先日の「サイトリニューアル」とほしみで、たくさんのおめでとうコメントをいただき、大変ありがとうございます。
更新頻度にやや難があるかもしれませんが、これからも邁進していく次第でございます。
さて、そんなコメントの中にある質問がございました。
ふむふむ。なーんも考えてませんでした。
まぁ、確かにリアルでリニューアルオープンするお店さん何かも、DM配布して、それにチケットとか付けて「これもってきてくれた方にはお皿差し上げます!」とかって多いですね。
じゃ、何か差し上げようと適当に提案。
争覇立物自体は、少々作り置きがあったので配布には問題ありません。「たくさん対話があったらどうしようぉ。むふふ。」なーんて思っておりましたが、数日経って
未だに対話0!
争覇立物なんて別にいらんと思っているのか、サイトの人気がないのか、人望がないのか、信じられてないのか、何とも言えない気持ちの清水です。ハロニチワ。
まぁ、いまさら対話きても、あげないんだから!ヌン!
そんな感じで今日は立物の話でも。大してオチもなく、字メインのとほしみになります。
『古語辞典』(旺文社、1987、p.734)によりますと、立物(たてもの)とは、
威容を盛んにするために、兜のはちの頂上、または前後左右につけた装飾。前立・後立・脇立・頭立などがある。
また、Wikiの兜の項によりますと、
特に中世以降、武士の時代には己の武を誇り、存在を誇示するために鉢や眉庇に装飾物を取り付けるようになる。 立物は付ける場所によって前面に付ける前立(まえだて)、側面に付ける脇立、頂点につける頭立、後部につける後立に分けられる。
中世には鍬形と呼ばれる前立がよく用いられた。初期は一体形成のものもみられるが、鍬形台と呼ばれる台の両端に獣の角等を想わせる一対の装飾を取り付けるのが一般的である。三鍬形と呼ばれるものは、さらに中央部に祓立をつけ、ここにも装飾を取り付けることができるようにしている。
とあります。平安時代以降の武士のオシャレだったようです。
こうした立物はこっちの世界でも、鍛冶の生産品からドロップ・クエ報酬と、各種取りそろえています。実際「立物」でググると、大半が信on関係サイトです。
今回は、争覇生産品の立物に焦点を当てて話を進めてみたいと思います。
で、立物の生産は鉄砲鍛冶の目録となります。争覇目録では、「鋳鉄之書・九」「鋳鉄之書・拾」「鋳鉄之書・拾壱」のそれぞれに計10個の立物が追加されました。
鋳鉄之書・九 | 鋳造之へ | 鋳造三つ巴立物 | 鋳造直違い立物 |
鋳造之と | 鋳造長鍬形立物 | 鋳造千切立物 | |
鋳鉄之書・拾 | 鋳造之ち | 鋳造丸三つ星立物 | 鋳造御幣後立物 |
鋳造之り | 鋳造二つ引両立物 | 鋳造釘抜立物 | |
鋳鉄之書・拾壱 | 鋳造之ぬ | 鋳造四つ菱形立物 | 鋳造天頂脇立物 |
では早速、そのそれぞれを見ていきましょう。
鋳造三つ巴立物
信onでは、いわゆる「左三つ巴」になります。この巴紋というのは、元々、弓を引くときに左手の肘に巻き付ける「鞆(とも)/鞆絵(ともえ)」という保護用の武具をかたどったものらしいです。
鞆っていうのは「弓を射るとき、左手首に結びつけた皮製の具。弦をはじいたのち、その弦が手首を打つのを防ぎ、また弦の音を高くするために用いる
」(『古語辞典』旺文社、1987、p.846/右写真)という、まぁ、そういうもの。これを型どり、のちに水が渦巻いてるのに似通っていることから「巴」の字を当てたらしいです。
ただ、こういう説明を読みますと、いかにも「巴」って文字が水の渦巻きと関係してるように思えるんですけど、どう調べても水との関連性が見いだせないんですよねぇ。この巴って字。字源としては、蛇がとぐろを巻いてる様子から来てるようですので、水っていうよりも、そうした渦巻き模様との関係からこの字を当てたようです。
つまり「鞆を象形化してマーク作った!」→「渦巻きっぽいし、巴って字を当てようぜ!」って流れのようです。まぁ、そのへんの定説はよくわかりません。
ただ、まぁこのマーク、古いことは古いらしく、平安時代くらいにはかなり流行したものらしいです。そして平安後期に公家の西園寺実季って人が自分んちの車の文様に定めたようで、家紋としても古いものらしい。そしてその後、武家では鎌倉時代に宇都宮、小山、結城の3氏が使用。以後、多くの家が使用してるんですって。オフラインに出てくるもそうです。
さりげなく進んでいますが、今回の話は立物です。印章やら家紋ではございません。
で、どこぞの販売サイトで室町期の筋兜の吹き返しに三つ巴紋(巻きは逆)がある写真はありましたが、立物としてこの三つ巴を使用してる例ってのがないんですよねぇ。ネットで調べた限りでは。
気になると調べずにはいられなくなるのが人としての心情です。
ふむ・・・・
買っちゃった。
そもそもですねぇ、今回、立物に焦点を当てたのにはわけがございます。
最近の清水はイン時間も短く、インしててもダンジョンとか何やらと行ってるもんですから、さほど生産とか金策に力を入れる暇もなく貧乏なわけですよ。
しかもメインキャラの鍛冶屋の特化は鉄砲です。売れる鉄砲なんて作れるわけもございません。
じゃ、他に売れるものが作れないかと考えたところ、とりあえず手っ取り早いのが「立物」ではないかと思いついたわけです。
楽市を覗いて見ますと・・・・ふむふむ、なかなかの値段で売ってますねぇ。その気持ち、わかります。
つまり、ここで立物のお話をすることで読んでる方々に立物にさらなる興味を持って頂き、立物市場を潤わせ、清水もその「おこぼれ」をもらおうじゃないかって作戦だったわけです。
ところが、人間の知的欲求の欲深さといったらはかり知れるものではないわけですよ。
貫が欲しいあまりに書き始めたテキスト、知りたいことが多くなってしまって円を使ってしまった(しかも結構高額)というホントにあった怖い話。
手元に残ったのは、高価な本と、実生活では全然役立たない知識なわけでございます。
そんな感じでこの本を紐解いてみます・・・・。
載ってませんねぇ、三つ巴立物。
一通り目を通しましたが、争覇生産品の立物のうち、ここに掲載されてるのは3種類だけでございます。
これは何を意味するのでしょうか?(1)この本がしょぼい、もしくは(2)実は立物として存在していない、ということが考えられます。まぁ、こんだけ高価な本でございますから「この本がしょぼい!」ってことはないでしょう(と信じたい)。また(2)の可能性もありますけど、単に話題として取り上げられなかったと考えたいと思います。
というは、この著者のものかと思われる論説が最後に掲載されてるんですけど、そこに
- 1991「三ツ巴紋を掘り出した十六世紀の前立」『刀剣春秋』440号、刀剣春秋新聞社、p.5.
- 1991「三つ巴紋の兜前立4種」『刀剣春秋』454号、刀剣春秋新聞社、p.3.
っていう2つが挙げられていました。
ホントはですね、こういうのを参照にして「三つ巴紋ってのは云々」っていう話をしたかったんですよねぇ。
この『刀剣春秋』ってのは、月1回発行の新聞らしいですけど、少なくとも京都の図書館にはどこも置いてないんで調べることができません。どこで見れるんでしょうねぇ。
まぁ、とりあえず、馬上陣笠に●型の立物はよく似合います。
鋳造直違い立物
×(ばつ)です。X(エックス)です。両サイドに「;」を入れると、元清さんとかぬまんが多用してる「;x;」ミフィちゃんになります。
「すじちがい」と読み、備前の松田氏、尾張の丹羽氏の家紋として使用されてたようです。また北条の松田家では「二重直違い(組み直違)」ってのが家紋だったようです。 大隣寺(二本松)の寺紋として使用されているのは、丹羽家が転封後に菩提寺として建てたことで丹羽家の家紋を使用したのが始まりのようです。
まぁ、ちょいと西洋チックな形なんですけど、これも立物で使用してる例ってのがないんですよねぇ。
確かに「威容を誇るために」付ける立物って感じではないですねぇ。貧相っぽいし。ただしオシャレではあります。これ、どんな頭装備が似合うんですかねぇ。少なくとも馬上陣笠はそれほど似合いません。
鋳造長鍬形立物
長すぎて、試着状態では入りきりませんでした。
この鍬形系は歴史的にも古いらしく、その原型は古い時代の農具の「鍬」にあると言われています。こういう鍬ってのが東京国立博物館に所蔵されてるんですけど、サイトでは画像が見付かりませんでした。
で、こういう細長い系の鍬形の立物は、鎌倉時代後期に流行したようです。鎌倉時代後期ってのはいつくらいかな?元寇(1274年/1281年)くらいからでしょうか。つまり結構古いタイプのものっぽいんですけど、近年の五月人形のほとんどは、この長鍬形の立物を用いています。なんでだろう?端午の節句は別名「菖蒲の節句」とも言われるんだから菖蒲の立物でもよさそうなものなのにねぇ・・・。
大体、色んなサイトを見てみると「「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであり、また菖蒲の葉が剣の形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ…
」と書かれていますが、鍬形の鍬は元々農機具ですよ。どうせなら剣を連想させる菖蒲を立物として使えばいいって思います。
で、ちょっと調べてみると、この端午の節句に五月人形を飾り始めたのが、どうやら鎌倉時代らしいのです。
推測ですが、その名残ということで長鍬形が多いんでしょうか。よくわかりません。
ちなみに菖蒲の立物(付きの兜/紺糸威筋兜)は室町時代後期のものが現存しており、東京国立博物館に保存されているらしいです。
また横道、逸れた。長鍬形。
まぁ、特にこれといってないんですけど、こんだけ長いと小さめの兜よりも大きめの兜が似合いそうです。今度、ぬまんにでも協力してもらってSS撮影してみます。
鋳造千切立物
「ちぎり」と読みます。「ちきり」というたて糸を巻く工具に由来するらしいです。
んじゃ、一体「ちきり」ってどんな形よ?と思って調べてみますが、これまたなかなか出てきませんねぇ。いくつか出てきましたが、それらは現代のもので、何か丸いっぽいんですよ。もっと「これ、ちきり」って写真があればわかりやすいですけど、そういうのも発見できず、ちょっとこれは今後の課題。
で、家紋としての千切紋です。
通説では、戦国時代の二木氏(信濃の小笠原家の一族)の家紋ってことになってますが(『羽継原合戦記』)、これは諸説あってはっきりしたことがわかってません。
江戸時代以降には、結構色んな家系で使ってるようです。
で、肝心の立物例は、やっぱり発見することができませんでした。コーエーの人は、一体、どういう資料を基にしてこういうのを作ってるんでしょうかねぇ。
とりあえず、「俺(私)は四角が好きだぜ!」って方にはお勧めです。
まぁ、そんなとこ。
これからしばらくの間、「色気が足らない」って意見を考慮して色を入れていきたいと思います。昔イラレでトレースした画像ですが、これを皆様の「脳内色気」としてサイトを補ってください。
COMMENTS
是非、全文を書き直して欲しかったですねっ!
鋳鉄拾以降のが出てないってことは続編アリですかね><?
出してくれてる4つの中では(三つ巴は今つけてるし><)千切がいいですね〜^^
候補として挙げておくとして、続編を期待します!
新聞は・・・国会図書館とかにあるんじゃ><?
鹿角ががほしいですw
短い時間に拉致らしてもらってます^^
いつも徒党参加ありがとう^^
■白梅さん
いやぁ、立物の話書くのは1週間以上かかってるからねぇ。さすがに全文は厳しいぜ!
千切りょかいっす。まぁ、続編も合わせてからご検討ください(いつになるかわかんないけどなー)。
ついでに国会図書館、いや、さすがにあるだろうけど、東京は機会がないと無理だよねぇ。
■琥珀さん
ぶぅあっかもーん!争覇生産品だと言ってるでしょが!
鹿角は作れません。
まぁ、余ってるので今度差し上げます。
おそらく戦国時代にはいろんな立物が存在してたのでしょうが
(侍達が自己アピールのために変なのつけてたんで)
時代が古いので現存しているものが少ない=現存しているのは
保存状態が良かった両家の甲冑が多い
ということで、メジャーな立物しか確認されてないのかもです。
コーエーの立物は、適当なチョイスっぽい感じがします。
合戦絵巻なんか博物館で見てみると、案外、
兜の後ろでお花咲いてるのとか、毛が生えてるのとか
何かよくわかんない変な物体つけてる人とか色々いるので
機会があったら見てみてください♪
■三輪さん
はっ!
どうして白梅さんといい、キミといい、ネタを先取りするんだぁ〜!!
実は『図説・戦国合戦図屏風』って本買いまして、次回のネタにしようと仕込んでたとこだったわけです。
とりあえず、立物に関して、三輪さんのような大御所からお話をお伺いできて幸いです。
どっかに書いてましたが、立物ってのは結構取り外したりしたらしいですね。
古いのを外して新しいのを付ける。で、古いのはそのまま保存したりはしない、だから残らないって感じらしいです。
立物が、「兜と立物セット」でしか残ってないのが多いのは、そういう理由からですかね。
とりあえず、三輪さんの意見は聞かなかったことにして、今度のとほしみに向けて絵巻なんかを眺めてみたいと思います。
※本、ちょっと見たけど、結構小さいので目がチカチカしました。博物館のはもっとデカイんでしょうねぇ。
ここまでぶみこの話題なし
「肉」とか「汁」とかの立物はないですかのう
■いっきゅさん
ここまで「色気の女の子」に関する話題なし。
■斎藤さん
ボクも欲しいんですけどねぇ。どうやらコーエーは実装する気、なさそうなんですよ。
汁立物、要望で。
対話入れようと思ったら、
いなかったですよー。
かるめんさんに対話だけ入れておきましたので、
建物下さい。(3LDK庭付きで)
ボクはビルが欲しいです。
とほしみユーザが、まぁ、ひいき目にみて50人として、毎月一人1万円ずつ寄付してもろて年間で600万円。100年間寄付し続けると6億円になるので、そうすればちっちゃいビル建つかなぁ。
みなさま、よろしくお願いいたします。ペコリン