「ミヨッさんのダラムサーラずっこけ探訪記7」(三好孝さん)

ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。


2月5日、月曜日。5時15分、アーグラー方面に向けて出発。

車は勿論、最近横転事故を起こしたという例のホテルの車。運転手兼案内役はサンニィン・アムチさんで、ホテルのマネジャーのドルジェ・イングンの従兄弟だそうだ。もちろん元僧侶で、今はカナダ行きのパスポートを申請中だとか。

今日のアーグラー行きは、1才児のわれらがクリリンには厳しいコースとなるので、ノルブの弟チャンバが子守り。

「今日はお小遣いをやっての子守り」とモモエは言う。だがチャンバは、いつも子守り役をしてるように見える。モモエの言葉は弁解がましく白々しい。

インドといえども、冬のこの時期は寒気があって肌寒く、元々灯りの乏しい国だから真っ暗で、対向車も少ない。あの3日の夜の時間待ちの、あの大型トラックの大群は、どこへ消えたのであろうか。

ルート・カンパーラ417よりルート・アーグラー117に入り、マトゥラーの町に至る。復路も、ほぼ同じルートーで帰るらしい。

少し小奇麗な町に入った、ドライブインらしき中型のレストランに入る。オーダーはベジタブルエッグにベーコンエッグ、パレーにジャムとバター、そして各自の飲み物。それにチーズモモ、ミックスモモはノルブモモエの追加。チベット人は朝から良く喰う。特にノルブモモエは喰う、喰う、喰うで、ここでもTVチャンピオン大喰い選手権の続きをやる。

サンニィンは人並み、私に至っては小鳥のようにチョコーと突付いて、ご馳走様。

さぁ、お目当ての世界遺産の霊廟“タージ・マハル”だ。

「広々としたヤナムー河のほとりに、遠くからもその姿を見せる憧れのタージ・マハル。青空に輝く白いドームは、ムガル皇帝シャー・ジャハーンの愛の記念碑」(地球の歩き方の一節)を思い浮かべる。だけど、それが書かれた時期は何月頃なんだ。車は砂埃をあげ草の根を踏みながら、駐車場を探す。正門にあたる南門の近くに来た。一人のインド人がウインドを叩く。

「駐車するなら100ルピーだ」と言ってるらしい。

「高い!この前は20ルピーだった、なぜ値上げしたのか?」と、運転手兼案内人のサンニィンが、ヒンディ語で問う。逃げる!

インド人、逃げる!

偽係員だった。

あぁ、危なかった。そのあと正規の係官がやって来て30ルピーのチケットを切り、そこに停めろ、と指示を出す。

「このチケットもおかしい」とサンニィンが言うので、見るとRs20の上にマジックで30と書き直してある。

「こんなもんですわ、インド人のやることわ」

モモエの口癖が、今日始めて出た。

3人の荷物を一つにし、荷物預け所で25ルピーを支払った。

次に入場料を買い求める。チケット売り場の看板、木製の看板にヒンディー語と英語で書いてある。白い紙片に“Rs500”と書いて、貼り付けてある。

サンニィンはチベット語は勿論のことだが、カナダ人をワイフに持っているので英語、ヒンディー語の読み書きも出来る。ヒンディー語で「現地人つまり自国民ならRs20と」書いてある部分を、見逃さなかった。

おぉ〜い、なんてことだ。てめぇちの国は、自国民と観光に来て下さっている大事なお客様と区別するきかぁ!しかも25倍もの差を付けて高額に。

俺っちの日本では日本人も訪日外国人も、男も女も変わりなく料金は同一料金だ。世界遺産の京都や奈良の各寺院、日光だってそうだ、それから文楽や歌舞伎、大阪城や海遊館、タカラジエーンヌーだって区別なく料金は同じだ。こんなことしていたら、帰国したお客様が口コミでオシャベリして、不平を書面にして新聞雑誌に載るぞ。その結果、「がっかり観光地」になるぞ!反省しろ!

サンニィンは、私の意向を汲んで、Rs20のチケットを4枚、求める。売り子は怪訝な顔をするが、サンニィンのヒンディー語が勝っているので手渡す。正門前に行く。係官にチケットを手渡す。この係官、最近手柄を上げてないのか、我々を凝視する。

「どこから来た。おまえ達はこのチケットでは入れない。500ルピーのものに買い直してこい!」

馬鹿言うな!俺達はダラムサラから来た。インド国籍のパスポートだってある。自国民だ、通せ!」

そんな問答であろう。大体が、この20ルピーにしても高過ぎるのだ。「駄目だ、駄目だ、俺の目の黒い内は通させない!」金黄土色の服を着用した係官は、その職業的意識を笠に来て、行け高々に言う。

「これを見ろ、この国が発行したパスポートだ。ノルブ、お前も出せ!」サンニィンがノルブにも、パスポートを出せよと言う。

ノルブが、金黄土色のパスポートを、提示する。分の悪くなった係官、次に私とモモエに目を付けた。

「お前達もパスポートを見せろ!」

まだ鼻息は荒い。だがそれよりも早く、私の側に擦り寄って来た係官の部下が、「—————」と言う。あまり小さな声と、ヒンディー語の解らない身であるが、多分「どこから来たのか知らないが、少し融通すれば通してやってもいいよ」そんなことを言っているのであろう、モモエの目配せが走る。

「nga−tsho dhay goong−seng−la yong−pa yin.(私達はここに休暇に来ている)nga−tsho dhay za−phur−bu partu dhay−tsi yo(私達はここに木曜日まで滞在している) nga-tsho dhramsala−la do−gi yin(私達はダラムサラに行く)」

日本で受けたチベット語初級講座、第3回目の成果を私はここで見せる。私の意外な反撃を受けた部下は、次にモモエをターゲットにした。ところが、それが大きな間違いであることを、彼はすぐに思い知らされる。

「私は、このノルブ・ツーテンの妻である。主婦であるので身分を明かす証明書は、貴方の奥さん同様に無い!」

モモエの方が始末が悪い。私よりも、ずっとずっと、チベット語が話せる。そのうちに我々の後方に人垣が出来始めた。英語圏の外国人も集まりだした。

おい、バラしてやれよ、この差別的料金の付け方を!

皆さ〜ん、お国に帰られたらこの現状を、これから観光客として此処に来られる人々に知らせて下さい。我々は、決して誤魔化したり、ゴリ押しをしているのではありません。適正で納得のいく価格を表示して下さいと、お願いしているのです。

業を煮やした係官ではあるが、集まる衆人の眼も気になるのか、はたまた自分の叱責を問われるのが怖いのか。部下に、我々を上司の部屋に連れて行けと、命令する。左の部屋に通された。部屋の広さは50平米くらいで、中央に机がポッ〜ンと一つ。背もたれの高い立派な椅子に、やはり?立派な口髭を生やした上級の役職者が座っている。部下が恐れ入りながら上申する。

上役はサンニィンを呼んで、事のあらましを問う。

サンニィンは、自分とノルブのパスポートを提示し経緯を話す。「3ケ月前にワイフを含め7人で来た。ひとり20ルピーで入場できたのに、今回はなぜだと言っている」。話しに内要はモモエが教えてくれた。

上役はう〜んと、唸った。3〜4回、背もたれ椅子を前後に揺らしたあと、部下に命令した。

あぁ〜これで「世界一美しい愛の記念塔」が見れる。と思った。

のも束の間、今度は向かいの右の部屋に連れて行かれた。

この部屋も50平米くらいであるから、左右対称の部屋であろう。ただ内装は左の部屋よりも、少し立派である。机も椅子もさらに立派で、最上級の役員執務室なのであろう。

ここまでくると、さすがのサンニィンもウンザリ顔で、ノルブモモエはオドオドし出す。私は・・・私には日本政府がついているから心は静かで、いつも平常心だ。

サンニィンが、役員に呼ばれる。サンニィンよ、あと一歩だ、頑張れ!

その時、役員と眼と眼があった。最上級の役員は、それなりの知性と教養を身に付けているらしく、やたらと権威を振り回す人でないことがひと目で解った。むしろ小柄で、掛けた眼鏡の奥からは、慈悲の優しさが滲み出ている。私は、合掌し「ナマスカ!」と微笑み返した。彼と私、心通じるものがあるようで、その場はそれで収まり、部下が正面まで見送ってくれる。

横300m、奥行き580mの敷地に、基壇の大きさが95m四方、ドーム本体57m四方で、高さ67m、四隅のミナレット(塔)の高さは43m、観光案内書やパンフレットどおりが眼の前にある。

「あん〜れ!?」

麻袋を裂いたようなモモエの声が響く。

「三好さん、あの人、まだ、こっちをじっと見て監視し、しちょうよ」」モモエの三重弁が背中に届く。

振り返るとノルブのバカタレが、喉元過ぎたのを良いことに、カメラをパチパチやり出したからだ。

私とモモエが、ノルブを庇う様に立ち塞ぎ、私などは大きな背伸びのくさい演技までした。それから今度は逆に睨み返すと、やや暫くして部下は姿を消した。

正面中央に立った私は、頃合を身払うと、半コートからソニーのデジタルビデオカメラ、DCR−TR10型を取り出す。

泉水と庭園を前景にして、その完全なる左右対称の巨塔の一番いいショットを狙った。すると、ものの30秒も撮らないうちに、変なインド人の親父が擦り寄ってくるではないか。

「————、デジタル!100ルピー」と言って手を出す。

「NO!Digi−Came!NO−Pay NO−Money!」

お前は私服の監視人かぁ、撮影禁止なら「NO Camera!」と看板にでも書いておけ、このバカタレが!

と言いたかったが、緊急時ではSプラスVプラス動詞が、うまく組み立てられない。

だが言葉よりも身体の方が、少林寺拳法4段の腕前が、降り掛かる火の粉を払うがごとく変な親父の手を叩く。すると変な親父、悔し紛れか騒ぎだす。

一番近くにいた監視員が近寄ってきた。私はサンニィンを呼んだ。サンニィンは気配を察知して、私とノルブのカメラを取り、自分が持っているからと緊急避難させてくれた。あとは只の白い建物が立っているだけの観光地タージ・マハルと化した。

富と権力と権謀術数に明け暮れたムガル帝国の象徴的遺跡か、それとも熱愛した亡き妃アルジュマンド・バースー・ベーガム(ムムターズ・マハル)の聖墓所なのか、はたまた無料の金曜日にモスクに集まりアラーの神に祈るイスラムの寺院なのか。歴史に興味なく、建築にも興味のないものなら30分で見終えてしまう、摩訶不思議な建物だ。

事実その通り我々は、まったく興味を失い、ただ行ってきましたの報告をするために、見学コースをたどった。精巧で緻密な彫刻細工も、機微で精彩な象嵌細工も白々しく病的で、広大なヤムナー河を渡る風も冷たい。それにもまして、第5代皇帝シャー・ジャハーンとムムターズ・マハル、二人が持つ白大理石に似た冷ややかさを、私はひしと受けとめた。

我々はタージ・マハルでのドタバタ劇に幕を引き、やっとのことで気を取り戻して、次にアーグラー城へハンドルを向けた。

アーグラー城は、車道へ飛び出してくる物乞いを掻き分けて駐車場を探すことから始まった。やっと見つけた駐車場?は、物乞いの家?の前で、瓦礫の捨て場の横で、しかも至る処に牛が、たむろ的に俳諧している場所だった。

私とノルブで、降りて偵察に行くことにする。入場券売り場の看板を見る、Rs460と書いてあり、アン〜レ〜!!同一看板にRs20の文字もある。やめた、やめた、やめ〜たぁ〜!日本に帰ってからTSUTAYAで7泊8日500円のビデオを借り、たっぷり一日掛けてみよう。

そうと決まれば、GO Back!

途中で2,000ルピー分うまいものを喰おう!私は、こんなケチ臭い観光地に二度と来るかい!と、サンニィンにアクセルを一杯踏ませた。

それから15分程走ったところで、モモエのいきつけ?の中華レストランに入る。

モモエにオーダーをまかせ、2〜3品出てきたところで、ビールで瘴気払いをする。1時間半近く、楽しい会食をして出た時の勘定書きは、4人で1,350ルピーで、タージ・マハル以上に楽しいひとときであった。

PM14:08、再度この地には来ないだろう、いや来たくない、悪印象を持ったままアーグラーを出る。

悪好感抱く我々に、アーグラーの怨念は付き纏い、ルート・117号に出た途端、横転車・アンバサダー号はパンクする。

サンニィンとノルブが降りてタイヤ交換をする。

だがこの二人、今までにタイヤ交換などしたことがないようにモタモタとするばかりで、サンニィンなどは、時計まわりにネジ廻しする。

結局、私の指示通り左へ反方向でタイヤをはずし、予備タイヤを装着する。

見ると、パンクしたタイヤは釘などの痕跡はなく、3cmからの裂傷で、交換を終えたタイヤも丸坊主である。ノルブに聞くと、予備タイヤが無い場合や応急修理の出来ない場合は、ヒッチハイクよろしく他車に乗せて貰い、近くの街に行き、修理工場より技師を派遣して貰い、修理するそうである。

そして部品が無い場合は、本社工場より取り寄せるので5〜6日は有に掛かると言う。

つまり「J・A・F」はなく、修理費用も莫大に掛かると言う。これ以上トラブルがない様に祈りながら、おっかな吃驚で車を走らせ、大渋滞に巻き込まれ、くたくたに疲れて宿舎に帰り着いたのは20時で、その夜は爆睡する。

追記/3月8日にモモエと、モモエの実弟と、チベット人ふたりの4人で、タージ・マハルに再度行ったところ、看板はそのままでありながら、Rs500と明記の上、実際はアーグラー城とのワンセットのRs960ルピーを請求されたと言う。

チベット人には950ルピーはヒマラヤよりも高く、実弟のみ見学する。その実弟曰く、日本人には日本の寺のほうがえぇわ。01年2月9日発行の地球の歩き方には訂正済みだが、無理に高くセットされたものより、「金曜日の無料日」に行くことを薦めたい。

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