのインド。8ケ月悩み続けながら通った日本の自動車教習所、9回も落ちたペーパーテストの漢字の難しさ、仕事が欲しいが雇って貰えない悲しさ、表通りに出れば耳につく難解な日本語。それらのすべてからいま開放されたノルブの声は、もうすでに寝入っている宿泊客の迷惑も省みず、益々大きくなる。
かたやモモエの立場にたってみれば、嫁として初めて会う舅や愛する男の友人達に接する気配りに、モモエの「a rey!」は館内に響き渡る。けど私のほうは、慣れないチベット語の連射で脳幹が疲れ果ててしまって、早く部屋に戻って熱いシャワーを浴びて寝たい!
モモエは、私の顔色を読んだのか。「この調子だとノルブ達は徹夜で話し続けるみたいですよ、もうお休みになって下さい。私もこの子を置きに上がりますから。あ〜、それから、私たちも明日は、ゆっくり起きたいので、昼まで寝て下さい」チベット チベット チベット語、四面楚歌に遭った身の日本語はありがたい。
私は、わずかに残った渾身の力を振り絞りながら、階段を登った。
