「ミヨッさんのダラムサーラずっこけ探訪記8」(三好孝さん)

ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。


2月6日、火曜日。朝食後、暇を持て余す。手持ち無沙汰で何することもなく、ベランダーより通りを眺める。鳩がいる。雀もいる。鳩は日本にいる野鳩と一緒で、雀の方は茶色の軒雀と、頭部が少し紅色がかったのと2種類いる。狭くて重苦しい窮屈な所でも、鳥達だけは元気だ。外から内へ、内から外へ、自由気ままに振舞える分だけ、丸々と肥えている。

「connaught placec に行きませんか?」

当たり前のような風景に、ちょっと退屈しだした頃、モモエが誘いに来る。

昨日のアーグラーで、あれだけ不愉快な目にあったというのに、こたえてない。

コンノート・プレイス、「イギリスが造った近代的な町、ニューデリーの町歩きの中心になる丸い広場」地球の歩き方の説明文が脳裏に浮かぶ。

5年前、モモエノルブがよくデートをした場所。そして、ノルブを迎えに日本の父親とデリーのホテルに宿泊し、ほろ酔いの父親が見知らぬインド人と意気投合?し、度の強い酒を飲まされた挙句、120$と高級腕時計をパクられたという場所。

そう聞くとなるほど興味が、ありまんがなぁ。は〜よぉ行こう!

“Save Panchen Rama”と書かれている壁の前で、値段交渉する。個人タクシーのインド人のおじさん、

「450ルピーくれ!」と、ヒンディー語で言う。

「ナニゆうてんねん、250が通り相場や、250にしぃ!」

チベット系関西弁訛りの英語で応戦する。

「それなら、ほかの車をあたりなぁ。ほかの車だと600ルピーは言うぜ、俺だからこそ、450で行ってやるって言ってんだ」粘る、インド人のおじさん。註(このおじさんには、最初から最後まで足がわりになって貰った。名前を聞いたが、ヒンディー訛りのひどい英語なので聞き取れなかった。つまり私の英語力も大したことは無い、との証明でもある。仮にチャンドラさんとする。)

あぁ、そんでもいいよ。だけど私達がチャターしなければ、今日一日喰いっぱくれるのを覚悟しいゃ」

モモエの啖呵が周囲の人達の耳にまで達し、一斉にこちらに顔を向けさせた。

「帰りが、空車になる。もう少し、色をつけて下さい」やや弱気になる、チャンドラだった。

「アカン、250言うたら250ルピーや!それにアンタはワタシらの顔、忘れてる。5年前4月から5月に掛けての1ケ月、毎日乗ってやったんの、もう忘れたんかいな!」

相手が弱口になったら、もうこっちのペース。だけどモモエよ、そんな昔話が、良く出るなぁ。ただ感心し、脱帽する。早朝の3時から某市中央市場で働く、女傑のモモエは実に交渉がうまい。交渉成立、チャンドラの車に乗り込む。

モモエは前の席、私とノルブクリリンを膝に抱いたチャンバは後部座席。

わぁ〜恐ろしいや、地獄が見える!

後部座席よりチャンドラの足元を見た私は、仰天の声を出さざるを得なかった。それはチャンドラの車が、あまりにも骨董品だったからだ。

運転席の底に穴が開いていて、走る地面が見えている。勿論?バンバーは無い!左側のドアーミラーも無い!右側のミラーは鏡が割れている!ゆうに30年は経ているであろう。雷のようなエンジン音。その音に耐え切れず、絶えず振動しているボデイー。つるつるのタイヤと、針金で吊るされたマフラからは黒鉛の廃棄ガスが上がる。インドには定期検査や車検がないのか!?そして信号も。これ以後、チャンドラの車を「大穴車・bhC(big hole Car) 」と、呼ぶようになった。

それでもなんとか、ジャンパト通りのインド政府観光局の前に、無事?に着いた。

そこから、土産物屋をひやかして気に入ったものがあれば求める、お登りさん的、行き当たりばったり的の気ままな「旅」をすることにした。

私は、室内履きのサンダルが欲しかったので、その旨をモモエに伝えた。それはシャワーを浴びるのに、素足ではセメントの直張りは、非常に冷たい。それに夜中、トイレに立つのにも、いちいち靴を履かなければならない面倒臭さから、開放されたかった。

「ここはプリペイド・リクシャ乗り場で、ロイヤル・ネパール航空はあちらです。メイド・イン・チベット、と刺繍を施したシャツやブラウス、その他バッグやショールに民芸品は、この通りの露天商が安いです。」そんな案内をモモエノルブが、交互にやってくれるので、浮き浮きの気分になる。

そこで私は、一軒の皮靴屋に入った。ビニールやゴム底のサンダルは確かに安いが、1947年生まれは団塊の世代で使い捨てなど「とんでもない」話し。日本に帰っても使用出来るものを買うのを、美徳とする世代でもある。それに500$・22,800ルピーを、前ポケットとウェストポーチとディバッグに入れている「小金持ち」だ。始めての買い物として、チャッパルと呼ばれる皮製のサンダルを買い求めることにする。

だが店員は、にこりともクスっともしない無愛想なばかたれ小娘だ。あれこれ出せと言わないが、3〜4種類、手に取って見ても、絶対に買う客なら許されるのではないか。

しかし小娘店員は、万引きされれば店長から責任を問われ、給料から天引きされるのを心配するかのように、私を凝視する。

あれこれと迷ったが二種類に見定め、「試し履きをしたい」と、ノルブに通訳を頼む。小娘は渋々ガラス戸を開け、AとBを取り出す。Aはインド製にしてはデザインは良いが、つま先が尖り過ぎていて足が完全に入らない。Bはデザインは今ひとつ悪いが、踵までは一応入る。共に婦人用ではないか?と疑問を抱きノルブに問うと、これがチャッパルの特徴ですと答える。

それではとBの少し大きめのサイズ6を買うことにする。ばかたれ小娘店員が奥に行き新聞紙に包み、さらにビニール袋に入れて持ってきた。一抹の不安はあったが、350ルピー日本円1,050円は安いと思い支払う。レシートは無しだ。

それから我々は、あれはエア・フランスのビルだ、ここはエア・インディアの本社ビルだの、リーガル・シネマという映画館だの、わいわいガヤガヤと騒ぎながら、地下を潜り、通りを眺め、噴水公園を見渡し、小腹も空いてきたので、日本でもお馴染の「マクドナルド」に入った。

私やノルブモモエなどは慣れているので、さっさと注文するが、チャンバは相変わらず愚図愚図する。

ノルブと同じく僧侶の時代もあったというのに、お釈迦さまを拝火教よりお守りした那羅延の頃を思いだせ、チャンバよ。

チャンバとは、正反対なのは兄のノルブ、「電話をしてきます」と、オーダーの出来上がりを待たず外に飛び出して行く。ここはインドなんだ、悠久の五千年の歴史がありながら、あまり人の暮らしが変わらない国なんだ。出来上がりの20分ぐらい待てノルブよ、食べてからでも遅くない筈だ。相変わらずのおっちょこちょいぶりだ。

「うん〜?この肉、なんか、おかしいぞ?」一口噛んでみて異常を感じ、私は首をかしげた。

「インドのマックは、マトンの肉なんです」モモエが頬張りながら答える。

「ふぅ〜ん、マトンってこんな味か?言うちゃ悪いが、あまり馴染めん味だ。ところで、外資系の、こんなファスト・フードの店は何軒か、あるの?」と、尋ねると。モモエはさらに一口、頬張りながら、

「5年前はここだけでしたから、——たぶん街並みが全然変わってないので、現在もここだけでしょうね」そんな他愛もないおしゃべりをしていると、

「電話が通じない!」ノルブが、ぼやきながら帰ってきた。

「どこに行ってたんや、インド人に知り合いがおるんかぁ」少し茶化しながら問うと。

「リンポチェーの家に電話をしているのだが、何かしているのか出ない」半分、ベソをかくように言う

Lama Doboom Tulku そうだ!旅の目的の半分は、この人に逢うめにやって来たのだ。

そうか、ノルブは私を、リンポチェーに引き合わせようと努力してくれていたのか。

「そりゃ留守なんだろう、まぁ、あとから折りをみてゆっくり電話してみたらえぇ〜んちゃうんか。私だったら急がんさかい」

それならそれと、はっきり言えば良いものを……自分の分の悪さを庇いながら、正当化しつつ半分慰める。

しかし、あまり悩まないのがチベット人の良さで、泣いたカラスがすぐ笑うように、ノルブの立ち直りは早い。自分のマックを喰い終わったあと、オコウ・クリリンのフライドポテトに手を出す。都合1時間、そしてさらに30分、ダベッて時間をつぶしたあと、店を出る。

我々は、また外周をウインド・ショッピングする。ノルブが、また電話をする、と言いだした。えっ!、こんな所に公衆電話なんかないぞ。インドに来てから注意深く見ているが、電話ボックスなど、ついぞ見た事はない。

と思っていると、なにやら、柱の陰に行く。インドのおじさんと話し始めた。おじさん、口髭は立派だが、衣服は失礼だが、「少しこまめに洗濯をなさってください、ついでに頭のターバンも洗いなさい」と、薦めたくなる。おじさん、いや、お爺さんかもしれないなあ、おもむろに、小机の開き戸を開け電話を取り出した。

えぇ!って、感心する前にノルブは、ダイヤルを廻していた。ツッツー、ツッーツゥーと音がするので、話し中であろう。やれやれ、これで相手が居ることが解った。あとは、タイミングを図って、掛け直せばよいのだ。

そのあいだ、私は時間つぶしに、向かいの服屋を覗いて見よう。ウインドと通りすがりの母娘を、交互に見比べて見る。

母親のサリーはクリーム地に茶色の葡萄か、はたまたインド特有の吉祥草の蔓模様か、刺繍が施されているのを身に纏う。娘のサリーは若い新妻用か、朱系の地に波羅婆の花模様で、誠に華やかしい上品な感じを受け取る。ショールも同色地から作られており、その着こなし方から推察すれば、相当な階層の人達と見受けた。そんな上品な母娘に好奇心を煽られ、大枚を3ケ所に分けて持つ身の豊かさに、悪戯心が刺激された。

ノルブが電話が通じたと大声で言うので、皆の者いざ参ろうぞとばかりに服屋へ押しかける。

ニューデリーも北インドだ。その北インドに多い民族服が、クルターとパージャーマー、つまりインドシルクの生地を縫製したインドシャツと腰周りがゆったりとしたパジャマ風のズボンである。

ガードマンが少し訝しげな顔をする。先程からウインド・ショッピングをしていると、有名な宝石店やメーカー直売の化粧品店、名の売れた製作者が製造した民芸品を扱う諸雑貨店など、この服屋にしてもそうだが、「高級店」と思われる店の入り口には、必ずガードマンが立っている。

日本の一流と称するホテルのドアーマン兼ガードマンなんかと、大分雰囲気が違う。こちらは口髭をゆったりと蓄え、インド特有の芥子菜色の服を纏い、腰に警棒を身に着け、不審な客が入らないかチエックしている。

だが、私、Miyoshiは恐れない。

私は京阪神のどのホテルでも、料理屋でも、一応TPOを弁えているつもりなので、堂々と入って行く。今日も、昨日買った吉祥色だと称されている鶯緑色のウオンジャク(チベット式シャツ)を着ている。しかしガードマンは、どうもジャンバー姿のノルブ達に、職業的意識を感じるらしい、怪んでいる。なぁ〜に構うもんか、ジャパンマネーは強いんだ。ノルブよ、お前も、もうすぐ日本人になるんだろう、胸を張って入店しょう!

確かにその店は、ガードマンのチェックが厳しいだけはある。

前方には既製の服が、中ほどから奥は生地がずらりと並べられてある。すべてRS1,000以上の小札が着いている。ここで気に入った生地を選び、メジャでサイズし、ダルジーするのであろう。

オーダーメイドに超したことはないが、出来上がりに一週間はかかるように思われたので、大変残念ながら既製品にする。店員が2人飛んできて、3〜4種類見せてくれたが、ウオンジャクと同様に色柄が、今ひとつだ。

モモエの薦めで、日本で手直しをすることを念頭に、店員が持ってきたものにする。サイズを測ってくれ!と通訳を頼むが、店員は自信があるのか、ネック・サイズ38を薦める。私の日本での、ワイシャツの襟首サイズは40だから、どうも売れ残りを買わされるような雰囲気を受け取る。

さらに、口の上手なお調子者店員は、「センスの良いダンナ様ならキットこれなんかオニアイですよ」なんて言いながら、「チャンダル」と呼ばれる薄茶の男物のショールを持ってきた。それはウールでもカシミヤ産の上物で、クルターとは関係無しに洋服の首巻にしても良いと考え、一も無く二も無く買った。合わせて1,850ルピー、日本円5,550円は安い。

私は時間の許す限り市内見物をしたかったが、父親不在で母親現状無視の失格夫婦の犠牲者である、チャンバや最大の犠牲者のオコウ・クリリンの疲れを考え、グジャラートやビハール州などのある各州物産店街の入り口で、引き返すことにする。

手を上げれば停まる日本のタクシーなどの感覚とは少し違う。さらに流しの白タクは個人営業なので、これも信用ならない。朝のbhcで懲りたのもあったが、話しのタネづくりにリクシャーに乗ることにした。

車は幾台もあるのだが、ノルブは交渉の要領が悪い。私には、交渉するだけの「力」はない。結局、モモエが一人の運転手に渡りをつけ、仲間を呼びにやらせ、目的地に幾らで行くか、交渉し乗り込んだ。

その間、15分。可哀想にクリリンはチャンバの腕の中で愚図り、そして疲れ果てて寝入った。リクシャーはチャンドラの車同様、いやそれ以上、軽特有の騒音と爆音を上げながら走る。そして信号に捕まるとエンジンを切る。えぇマナーやなぁって思っていると、ひどい目に逢う。左のレバーを上げ、切ったエンジンを掛け戻すと急発進する。信号のたびにこの調子であるから座席シートは踊り、荷物扱いになった我々はズリ落ちて、痣を作る。インドのラッシューアワーは、自転車があり、人力車があり、ロバもいるという大混乱で、よくこれで事故が起こらないなぁ、ただただ感心と呆れるばかりである。私の肝は縮む一方。だが

「あっははーはーはー」、愉快そうに笑うモモエの声は、大渋滞のクラックションの音よりも高く、インド中に響き渡る。

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