ダヤンウルスの御意見番、枚方の三好孝さんが、日本に住むチベット人のノルブ(仮名)とその奥様(日本人)のモモエ(仮名)そして彼等の長男クリリン(もちろん仮名)の里帰りにくっ付いて、インドに行かれました。その旅行記が面白い!さあ、いっしょに楽しみましょう。
2月7日、水曜日。朝食のおりに、Lama Doboom Tulku リンポチェの家に「12時に行く」からと聞かせられた。大変嬉しい、心が弾み食欲が増す。といっても、ジャムとバター付きのパレーと、フレンチ風オムレツに、ブラックティが私の定番で、今朝は特別にバター茶を頼むことにする。
ノルブとモモエの二人は相変わらず食欲旺盛で、今朝もモモとテントウを各一人前づつを、喰う喰う喰う。その食欲をノルブのお父っあんにあげたい。お父っあん、元気がない!どうしてだろうか?
もっとも、この閉鎖的な雰囲気の中では、窒息しそうになるのは私とて同じだ。
寡黙的なお父っあんでも一週間を過ぎると、根を上げたくなるのも無理のない話だ。それとなくモモエに今後の予定を聞くと、昼に行くリンポチェの様子次第だと云う事である。お父っあんよ、もう少しだ、頑張れ!サンニィンも早朝からアンバサーダー号のタイヤを交換に行っているから。
12時に着くよう逆計算して、11時20分に“Free Tibet”と書かれた塀の所に行く。
チャンドラには客が付いてなく、太陽が高く昇っているのにウインドなどを磨いて、暇を持て余している。我々の顔を見ると揉み手をしながら近づいてくる。
モモエはニンマリと笑い、交渉に入る。私は「こんなもんですわ、インド人のやることわ」の典型的な見本の事後処理がしたかった。「チャッパルはサイズ5と6の片方づつで不揃いだったし、クルターはやっぱり38では首が絞まるので40に交換したいから、昨日のばかたれ小娘店員の店とお調子者店員の服屋も廻って欲しい」それを含めて交渉するようにモモエに頼んだ。モモエは、半日分のチャーター料として250ルピーで、あっさり纏めた。
リンポチェの家は政府高官やハイソサェティの人達が住む高級地の中にあり、チャンドラの大穴車(bhc)で入って行くには、少し気恥ずかしさを感じる。
リンポチェの家では、ソナム・デンドゥク氏が出迎えてくれた。
この方は1959年3月、ダライ・ラマ14世と共にインドに亡命したDoboom Tulku リンポチェのお供をして以来、42年間も御仕えしているそうだ。そしてリンポチェとは同郷で従兄弟同士であることも、モモエの通訳で知った。
そのあいだノルブは奥のキッチンに行き、手慣れた様子でレモンティなど作って持ってくる。ノルブにその訳を聞くと、モモエと結婚する前は、ソナム・デンドゥク氏と2人して、リンポチェのお世話していたので“勝手知ったる我が家だ”そうだ。
すぐに自慢したくなるのがチベット人の悪い癖で、私を連れて部屋中を見せて廻る。勿論リンポチェの寝室も、自分達の寝室も、そしてキッチン・バス・トイレなど、こちらが恐縮してしまう程である。リンポチェは、ダライ・ラマの右腕とも称される方だが、意外と質素な生活を送っておられるようだ。
さらに、小一時間程、タンカやアルバムなど見せて貰い、言葉は通じないが談笑する。
そのあいだにも、ソナム・デンドゥク氏は2〜3回、どこかに電話をしている様子で、リンポチェの居所を一生懸命探してくれているらしい。どうやら、リンポチェはダラムサラに「14日の昼まで」居られるそうだ。そして、「9日の夜に逢いに来い」との返事に、ノルブは舞い上がって喜んだ。モモエの頭の中では、日程が組まれたようだ。
ちなみに「ダラムサーラ」は「ダラムシャーラ」が正式名称で、ダラムサラと呼ぶのはチベット人が、追われた“羅薩”を懐かしみ「ダラムサラ」と発音していると聞く。日程の目算が定まった途端、空腹を憶えた。表に出るとチャンドラが忠実な部下のように待っていてくれる。
チャンドラの車でデセント・コロニーの中にある中華レストラン“AKASAKA”に行く。あいにく昼食どきと、サリーを着込んだ立派な体格のご婦人方達の何かの会合に出くわし、我々は、出入り口の一番悪い席となった。ここでも芥子菜色のドアーマン兼ガードマンが立っている。さほど高級な店とは思えないが、ここは一つデンドゥク氏にご馳走しょう。
インドは物価が安い!とびっきり良いものを注文しょう!フカヒレースープとアワビ入り八宝菜に、特大の車海老のチリソースと同じく特大の車海老入りのシュマイを頼んでくれと、モモエに頼む。
「三好さん、ここはデリーなもんで、そんなもん、あると思いますか」モモエの冷ややかで冷たい答えが返ってくる。お〜い、ビオルネでもイズミヤでも京阪のデパ地下でもあるで、インド洋産の車海老は。えぇ?それらのシーフードはムンバイーかチエンナイ(マドラス)に行かないと無いだと!ここは内陸部のデリーで、生ものは一切無いだと?じゃ、日本料理の“田村”ではマグロの刺身はどうしているんだぁ。冷凍車は無いのか、冷凍庫も無いのかぁよ!?私の絶叫の声に対して、モモエは、
ここはデリーでっせ。中華風インド料理と思って下さい」
あっーそぅ、それじゃ期待しまへん、任せまっさ、の私。
「そいでもって」のモモエがオーダーしたものは、アカサカ・SPチャンメン、アカサカ・シーフードライス、アカサカ・SPエビチリ、Veg-mus-b shoot(野菜炒め)、thou-faan(マ-ボトウフらしきもの)、チャイニーズ・ティで、要するに日頃食っている焼きそばと焼き飯と野菜炒めに、エビチリにマーボトウフが追加されただけである。
海老は干し海老状態で、トウフは高野どうふのように堅く肉は水牛とマトンのミックスだ。それでも高級老舗料理店なのだ。高脂肪・高血糖のご婦人方の食べること、食べること。(モモエは、さらにその上を行くが)トータル653ルピー、タックス50ルピー、合計703ルピー。日本円で2,109円はチョー安い。
表に出ると、チャンドラが待っている。このインド人のおっちゃんも、モモエがあげたチップで、そこいらあたりで昼飯を喰ってきたらしく満腹顔である。早速やって貰おうかと車に乗り込み、Tibet House へ向かわせる。
チベット・ハウスはリンポチェが所長を務める場所で、チベット政府関係の広報活動の仕事以外に、民族博物館兼民族衣装および仏具ならびに土産品など販売もしている。博物館をひととおり見終わったあと、民族衣装を見に行く。あれこれ見ていると、やっぱり欲しくなる。昨年のモンゴルオルゴで行われた、ダヤンウルスの民芸品や民族衣装をつけての忘年会を思い出す。
まだ2,200ルピーしか使ってない、金は5.8ミリ(分厚さ)ある。ティーバーを買うことにする。可愛い店員さんが居たので、見せて貰う。酷寒的真冬用のものは、ぶ厚すぎて、日本で着用したら、きっちり笑われるだろう。合い物?にしょう。あれこれ迷う。
うしろからノルブが、ありゃこりゃと言う。叫ぶなノルブ!チベット人は、他人の事も我が身のごとくに親切だ。だが親身になってくれるのは良いが、どうもデリカシィーやデリケートには欠けているようで、センスは絶対的に無い。結局、可愛い店員さんと一部チベット化しているモモエの意見を入れ、最終的には試着して着心地の良いものにする。但し、帯は附属品では胴回りが合わないので、これは私が一番気に入ったものにする。
その間、デンドゥク氏は「親切な小父さんのように優しく」黙って見守ってくれている。解ったかノルブよ、人間はかくあるべきなのだ。
2階のフローァに戻ると、8枚のスケッチ画が目に入った。署名を見るとTakaaki・Enokiとある。ヒマラヤの風景を近景に、遠景にまじ合わせ、素朴に描いてある。花や人物画などもある。エノキダさんの作品ですわ、モモエが後ろから言う。素朴な色彩だが良い作品だ。私が目指す仏画の世界とは、また違う味わいのある作品だ。エノキダ・タカアキ?聞いた事のある名前だが、思い出せない。
表に出ると、チャンドラの車が横付けにされてある。
今度も、優しい小父さん・デンドゥク氏の案内で「ブッダ・パーク」に行くことにする。ブッダ・パークは、インドの中でも熱愛的な仏教徒達がいるらしく、貧しい生活をしているのにもかかわらず、貧者の一灯のごとく集めたお金で、建てたものだと言う。
この建設には、リンポチェも多いに力を貸したと言う。私に是非見て欲しくて案内したと言う。パークの大きさは解らないが、平野部の造成地ようで、真っ平の上に造林を施した里山の風景だ。平日であるので、人は少ない。だが世界中には「愛はいっぱい」あるもので、インド人の若いカップルがkissなどしている。
ノルブとモモエも、リンポチェの眼を盗んでは、愛を育んでいたのであろう。その証しのクリリンを見せに帰るのが、この旅の出発点なのである。
ブッダの塔、そのものはあまり大きくない。あまり大きくすると嫉妬や反感を買うからで、亡命政府も其処の所を配慮している。全体幅5メートル角に三段の階段で昇り、四柱の高さは4メートルで塔屋の部分を含め8メートルの高さに、2メートルのお釈迦様の坐像が安置されている。内陣はおろか外壁もない、金ピカの仏陀像ではイタズラされないだろうか。心配が募るが、ヒンズー教でも、お釈迦様は9番目の神様で、大事にされているので、今までに一度も被害を受けたことはないそうである。
また、この塔の建築設計および施工には「日本人のナカハラ?さん」が、大きく関与しているのだそうだ。しかし凡庸浅学の私は、どこの、何を、する人か、解らない。まぁともあれ千年後の昼と夜まで、残っていることを望む。
ソナム・デンドゥク氏を送り届ける。そして本格的なチベットのバーター茶をご馳走になるなどして、再会を約して20分ほどでコロニーに向け帰路に着く。——うぅ〜ん、思い出そうするのだが、思い出せない。それとも始めから憶えていないのか。喉の奥に刺さった小骨のようにイラつく。
——あっ!思い出した!
それはラージ・ガート(ガーンディ記念碑)を右に通りすぎ、ラーリ・キラー(デリー城)を左に廻り、ヤナムー河の橋を越えた時である。モモエ、お前が間違って言うから先入観があって、答えが出てこなかったのだ。その人の名前は「榎木孝明」で、美大卒で長身の男前の俳優だ。火曜サスペンス劇場などに出ており、“浅見光彦”などは適役で、幾本かシーリズになった筈である。そういえばネパールからインドにかけ、ヒマラヤの国境沿いの山岳地帯を歩く、2時間枠のスペッシャル番組に出演したことがある。たぶん、そのときに描いたスケッチ画であろう。どういう経緯で展示されるようになったかは、リンポチェに逢った時にでも聞こう。
——あっ!もうひとつ思い出した。
それはチャッパルとクルターの交換だ。すっかり忘れてしまった。モモエとノルブに、明日は必ず、イの一番に靴屋と服屋に行くことを約束させた。
2月8日、木曜日。リンポチェの所在が判明し、明日以降の日程について、モモエと相談する。
「明晩19:00発のポタラバスで、ダラムサラに行きましょう」
と、トゥッパ・チィツィとチキンモモを喰らいながら、モモエは言う。
無論、反対する要素もないので「こっくり」と頷く私は、今朝は珍しくベジ・チャンを喰っている。だがすぐに、オーダー間違いであったことを知ったのは、3口目を口にした時からである。やはり、朝からは、動物系の油は、きつい!
ノルブの姿はすでにない。「ドルジェの伯父さんの所に行って来ます」と、伝言して行ったと言うから、この前のことで懲りたのであろうか、ノルブも学習し出した。そこにオコウ・クリリンを抱いたチャンバがやって来たので、席を空けてやり、お父っあんのことを聞く。
お父っあんは今朝も、150メートル・ロードを行ったり来たりしているそうだ。
チャンバは金を持っていない。何も食べていない様子なので、何か頼めと言うが、もじもじするので、モモエと同じものを勝手に注文してやる。チャンバは、やはり食が細い、トゥッパだけで持て余している。しかし膝に抱かれたクリリンは、すでに3ッ目を食べ終え4ッ目には遊び始めた。フォークを取り上げ、おしゃぶりのオコウをクリリンの口に渡したあと、モモエは残りをパク付く。どうやらこの一家は、残り物など出さない主義らしい。
追加にミルクティを注文して飲む。ぬるい!ズボラせずに、もっと熱いのをくれ!
散歩に出る。前から気になっていた本屋に寄ってみる。横にモモエがいるから安心だ。
『SAY IT IN TIBETAN』を見つける。これはノルブがテイチャーで、私にレッスンしてくれている教科書だ。裏を見る。Rs95とある。前より20ルピーも値上げしている。ひどい、ひどすぎる!「これがインドだ、これがインド流なのだ」しかし、嬉しい発見もある。オーディオ・Rs50と書いてある。「カセットテープも出たんですね」とモモエ。そう、私が持っている本は、モモエの使い古しだ。早速、買うことにする。本は2冊ある。2冊とも買うことにする。
——うん?これは?手にした本の横に、「チベット語・日本語——英会話」と日本語で書かれた本を発見する。字は幼稚であるが、確かに日本語だ。ちなみに日本語の文字を見たのは、このコロニーに来てこれが最初で最後である。5冊ある。日本では絶対に買うことが出来ないと思うので、この際だから全部買うことにする。
ふと、モモエの側でクリリンを抱くチャンバの顔を見ていて、イタズラ心が沸々と湧き出した。チャンバは今、英語を勉強しているらしい。しかし、もし、兄貴のノルブを頼って日本にくるならば、日本では英語一辺倒では、一切通用しない。そうだ!私がチャンバに日本語を、そしてチャンバが逆に私にチベット語を、共に教え合えば良いのだ。なんというグット・アイデァだろう。チャンバ!“OK?”“OK!!”
本、7冊X95ルピー=665、プラステープ1個、合計715ルピー、日本円2,145円はチョー安い。このあいだ、野村呼文堂に無理に買わされた、平山郁夫画伯の「薬師寺玄奘三蔵院 大壁画」、13,000円の六分の一だ。それに小野田先生のゼミの生徒達に日本円で950円で売れば、3冊も売ったらオツリがくる。大阪の船場で13年間、丁稚奉公した商才が働く。
本を入れたビニール袋を手に、右から左、左から右へ、祭りの御輿を担ぐ様にジグザグに歩いて10分、もうこれ以上は無い所まで来た。するとノルブが、横丁の路地の奥から姿を現した。
「ミヨッさん、おはようございます」のお言葉より早く、「あんた!どこに行ってんのん!いっつもいっつもこうやもんで!」と、モモエが叫ぶ。これは4日の朝と同じ。ノルブとモモエよ、あとはチベット語で口に宜しく華を咲かせてください、私は一切関知しません。
9時27分、昨日と同じ“Free Tibet”の外壁の所に行く。
軽ワゴンやリクシャの運転手達が纏わり付いてくるが、チャンドラの車を探す。チャンドラの方が先に我々を見つけたようで、これまた昨日と同じように揉み手をしながら近づいてくる。一応、値段交渉する。今日は、夕方まで?で、450ルピーで良いと言うので乗り込む。ノルブが、ラダック仏教寺院とラダック系チベット人が多く住むオールド・チベッタン・キャンプに案内すると言う。
チャッパルとクルターを堅く握り締めた私は、今日は何がなんでも必ず靴屋と服屋には行くことを約束させ、キャンプに行くことにする。だが、チャンドラが嫌がる。何か嫌な思い出があるのか、河内弁でいうところの「わいは嫌や、堪えてくれ」である。無理を通せば通るのだが、この先のこともあるので、適当な場所で停車させ、そこで待機しているように指示を出す。
5分ほど外壁に沿って歩き、隋道の入り口からコロニーの中に入って行く。寺院の敷地は300坪未満で一般住宅などもあり、寺院そのものの建物は日本でいうところの観音堂か地蔵堂くらいで、あまり大きくない。素足で堂内に入ると、ひんやりしていて気持ちが良い。正面には、やはり金ピカのお釈迦様が安置されている。
合掌して、一応?日本にいる家族の無事を含め家内安全を祈り、これからの旅の安全も、10ルピーを添えてお願いする。タンカが飾られてあったが、とりわけて良いものはない。
次にショッピング街に行く。道幅3メートルは極端に狭い、そして人が多過ぎる!平日なのに、ヒマ人がたむろしている。ノルブが、そんな人々をすり抜け、どんどんと奥へ入って行く。
畳4枚程度の店ばかりで、雑貨店が多い。靴屋の前で、あれこれ品定めをする。気に入らないのか、次の店も靴屋だ。聞けば弟のチャンバに靴を買ってやると、約束したからと言う。形状が気にいらないのか、値段が合わないのか、あれこれ手に取っては投げ込むので、最初は買って貰えると踏んでいる店主が、怒りだす。かなりヤバクなってきたので、「コンノート・プレイスに行くのだから其処で買ったら」とアドバイスする。
あきらめたのか靴はやめて、今度は服に手を伸ばし始めた。服といってもジャンバーやジャージーで、トレーナーにも手を伸ばす。ここも同じで、アレコレと迷っている。服はダラムサラで待っている従兄弟のシャンロに、土産に持って行くのだという。それならば、もっと購買欲を持って品定めをすれば良いのに、いつもどおりで決断力に欠ける。
そんなジレンマを、私以上に感じたモモエが、
「あんた、えぇかげんにしぃ。待つもんの身になってみぃ。ワタシかて色々せなアカンことがあるんやでぇ!」
これは河内に近い関西弁だった。
「これは僕のお金で買うから、ミヨっさんもモモエさんも、ちょっと待って」こんなことをチベット語で言ったのであろう。ノルブの言葉に、モモエが頭に来たのか、激しい調子で攻め立てる。ノルブが弁解がましく言い訳をしている。モモエはさらに攻める。
私は、ついていけない。チベット語の解らない傍観者は、頬かぶりして嵐の通り過ぎるのを待つ。———3分後、ノルブの言葉の調子が、やや衰えたところで、
「ああ〜喉が乾いてきた、も〜おぅソロソロ行こうか」
この場は年寄り?が、決着を付けてやらなければならないだろう。
チャンドラの車に戻り、「ゴー、コンノート・プレイス」と、私が指示を出す。
モモエは前、ノルブは左横、少々気まずいままで車は走る。
「三好さん、先に、ノーザン・レイルウェイ・レッビネションオフィスに、行っても、いいですか?」
ラール・キラーを左に見て、右に中央郵便局の案内板がある場所で、モモエが恐縮ぎみに私に承諾を求める。私がその訳を問うと、モモエの実弟のH君が、2月24日にエア・インデァーで到着し、「ヴァーラーナシーには是非行きたい」という希望があるので、列車の切符を予約に行きたいというのである。
あぁ、いいよ。それで、お前さんの機嫌が直るなら。
寛大な私である、ただし靴と服の交換だけは、今日中に確実にやってくれるなら。
予約センターは、ニューデリー駅の南隣にある。中央口より入る。インドでは各方面行きの窓口に行き、係員に申し込みすれば「予約」が出来るシステムである。だが「ここはインド」、モモエはヒンディー語を読むことが出来ない。ノルブも駄目で、私に至ってはジャパーニーズ・オンリーで、片言の日本語が通じるのは、ベトナムまでだ。モモエは意を決して、英語と今までに培ってきたインドでの経験とで、ヴァーラーナティー行きの予約を、果敢に挑戦する。
まず女性であることを武器にする。女性専用コーナーに行く。最後尾に並んでいる人に、この列に並べば目的地までの切符が買えるかどうかを聞く。幸いにして英語が通じ、並べば予約出来ると言う。それでは「何分後に買えるのか?」を聞く。サリーを着たマザー・テレサーに良く似たご婦人は、「1時間近く並んでいる」と言う。見れば、すでに20数人も並んでいる。窓口は2ケ所あるのに、開いている窓口は1ケ所しかない。「ここはインド、これがインド流なのだ」
モモエが、もうひとつ懸念するのは、昼休み時間が近いことだ。時計は、ノルブがモタモタした分だけ消耗し、12時まで、あと1時間弱しかない。
「××××××××××××」
ノルブが、何か言った。とたんに
「あんたは黙っとき!なんも解らんのに、すぐに口出す!ホントに〜!」モモエの叱咤が飛ぶ。
ノルブが膨れ面をする。夫婦喧嘩の再会だ。周辺の人が怪訝な顔をする。早口のチベット語が理解出来ないのが、不幸中の幸いである。
ノルブが懲りずにまた言った。今度は日本語が混じっていた。だが私には、3メートル程離れているのと、雑踏のざわめきで聞こえない。ただ続いてノルブに反発して言ったモモエの
「本当にごちゃごちゃ言う人や、明日来れるんやったら、ナンもコンな苦労せんわい、ほんまに黙っときぃゆうたら、黙っとき!今日、買わんかったら、ダラムサラから電話したって、当日券なんか、あらへんわ!」
怒り、天に突くがごとし、河内弁が飛ぶ。
その時である、あらへんわの途中に、閉鎖中の窓口が開いた。目ざとい人たちが、一番目をめざし殺到し始めた。あぁ、インドも日本も、いや世界中のおばさんたちが、バァゲーンに群がる時のエネルギーは、かくゆうなものであろうと感心をする。左側に並ぶモモエの列からも出たので、モモエは一気に12番になった。それからは2台のコンピューターが正常?に働き始めたのか、それとも昼飯を気になりだした女性係員の感ピューターに拍車がかかったのか。先程とは特急と各駅ほどの差だ。
「モモエさん、あっちの方が断然早い、あっちに並び換えたら、えぇ」ノルブが右側の列を指して言う。モモエは無視する。ノルブがまた言う。たしかにノルブが言うとおり、左側の係員が1人を捌く時間に対して、右側の係員は、それの半分の時間で、どんどんと消化していく。
「モモエさん、早く早くあっちに並んで、切符を早く、買ったらいい」
ノルブがまたも急かすが、モモエは一向に動かない。
「早く早く、また1人買って出て行くよ」ノルブが三度、四度、指をさして自分の意見を推し述べる。だがモモエは、
「うるさい。あんたはナンモ解らなへんのやさかい、ちょっと黙って、あっちに行ってて!」
そのとおりだ。日本人妻は君よりも、こういった事には経験が豊富なのだ、シャラップーだノルブ!突然、右側の係員が席を立った。5分経過。10分経過、戻ってこない。30分間のあいだに「ここはインド、これがインド?!」を見るとは思わなかった、私とモモエの抱腹絶倒「どうだ」の声はオフィス中にこだまする。
